あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

神奈川紀行 横須賀市 戦艦三笠3

2019-01-24 | 国内・静岡

 

 

 

  艦内の展示室には
  旧海軍の制服や装備 日露戦争関連の展示のほか

  東郷連合艦隊司令長官の公室、参謀長室、
  艦長室などが復元されている。


 

 

       三六式無線電信室

 

 

  対馬西方海域を哨戒していた仮装巡洋艦「信濃丸」は、
  5月27日早朝バルチック艦隊を発見し、
  「敵艦隊見ュ・・・」の第一報を発信したが、
  その電報は巡洋艦厳島を経て
  この電信室の三六式無線機で受信し、

  直ちに東郷聯合艦隊司令長官に報告された。

  日本海海戦で初めて無線通信機が
  作戦戦闘場面で使われ、

  大きな効果を上げたという。

 

 

  三四式無線電信機は 
  海軍技師・木村駿吉が中心となって開発された。

  なお「三六式無線電信機」は
  2008(平成20)年度の近代産業遺産に続き

  国立科学博物館の重要科学技術史資料
  (未来技術遺産)にも登録されている。

 

 

        15cm副砲の操法の展示

  射撃指揮官 砲員3名の人型を配置し、
  射撃号令音声により目標を照準して
  発射するまでの流れを説明し、

  また 砲員1名の人型により
  弾薬の揚弾要領が展示されている。

 

          7.62cm砲 

     

         人力操舵用操輪

 

           「時鐘」

 

          15.2cm副砲

  砲の脇に釣床(ハンモック)が吊るされている。
  砲兵は此処で寝泊りしていた。 

  乗組員860名のうち中尉以下
  830名がハンモックで過ごしたという。

 

 

  

  展示室に飾れている 日本海海戦時の三笠艦橋上の絵。
  中央が東郷司令長官 
   左に加藤参謀長、右は秋山先任参謀。

   「Z旗」も見える。

 

           士官室

  艦内士官が会議、食事などに使用した部屋

 

            艦隊旗艦長居室

      壁には歴代三笠の艦長名が掲げられている。

 

 

          司令長官公室


  艦隊の最高士官等の会議が開かれた。

  奥に47mm速射砲砲が見える。

 

          長官室

     

       浴室とトイレ

 

 


静岡紀行 伊豆の国市 反射炉と古川

2019-01-20 | 国内・静岡

 

   「一級河川 韮山古川 起点 静岡県」と 橋の欄干“砲弾”形が見える。

    

 

  反射炉の脇に流れる準用河川「韮山古川」から水路を引き
  反射炉で鋳込まれた鉄の塊を大砲として完成させるためには 
  砲身の内部をくりぬく必要があり、
  1か月をかけて砲身の内部をくりぬいたという。

 

  説明文には

 「反射炉の敷地内には 鉄を熔解する反射炉の他に
  砲身をくりぬく錐台小屋や仕上げを行う御筒仕上げ小屋
  
鍛冶小屋等があり 一連の工程を経て
  大砲を完成させる砲製工場でした。

  この韮山反射炉で行われていた製砲の工程で
  重要なものの一つに 
  砲身をくりぬくサン開という工程がありました。

  反射炉で鋳込まれた鉄の塊を大砲として完成させるためには
  砲身の内部をくりぬく必要があり、
、  この作業が行われたのが錐台小屋でした。

  錐台小屋には水車が設置され、錐台に動力を伝えていました。
  韮山反射炉の操業当時のようすを示す

  「反射炉小屋場御用地鹿絵絵図」には、
  反射炉のほとりを流れる韮山古川から箱桶で
  水が引き込まれていることが描かれています。
  韮山古川の水力は製砲工場としての
  操業するために不可欠なものでした。」

 

             反射炉と韮山古川

 


静岡紀行 伊豆の国市 反射炉の構造

2019-01-19 | 国内・静岡

 

 



