あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

中欧旅行(141) 国会議事堂

2012-07-31 | 中欧5カ国紀行

 

 

    ドナウ川向こうの中央に見えるのが1896年に造られた国会議事堂で
     ロンドンの国会議事堂を真似て建設されている。
 

    国会議事堂は 二重帝国時代のハプスブルグ家が
     ハンガリーを支配するといった時代に、
      建国1000年祭博覧会の開催という国を挙げた 博覧会を催すことになり
       これをきっかけに 初めて国家力を示すため 
     691もの部屋があり 階段や廊下に敷き詰められた
       絨毯の総延長は20kmにも達するなど
   
          豪華に国会議事堂が造られている。
 

    また 国会議事堂と聖イシュトヴァーン大聖堂は 
     建国1000年祭博覧会にちなみ 建設1896年の下二桁にあわせて
       96mの高さになっている。

         当時から、96m以上の建物は禁止されていて
           現在でも そのため町並みは整然としている。

   ハンガリーの国会は一院制で 定数386 任期4年になっている。

 

 


中欧旅行(140) くさり橋

2012-07-30 | 中欧5カ国紀行

 

              鎖橋    先に見える尖塔は聖イシュトヴァーン大聖堂

 

   ドナウ川は左 (北) から右 (南) に向かって流れている。
    川の手前がブダ側、対岸はペスト側。

  このブタとペストを結ぶ主な橋は
  上流からアルバート マルギット くさり エルジェベート
     自由 ペテーフィの6つの橋が架かる。

   その一つ 「くさり橋」は1849年に(戦争で破壊され
     1949年復元)完成され
ブタとペストを結んだ最初の橋であった。
       戦争でナチスドイツにより破壊されたが1949年に復元されている。

   この橋は 鎖の技術を使って造られていることから
   また 夜ライトアップされた橋の電球が、光のくさりのように
     見えるから"くさり橋"と呼ばれているとか諸説ある。 

    正式名称は "セーチェーニ鎖橋"という。 
       (発起人でもあり資金調達した人の名から)

    
    
先に見てきたプラハの「カレル橋」と地理的に
     王宮と市街地を結ぶことでは似ているが
        こちらは自動車も通り大きさが違う。(長さ370m、幅16m)
 

    橋両端の親柱にある4頭のライオンの像は
     ブダペストのシンボル的存在である。

       このライオン 口は開いているが舌が無いことから
         このライオンは歴史の証人であり

          「余計なことは喋るな!」ということで
              舌が抜かれたという逸話がある。

 


中欧旅行(139) 漁夫の砦

2012-07-29 | 中欧5カ国紀行

 

 

   鎖橋を渡ったところ 目の前に聳える 「漁夫の砦」がある。

   この変わった名は 中世 このあたりのドナウ川では魚がよく捕れ
    
漁夫の生活も豊かだったという。
      
そのため 城塞はドナウの漁業組合が守り
        外敵の侵入を防いだことから 
由来する名なのだそうだ。
          また このあたりには魚市場も立っていた。
 

   しかし、砦はオスマントルコにより破壊されてしまった。

   現在の砦は1905年に 後ろに見える聖マーチャーシュ教会と
    ともに建設されたものである。

 

 

 


中欧旅行(138) 三位一体の像

2012-07-28 | 中欧5カ国紀行

 

             マーチャーシュ教会の前に建つ 三位一体の像

   王宮の丘の中心地 「三位一体広場」の中央に

    大きなバロック様式の像がある。


  中世ヨーロッパで蔓延して怖れられたペスト(黒死病)の

    終焉を記念し
 再び悪病がはやらぬよう魔よけとして

     18世紀に建造されている。

  「三位一体像」は これまでに訪れた街にもあり

   いかにペストが広範囲に猛威をふるったかがわかる。


  


中欧旅行(137) マーチャーシュ教会 

2012-07-27 | 中欧5カ国紀行

 

 

  漁夫の砦・三位一体像の前に聳える 「マ-チャ-シュ教会」は

  ウイ-ンのシュテファン大聖堂にならって
   造られたゴシック様式の教会で

    マ-チャ-シュ王の時代に精巧な石の80mの尖塔が建てられて
      王宮の丘のシンボルの尖塔となったことから
       マーチャーシュ教会と呼ぶようになった。

