あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ポルトガル紀行29 ギマランイス14 庭園と教会  

2019-04-30 | ポルトガル紀行

 

 

 

  聖母サントス・パソス教会前に 
  
  長くのびる花畑 ペーニャの丘を背景に

 
  この細長く整備された庭園は

 「Largo  Da Republica Do Brasil 」

 「ブラジル共和国庭園」とある。
 

  ブラジルとどのような関係で命名されたか分からないが


  思うに 南米で唯一ポルトガル語を話す国は


  ブラジルであることから親しみを込めてからかな?

 

                教会から
 

     今まで見てきた教会で 

    こんなに素晴らしい舞台装置を持ち

    絵になる教会は  なかったように思える。

 

   

 

 

 

 

 


ポルトガル紀行28 ギマランイス13 美術館と祠  

2019-04-29 | ポルトガル紀行

 

            アルベルト・サンバイオ美術館

 

  ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会の

  修道院部分を利用した美術館で 


  13世紀ロマネスク様式の回廊が美しい。

  宗教画や彫刻のほか ギマランイス出身の

  彫刻家アントニオ・ヴァスの絵画

  ジョアン1世がアルジュバロータの戦いで

  着たとされる上着などが展示されているという。

 

                        

 

  アルベルト・サンパイオ美術館の脇


  キリスト受難の場面を再現した祠があった。

 

     ギラマンイス 街の角々に 

  日本の地蔵さまのように 

  身近な祈りの場としてあるようだ。

 

  どの祠も花が飾られ 開閉できる扉があって

  町内会の当番制?で 守られているようだ。

    

   

           こちらは サンタ・マリア通り角

 

 


ポルトガル紀行27 ギマランイス12 アーチとオリーブ樹 

2019-04-28 | ポルトガル紀行

   

 

 

  教会前のアーチは

  1342年に造られたといわれている。


  これは 1342年 イスラム教・ムーア軍との戦いに

  勝利したことを記念して造られた。

 

  このアーチが 完成した時に
  
  教会前のオリーブの樹が

  突然葉を出したという伝説があり


  それにより この教会は「オリーブの樹の聖母教会」と

  呼ばれるようになったという オリーブ伝説がある。


  なお このオリーブは

  イスラエルからもらい受けた2代目だという。

 

  
      アーチ内の十字架

 

 

 


 

 


ポルトガル紀行26 ギマランイス11 ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会  

2019-04-27 | ポルトガル紀行

 

 

     ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会とアーチ

 

  ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会は
  
  12世紀に建立された教会。

  
  この場所には ムマドナ女伯爵が10世紀に
  
  創設した修道院が建てられていたが


  オーリッケの戦いの勝利を神に感謝するため
  
  アフォンソ1世により 新たに教会が建立された。


  
  14~15世紀にかけて ジョアン1世が
  
  アルジュバロータの戦いの勝利を記念し

  
  ロマネスク様式の教会を取り壊して拡張工事により

  
  1505年にマヌエルの塔が建立され
  
  16世紀には 現在の姿の教会が完成している。


  
  教会内では 日曜のミサが行われていた。

 

 

 

 

 


ポルトガル紀行25 ギマランイス10 教会のある広場 

2019-04-26 | ポルトガル紀行

 

              サンティアゴ広場

 

     

            オリベイラ広場 

  オリベイラ広場とサンティアゴ広場が隣り合っている。

  旧市庁舎の北側が サンティアゴ広場で

  広場を囲むように古民家が並ぶ。

  
南側は オリベイラ広場 

  その東側ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会が

  広場を見下ろしている。

  
  民家に寄り添うように教会があり 広場がある
  
  庶民に密着した教会であることが うかがえる。

  
  両広場に面して カフェがありテーブルが

  客待ちしている。

 

 

 


ポルトガル紀行24 ギマランイス9 ホタテ貝 

2019-04-25 | ポルトガル紀行

     

 

 ギラマンイス城→ブラカンサ公爵館→カルモ公園
 →サンタマリア通り→サンティアゴ広場と下ってきた。

 

                         

  

  サンティアゴ広場に
  その名の通り聖地サンティアゴの方角を示す

  「ポルトガル人の道」の道標・ホタテ貝があった。

  なお リスボンから
  サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの
  道のりは約615Kmになる。

  