  反射炉とは 銑鉄(砂鉄や鉄鉱石から作った粗製の鉄で

  不純物を多く含む)を溶かして優良な鉄を生産するための炉。

  銑鉄を溶かすためには千数百度の高温が必要となるが
  反射炉内部の溶解室の天井部分が浅いドーム形となっており
  そこに炎や熱を「反射」させて 銑鉄に集中させることで
  高温を実現する構造となっている。
  このことから反射炉と呼ばれている。

  溶かした鉄は 鋳型に流し込んで大砲などに加工された。
  発掘調査では 砲弾の鋳型なども発見されている。

  炉体と煙突の部分を合わせた高さは約15.7mある。

  炉体部の外部には伊豆石も使われているが
  この伊豆石は 伊豆半島特産の石材で
  硬質で重く耐久性に優れたものと
  軟質で軽く加工しやすいものの2種類があり

  どちらも耐火性に優れ遠赤外線効果が高いという。

 

   こちらは「湯出口側」 
「  方孔」「出滓口」「出湯口」「炉下通風口」の説明がある。

 

 


静岡紀行 伊豆の国市 韮山反射炉の歴史

2019-01-18 | 国内・静岡

 

 

  韮山反射炉は 1864(元治元)年に
  幕府直営反射炉としての役割を終えるまでに

  鉄製18ポンドカノン砲や青銅製野戦砲などの
  西洋式大砲が鋳造された。

   現在の反射炉はレンガとそれを囲う
  鉄のフレームでできているが

  建設当初は、レンガの上から
  漆喰がぬられたものだった。

 

  1908(明治41)年の補強により鉄のフレームが見える
 

  明治維新後 陸軍省の所管となったが
  荒れるままに放置されていた。

  
  江川英龍没後50年を機に 
   1908  (明治41) 年 鉄フレームで補強され

   1957(昭和32)年の大修理の際にも補強された。
   1989(平成元)年ではさらに丈夫なものに付け替えられている。


  建設時は漆喰塗の「白亜の塔」が 
  補強の鉄フレームがアクセントとなって
  芸術的な雰囲気を醸し出している。

 

 

 

 


静岡紀行 伊豆の国市 反射炉と江川英龍

2019-01-17 | 国内・静岡

 

                  銅像・江川英龍と反射炉



  江川 英龍(ひでたつ・1801-1855)は
  江戸時代後期の幕臣で伊豆韮山代官。

  通称の太郎左衛門 号の坦庵(たんあん)の呼び名で知られている。

  韮山代官は 伊豆、駿河、相模、甲斐、
  武蔵にある幕府直轄地の支配を担当していた。


  嘉永6年(1853年)のペリー来航で
  江戸湾海防の実務責任者であった 

  江川英龍は 洋学とりわけ近代的な沿岸防備の
  手法に強い関心を抱き、

  大砲の鋳造法の洋書のみを頼りに
  大規模な反射炉の建造に取りかかる。

  しかし 1855(安政2)年 完成を見ることなく病死してしまった。

  後を継いだ 江川英龍の三男・江川英敏は
  反射炉の建設を行なっていた佐賀藩に協力を求め
  1857(安政4)
年に完成した。

 

 

 
   「鉄砲方」とは 江戸幕府の職名の一つ。
    若年寄の支配下にあって、銃砲の製造や射撃の教授などにあたった者。
    井上・田付両家が世襲している。
    ほかに長崎鉄砲方・大坂鉄砲方があった。


静岡紀行 伊豆の国市 韮山反射炉

2019-01-16 | 国内・静岡

 

  