  「マーチャーシュ教会」の正式の名は「聖処女マリア教会」
   
また カーロイ・ローベルト フランツ・ヨゼフ カーロイ4世の3人が 
     ここで戴冠していることから、「戴冠教会」とも呼ばれる。
 
   教会は 第2次世界大戦中は空襲で屋根は全焼し

     アーチの破損もひどかったが 修復作業により、
       現在のゴシック様式の姿に復元されている。
   
   ハンガリーに数ある教会の中でも最も美しいと言われており

    7000本のパイプを持つパイプオルガンがあることも有名。

 

 


中欧旅行(136) みやげ物店

2012-07-26 | 中欧5カ国紀行

 

 

  ツアー恒例の みやげ物店への案内で
     漁夫の砦近くの”ハンガリーみやげ店”へ。

  天井からは 手編み刺繍レースが下がっている。
    これがなかなか高額でした。


  男には あまり興味がなく 店内を冷やかしで見ていたら
   場違いとも思う 一時ブームになった
     “ルービックキューブ”が飾られていた。

  そうこの“ルービックキューブ”は
    ハンガリー人(建築学者 エルノー・ルービック)が
     考案したことを思い出した。

 


中欧旅行(135) 郵便ポスト

2012-07-25 | 中欧5カ国紀行

 

  
  王宮の丘を 移動中 郵便局を見かける。
     郵便局とは思えない佇まいで 
    また 脇に見えるポストも ユニークな形をしていますね。

  ハンガリーの郵便事情は 土・日は集配は無く
   月~金曜日は1日1回とのこと。

  日本への航空便の場合
   
「普通郵便」で1週間前後 かかるそうだ。

     普通便料金は はがき:  270フォリント ( 91円)
               封書 :  310フォリント (105円)

   因みに ブダペストは1~23の区に分かれており
     王宮一帯は第1区になる。

 


中欧旅行(134) ゲッレートの丘

2012-07-24 | 中欧5カ国紀行

    

       椰子の葉を掲げる自由の女神像
                    左に見える像は 聖火を掲げる青年


  ブダペストの南西に ドナウ川とブダペスト東岸が
    一望できる高台(標高235m)
にゲッレールトの丘がある。

  その名は 11世紀にキリストを伝道した
    宣教師ジェラルド・ゲッレールトの名からきている。

  ゲッレールトは 初代国王イシュトヴァーンの右腕として
   イタリアから招かれて 当時活躍していたが 
     イシュトヴァーンが亡くなった後 異教徒によって 
       手押し車に縛り付けられた状態で 
         崖の上からドナウ川に突き落とされたと言われている。


  第2次世界大戦では 軍事的に重要な高台であったため
   ナチスドイツにより 占領されていたが

    ソ連軍によって ナチスドイツ軍を追い払ったことにより
     ハンガリーをファシズムから解放したということで
      ソ連軍の勝利を記念して
       ソ連側により 自由の女神像が建てられた。

  しかし 大戦後は共産党時代に突入し 
   本当の意味で“自由の女神”になったのは

     1989年の“ ベルリンの壁崩壊” 後になってからだったという。

 

 


中欧旅行(133) トゥルル

2012-07-23 | 中欧5カ国紀行

 

   セント・ジョルジ広場(王宮の北側)にある王宮の門


  建国の父アールバードを生んだとされる

    伝統の鳥「トゥルル」の像が見える。

  神話上の鳥で ハンガリー建国に尽力したアルパードを

    導いたとされる伝説の
鳥だそうだ。

 


  こちらは漁夫の砦

   初代国王聖イシュトヴァーン像の前では

     中世の装束を着た鷹匠が腕に乗せた

       “トゥルル?”と記念撮影(有料)のようです。


中欧旅行(132) マーチャーシュの噴水

2012-07-22 | 中欧5カ国紀行

     王宮・ナショナルギャラリーの中庭にある「マーチャーシュの噴水」

 

  この噴水は 王宮がネオバロック様式に改築された際に

  王宮の建物の外壁に調和するように アール・ヌーヴォー様式にして

  1904年に建造された。


  若き日のマーチャーシュ王の狩りと 

  伝説の美少女イロナと王の鷹が彫刻されている。

    また ブダの”トレビの泉”ともいわれていて

   噴水の中には 小銭が投げ込まれていた。

  