  ここでガイドから質問が

  「聖地サンティアゴの方向はどっちでしょうか?」

  このホタテ貝は聖地サンティアゴでだいぶ見てきたが
  方向は漠然と 筋が広がる方向が行先かと思っていたら。

  「ホタテ貝の〇があるほうが聖地サンティアゴで

  あらゆる方向から〇印を目指すように・・・。」
  との答えであった。

 

  なるほど 壁や柱にホタテが下がるときは
  天地を指してしまうため

  黄色い矢印が付け加えられて
  あるのだと納得でした。

 

 


ポルトガル紀行23 ギマランイス8 旧市庁舎 

2019-04-24 | ポルトガル紀行

 

       オリベイラ広場側から見た旧市庁舎 

   
  
奥のサンティアゴ広場とオリベイラ広場は
  この旧市庁舎のアーケドで行き来できる。

  上に立つ像は初代国王アフォンソ1世かな?

 

       こちらは現在の市庁舎

 

         

 庁舎に市の旗(右側)

  都市の中心部である旧市街は
  南北に約850m・東西に約250mの
     狭い区域であり

  ポルトガル王国の建国後に
     建てられた歴史的建築物が並ぶ。

  2001年 旧市街は
   「ギマランイスの歴史地区」として
  世界遺産に登録された。


  地元紙の調査によるとギマランイスは
  ポルトガルで2番目に住みよい環境の
     町であるとの評価があった。

  
     一位は リスボンか ポルト 
     それとも他の都市?




ポルトガル紀行22 ギマランイス7 サンタ・マリア通り 

2019-04-23 | ポルトガル紀行

      

            渡り廊下があるサンタ・マリア通り

 

  ギマラインス城からさらに下り
  サンタ・マリア通りを通って

  サンティアゴ広場へと向かう。

  当日は日曜日 商店は締まり
  観光客の来る時間前なので閑散としていて
  我々のみの歩行者天国でした。

    

       中世の住まいが立ち並ぶ石畳の小道 

     

        この狭さ 当然車両は進入禁止

 

 


ポルトガル紀行21 ギマランイス6 カルモ庭園 

2019-04-22 | ポルトガル紀行

 

 


  一本杉の並木通り
 (ラルコ・マルティンス・サルメント)を下ると
  公園の手前で分かれ道になるが
  この公園は「カルモ庭園」
三角の形をしている。

 

 

  左の坂道にカトリック教会が
   二つ並びその先に修道院がある。


 

 

  手前の教会の壁面に 美しいアズレージョ?
    
よく見るとフレスコ画であった。

 


  隣の建物 扉に「Lar De Santa Estefânia 1863」

  (ラール・デ・サンタ・エステファニーア:
    児童と青少年のための家)とあり

  かつては 教会や修道院だった建物が
  現在は慈善事業機関のようで

  保育園などの事業を行っているようだ。

 


  中を覗くと スペイン調のテラス


  今日は日曜日 子供たちの姿はない。

 

 


ポルトガル紀行20 ギマランイス5 ブラガンサ公爵館 

2019-04-21 | ポルトガル紀行

 

  重厚な石造りと30本以上もあるレンガの煙突が印象的



  ギマランイス城の南側に 
      ブラガンサ公爵館がある。


  ブラガンサ公爵館は
  アヴィス朝を創始したジョアン1世の息子で
  初代ブラガンサ公爵となった
  ドン・アフォンソによって1401年に建てられた。

  なお ドン・アフォンソは
     ポルトガル王国・アヴィシュ王朝の
  創始者であるジョアン1世の息子で

  エンリケ航海王子とは兄弟。

  建物は フランス・ブルゴーニュ地方の
     影響が色濃く 煙突や
     レセプションルームの天井などが

  その特徴をとらえている。

  16世紀にブラガンサ公爵家が
  ヴィラ・ヴィソーザに移ってからは
     廃墟になっていたが

  現在は改修され 公開されており
  中庭を囲む美しい回廊や
15世紀から18世紀に
  かけての工芸品や美術品が展示されている。


  また 政府の公館として国賓などの
  接待場としても使われている。 

 

 


ポルトガル紀行19 ギマランイス4 アフォンソ1世像  

2019-04-20 | ポルトガル紀行

 

        アフォンソ1世像とギマランイス城

 