   道の駅から  伊豆の国市の韮山反射炉へ

  佐賀藩や薩摩藩をはじめとして
  幕末期の日本では各地に反射炉が造られたが
  現存する近世の反射炉は
  萩の反射炉と この韮山反射炉のみである。

  特に 韮山反射炉は 実際に稼働し
  大砲を鋳造している反射炉で
  あることが特徴になっている。

  2015年に 萩反射炉などと共に
  世界遺産「明治日本の産業革命遺産
   製鉄・製鋼 造船 石炭産業」の
  構成資産として登録された。

  静岡県では「富士山‐信仰の対象と芸術の源泉」と並ぶ
  世界遺産の登録スポットになっている。

  反射炉へは「韮山反射炉ガイダンスセンター」(2016年開館)が
  入り口になっており 予備知識を得てから見学することになる。
  
  施設内では、韮山反射炉の変遷を示す
  写真などが展示されているほか
  映像ホールでは縦5m・横10mの巨大スクリーンに
  操業当時の大砲鋳造の場面が映し出されていた。

   *反射炉とは 銑鉄(せんてつ=鉄鉱石から直接製造した鉄)を
    溶かして優良な鉄を生産するための炉をいう。

 

   


静岡紀行 伊豆の国市 パノラマパーク

2019-01-15 | 国内・静岡

 

 

  道の駅「伊豆のへそ」から IC長岡に近い
   「伊豆の国パノラマパーク」へ

 

  
  標高452mの葛城山の山頂と北麓を利用した観光施設。

  1962(S37)年に開業

   ロープウェイは

  片道1,791m 高低差411mあって 所要時間約7分。

 

 

 

                     (資料から)

  
  快晴ならば 富士山、箱根の山々、南アルプスなどが

  望めるのだったが。

 

 

         「二等三角点」

三角点はとは 経度・緯度・標高の基準になる測量の点で
見晴らしの良い場所に設置されている。
 二等三角点は 設置間隔約8kmで

全国に約5000点設置されてあるそうだ。

 

 


 この葛城山にて鷹狩りをしたということで
            建てられた源頼朝の像。

 

 

  こちらには 大きな下駄が置かれている。

  これは「下駄供養塚」で

  伊豆長岡温泉の旅館やホテルで
  務めを終えた下駄を供養している。

 


  園内「さえずりの丘展望台」には、
  恋人の聖地の象徴である「幸せの鐘」がある。

  伊豆にはこのような施設が多い
  果たしてどこの聖地が・・・




静岡紀行 伊豆の国市 伊豆のへそ 

2019-01-14 | 国内・静岡

 

      

 

  沼津から南下 
  伊豆の国市 国道414号沿いある
  道の駅「伊豆のへそ」に立ち寄る。

  
  この地点は 伊豆半島の東西と南北の道路が
  交わる交通の要所であるので

  このことから「伊豆のへそ」と命名されたのかと思ったら
  伊豆半島の中央に位置し 隣接する
  岩山「城山」の形状が  “へそ” のように見えるからとのこと。

  2005(平成17)年8月 道の駅に登録されている。

   因みに  NHKの「チコちゃんに叱られる」で
  「日本のへそ」について触れられていたが
   “伊豆のへそ”とは少々スケールは小さい。

 

 


静岡紀行 沼津市 沼津港深海水族館

2019-01-12 | 国内・静岡

 

 

  「港八十三番地」内に「沼津港深海水族館」がある。

  深海をテーマにし 日本一深い駿河湾の深海と
  3億5千万年前から深海で生き続けていた
  深海の生きた化石シーラカンスを目玉としている。

  深海生物をテーマとした水族館は世界初という。

  水深200mを超える海域を“深海”と呼ぶが
  静岡には最深部 2,500m の駿河湾があり、

  深海生物の宝庫で また沼津港を地元が
  自慢できる港にしたいとの思いから、
  地元の水産会社が約6億円をかけ、
  2011年に沼津港に創設した。


  1階は 深海をテーマにし 
   駿河湾や世界中の深海生物を中心に

   また世界中の変わった生物も展示している。

  2階には博物館「シーラカンスミュージアム」と
  ミュージアムショップが設置されている。

   
  