中欧旅行(131) 国立ダンス館

2012-07-21 | 中欧5カ国紀行

 

 

  王宮の丘に入って 一番目の建物

  元は王宮劇場だったが 2001年から ハンガリーダンス芸術の劇場となった。

  民族ダンスをはじめ、バレエ、モダンダンスまで 幅広い分野が紹介される。

  入り口脇は かつて ベートーベンが ここでコンサートを挙げた記念として

  若き日のベートーベンの彫像が飾られている。 

 

 

 


中欧旅行(130) 王宮の丘

2012-07-20 | 中欧5カ国紀行

 

                     王宮の丘から見るブダ地区

  朝一番 王宮の丘へ

  王宮は ドナウ川西岸のブダ地区の
   高さ60mほどの丘の上に建っている。

  1242年にハンガリー中興の祖であるベーラ4世が
   居城を兼ねた砦を建設したのが歴史の始まりと言われている。

  現在の王宮は ブダペスト歴史博物館 ナショナル・ギャラリー
     医学史博物館 国立セーチェニー図書館となっている。
 

  この王宮は ハンガリーがオスマン・トルコやハプスブルク家などの
    他国によって統治される中で、幾度となく破壊等が行われ
      また 第二次大戦やハンガリー動乱時にも破壊された。

  その後 1980年代になって現在のように再建されている。

 

    王宮の丘の見取り図
     丘の左(北)には歴代の王が戴冠式を行ったマーチャーシュ教会
       右(南)方向には王宮がある。

 

 

 


中欧旅行(129) ブダペスト

2012-07-19 | 中欧5カ国紀行

 

         

  ブダペスト “ブダ”は スラブの水の意味とか
    フン族のアッティラの兄弟の名前に因むとか
諸説ある。
     また “ペスト”は竈の意味があり 
      1873年にオーストリア・ハンガリー二重帝国が成立したとき
       その二つがくっついて都市名となった。

  ハンガリーの首都として 人口180万人
    ドナウ川をはさんで 東岸ブダと 西岸のペストが橋で結ばれて
     街の美しさから「ドナウの真珠」ともいわれている。

  一方 ハンガリー語は ヨーロッパの中央に位置していることから
   東洋的な文化と、西洋的な文化が交差する独特な雰囲気を持ち
    どのヨーロッパ言語にも属さなく 
     
世界で11番目に多く使われている言葉だそうだ。

   また 歴史的背景で培われてきたハンガリー文化も
    世界的にも誇れる 食物 温泉 ワイン 音楽 等を生み
     活気のある都市となっている。

 

             王宮の丘にある 大統領執務館 

   ここの主も この4月に 博士論文で盗用があったことで辞任している。    
            
           EUには 
2004年に加盟している。

 


中欧旅行(128) ヴァーツィ通り

2012-07-18 | 中欧5カ国紀行

 

 

  就寝前の時間を利用して
    夜のブタペスト メインストリート「ヴァーツィ通り」へ 

  ヴァーツィ通りは 南端は中央市場 
   北端はヴルシュマルティ広場までの
     種々な店が立ち並ぶショッピング通り。

  ここに来ればハンガリーの名物がすべて揃うといわれる。

  また ハンガリーらしさを味わえるいろんなカフェ レストランも
   軒を並べているところだが  時間も遅く 人でも少ない。

  しかし クリスマス後ではあったが 
    まだイルミネーションにも灯があり
 出店も出ていた。

 

 


中欧旅行(127) ブダペストの夕食

2012-07-17 | 中欧5カ国紀行

 

 

  ブラチスバラからバスで 夜のブダペストに到着 即夕食へ 

  メニューは 肉と野菜を煮込んだ
   シチューのハンガリー・グヤーシュ

     バブリカソースで骨付き肉を煮込んだバブリカチキンだった。
 

  また 店内には ヴァイオリンと チェロ アコーデオンの
   流しの演奏隊が 
各テーブルを回っている。

  我々のテーブルでも演奏が行われ 我々が日本人と分かると
    「上を向いて歩こう」などを演奏し 
      なかなか終わらないので チップをあげたら
        
サッサッサと向こうに行ってしまった。