  ギマランイス城を見上げる広場の一角に
  
ポルトガルの彫刻家ソアレス・ドス・レイの作品である
  アフォンソ・エンリケス像がある。

   アフォンソ・エンリケスは 
  宗主国カスティーリャ=レオン(現在のスペインの一部)の

  国王アルフォンソ7世に叛旗を翻してこれを破り
  ポルトゥカーレ公爵として独立する。


  このことが ポルトガルの名前の由来となった。


  その後 イスラム勢力に大勝すると
  1139年 機に乗じてポルトガル王アフォンソ1世と
  名乗る。


  1143年 ローマ教皇によってポルトガル王位が承認され

  ポルトガルは正式に独立国となった。

 

 


ポルトガル紀行18 ギマランイス3 サン・ミゲル教会  

2019-04-19 | ポルトガル紀行

 

 

  ギマランイス城から少し下ったところに
  サン・ミゲル教会がある。
  

  アフォンソ・エンリケスが
      洗礼を受けた教会だというが

  何の飾りもなく 倉庫かと思えるような雰囲気。

  12世紀に建立されたロマネスク建築の建物で
  一度壊れたため 20世紀になって再建された。

  
       一方 1870年にその地位が格下げになり
  その後 人々の協力によって 修復されたという説もある。

 


  しかし 床石だけは当時のもの
  その下は お墓になっているということで

  周りを歩くようになっている。

 

   アフォンソ・エンリケスが 洗礼を受けたという聖水盤

 

 


ポルトガル紀行17 ギマランイス2 ギマランイス城   

2019-04-18 | ポルトガル紀行

 

                  ギマランイス城 (裏側)


  旧市内の見学は 先ず町の小高い丘にある

  ポルトガル王国の初代国王になった
  ファソン・エンリケ(アフォンソ1世)が生まれた

  ギマランイス城から。

  城は10世紀に建造され
  12世紀に現在のロマネスク様式になる。


  ムーア人の攻撃から防御する目的で
  建てられた城砦のため 
  石造りで見るからに頑丈そうな城を見ていると

  スパーマリオのクッパ城を思い起こした。

     


  城には7つの塔があり、
  28mの塔からはギマランイスの町並みが

  一望できるが 入場せず外周する。

 

         ギマランイス城(正面側)

 

  アフォンソ・エンリケス(=アフォンソ1世)は、
  1109年7月25日 
この城内で産声を上げたという。 

  ブルゴーニュ家出身の父の後を継で
  ポルトゥカーレ伯になり

  その後 カスティーリャや南部のイスラム勢力との
  戦いなどで勢力を拡大し

  1143年にポルトガル王国を建国して
  初代の王に就任した。


  後に 1179年、教皇アレクサンデル3世から 
  ポルトガル国王としの承認を得て

  国際的にも認められて 
  1185年に亡くなるまで在位した。

  なお 出生年については 
  1109年か1112年かで資料によって違い
  決定していないようだ。



              


ポルトガル紀行16 ギマランイス1   

2019-04-17 | ポルトガル紀行

 

                              車窓から

  旅行3日目 朝一番 ポルトから
  北東約 60km先にあるギマラインスへ。


  旧市街の入口にある
  街で一番賑やかなトウラル広場にさしかかる。


  建物の壁には「AQUI  NASCEU  PORTUGAL」
  (ここにポルトガル誕生す)とある。


  ギマラインスは初代ポルトガル国王
  アフォンソ・エンリケス生誕の地。

  ギマランイスは「ポルトガル発祥の地」とか
  「建国の地」「ポルトガル揺籃の地」とかいわれている。



 

   人口 16万人余りの中都市
  旧市街は 東西250m、南北850m。

  アフォンソ1世が生まれたというギマランイス城や

  12世紀に建造されたサン・ミゲル教会など
  60もの歴史的な建造物が残っている。

   2001年にギマランイスの歴史地区として
  世界遺産に登録された。

 

 


ポルトガル紀行15 ヴィアナ・ド・カステロ15 エッフエル橋   

2019-04-16 | ポルトガル紀行

 

               サンタ・ルジア山から

 

  リマ川に架かる橋 エッフェル・ブリッジ 

  エッフェル橋 設計は、
  パリのエッフェル塔のエッフェルで
  1878年に完成。

  長さ645m 上を車と人、
  下を鉄道が走る二階建ての構造になっている。

 

                  車窓から

  ヴィアナ・ド・カステロの見学を終え
   約75km先 ポルトへ向かう。