   (NHK旬感☆ゴトーチ! 2019/1/7から)

 
  深海生物は捕獲や飼育が難しく
  その生態も多くが謎に包まれている。

  また 目玉の冷凍2体と剥製3体のシーラカンスは
  ワシントン条約に規制される前に捕獲された日本で唯一
  国際希少野生動植物種登録票の発行された5体である。


  なお シーラカンスは ワシントン条約で
  第I類「絶滅寸前種」に指定され

  1991年から輸出入や商業利用が一切禁じられ
  生きた個体を見ることは不可能になっている。

  よって、冷凍のシーラカンスを
  見られる水族館は世界初とのこと。

   食欲同様に入館までに至らずでした・・・

 

 

 


静岡紀行 沼津市 港町十三番地

2019-01-11 | 国内・静岡

 

 

  沼津港の飲食街の一角に 

  美空ひばりの唄「港町十三番地」を思わせる

  「港八十三番地」と名の付く飲食街(2011年12月開業)がある。

        

              (NHK旬感☆ゴトーチ! 2019/1/7から)

 


         深海魚を使った丼やバーガーも紹介していた。

 

    当方 深海魚には食欲がわかず遠慮した。

     

 
      この番地内には 飲食店等8軒と深海水族館がある。

   


静岡紀行 沼津市 展望水門「びゅうお」

2019-01-10 | 国内・静岡

 

                  沼津港大型展望水門「びゅうお」

  沼津港の内港から外港に出るところに
  設けられている水門は

  東海地震の津波を防ぐ目的で
  
9年の歳月と総事業費43億円をかけ
  2004(平成16)年9月に運用を開始した。

   *東海地震は、南海トラフ沿いで
    想定されている大規模地震のひとつで、

    駿河湾から静岡県の内陸部を想定震源域とする
    マグニチュード8クラスの地震をいう。


  水門扉は重量406t、幅40m、高さ9.3mあるが
  地震計で250ガル以上
  震度5強以上の地震を検知すると

  自動的に閉まり約5分で完全閉鎖する。

  また 津波避難施設としての役割も持ち
  平常時は展望施設として使用されている。

  「びゅうお」の名称は 
  一般からの公募により景色・眺め等を

  意味する「VIEW」と魚の「うお」から命名された。

  両岸の間は幅4m 長さ約30mの連絡橋で繋いでおり
  両岸に2基のエレベーターが設置されており
  地上約30mの展望回廊まで登ることができる。

  展望回廊からは
  北・西に 愛鷹山 富士山 箱根山 
  南に達磨山が展望できる。



      

                   駿河湾に沈む夕日(資料から)

 

 


静岡紀行 沼津市 沼津漁港

2019-01-09 | 国内・静岡

 

 

      
   

 沼津御用邸から北東 沼津漁港へ

  大型船が停泊する外港と
  漁船が停泊する内港に分かれている。


 元は狩野川の右岸(現・永代橋付近)にあったが

 1933(昭和8)年 現在の内港が完成。

 その後 船舶需要の増加に伴い

 1970(昭和45)年に外港が造られた。

 水揚げ量は、静岡県では2位
 全国で15~ 20位の漁獲量がある。

 

 港の東側、狩野川との間には
 寿司や海鮮料理等の飲食店が軒を連ねる。


 かつては沼津駅から沼津港駅までの
 貨物専用線として沼津港線(通称:蛇松線)があったが

 1974(昭和49)年に廃線になっている。



 

   INO(イーノ)内部 見学デッキから

 2007(平成19)年には
 国土交通省の「みなとオアシス制度」に登録。
 同年 「沼津魚市場 INO(イーノ)」がオープンしている。

 豊洲市場もこの見学方式が取り入れられている。 

 

            セリ売りの状況

 


静岡紀行 沼津市 沼津御用邸 7

2018-12-31 | 国内・静岡

     

 

   沼津御用邸の見学記念

   また 平成最後の暦として 


    売店で「皇室御一家 平成31年カレンダー」を買い求めた。

 

    

      皇后 美智子さま「おしるし」
       ”白樺” の刺繍の入ったハンカチ

 

   因みに 女性皇族の「おしるし」は

    雅子様 はまなす
    愛子様 五葉ツツジ
    紀子様 檜扇あやめ
    眞子様 モッコウバラ
    佳子様 ゆうな

 



* * * * * * * * * * * *


平成も最後の大晦日を迎えました。

この一年当方にとっても いろいろとありましたが

何とか 健康で年を
越し 新年を迎えることに感謝です。

 

皆さま方も 良き年をお迎えいただきますよう祈念して

当ブログの今年の締めといたします。

 


静岡紀行 沼津市 沼津御用邸 6

2018-12-30 | 国内・静岡

 

                       旧厩舎

     現在 厩舎を改修して喫茶店 「主馬」が営業している。
   
  厩舎は 陛下の御召馬車及び乗馬用のつなぎ場で
  25頭繋留することができた。


   説明文によれば

  「旧沼津御用邸 厩舎について

  この厩舎は、明治29年(1896)御馬車舎と共に
  七頭建厩舎(22.5坪)として本邸の通用門脇に建てられた。
  同31年(1898)には、七頭建厩舎につながる
  八頭建厩舎(29坪)が別棟として新築された。
  現在のお休み所・主馬の建物である。
  大正天皇(当時皇太子殿下)が御成婚になった
  同33年(1900)の秋には、七頭建厩舎に五頭建(16.5坪)を
  増築し十二頭建厩舎(39坪、約130㎡)となり、
  御用邸全体として二十頭分の厩舎施設となった。
  同33年時に屋根をそれまでの杉板張から
  日本瓦に葺替え、今日見られる外観となっている。
  
   ~ 中略 ~

  沼津御用邸記念公園に存する木造厩舎は、
  皇居をはじめ各地の皇室施設にあった厩舎の中で
  唯一現存する明治期の貴重な歴史的建造物といえる。

      平成15年11月3日 」

 

               沼津垣
  説明文には

  「沼津垣(ぬまづがき)は
  昔から沼津周辺で浜の潮風を防ぐために
用いられてきた垣根で、
  景観的にも、実用的にも優れています。

  旧沼津御用邸でも多く用いられていたことから、
  一般に知られるようになりました。
  材料は、箱根竹と呼ばれる細い篠竹を十数本ずつ束ねて、
  網代(あじろ)編みにしています。
  この束を「手」といい、どの束も別の二つの束を越えて
  編んでいるため、
  この編み方は「二手(ふたて)越し」と呼ばれています。」

 

      沼     津市歴史民俗資料館

  御用邸記念公園の奥にある「沼津市歴史民俗資料館」は
  沼津市周辺の
民俗、歴史資料を広く収集し、展示公開している。

  1階 特別展や企画展の展示室

  2階 常設展示室があり、駿河湾を中心とした
    漁具類や沼津の地場産業となった干物作りの道具や
    江戸時代に沼津の名物だったかつお節作りの道具など
    原・浮島地区における湿田農耕関係の資料を展示している。



静岡紀行 沼津市 沼津御用邸 5

2018-12-29 | 国内・静岡

 

                  「本邸の規模と室名」


  表御在所から侍従室まで 室の数95室に及ぶ。(大正11年当時)


 

                 現在の配置図

 

  

 

         窓ガラス

    ガラスは一枚一枚ドイツで手作りされた。
   凹凸があるガラスと木枠が昔の雰囲気を偲ぶ。

     

                  中庭

 

               調理所外観

  右の小屋は「湯沸所」ここで湯を沸かし

  調理所 湯殿に運んでいた。

  また 火廻りには注意が払われ 裸火を使うにはこの一角だけで

  暖房等は電気式になっているという。