静岡県・沼津から神奈川県・横須賀へ
記念艦・三笠を訪れる。
戦艦「三笠」は 1902(明治35)年にイギリスで建造された。
日露戦争では東郷平八郎司令長官が乗艦する
連合艦隊の旗艦として大活躍している。
特に 1905(明治38)年の日本海海戦では、
ヨーロッパのバルト海から派遣されたロシアの
バルチック艦隊を対馬沖で待ち構え
集中砲火を浴びながらも勝利した。
1923(大正12)年に現役を退き
3年後に記念艦として横須賀に保存されたが
第二次世界大戦後 占領軍の命令により
主要部分の大砲、マスト、艦橋などが
撤去されてしまった。
その後 「三笠」の復元の声が内外で高まり
募金やアメリカ海軍の支援などにより
1961(昭和36)年 現在の姿に復元された。
1992(平成4)年 海事遺産賞受賞した。
白い砲弾は 戦艦「大和」の主砲弾
横断幕にある「世界三大記念艦」とは
日本の「三笠」 イギリスの「ヴィクトリー」及び
アメリカの「コンスティチューション」をいい
自国の独立を守るための重要な海戦において勇敢に戦い
歴史的な勝利を収めたことから
世界の三大記念艦といわれている。
「記念艦三笠の由来」の説明板
艦名「三笠」は山の名の「三笠山」から命名された。
因みに “艦名” については 資料によれば
明治時代に名づけのルールが決り
その例は 次のとおり。
戦 艦 →国名 (大和,武蔵)
巡洋戦艦 →山の名(金剛,霧島)
一等巡洋艦→山の名(古鷹,羽黒)
二等巡洋艦→川の名(多摩,天龍)
航空母艦 →飛行する瑞兆動物の名(翔鶴、飛龍)
「Z旗」は 万国船舶信号旗で
緊急事態に処するための大いなる
努力の要求を意味している。
二本の対角線で四分され
黄(上)・黒(左)・赤(下)・青(右)の
四色に染め分けられている。
旧日本海軍では 日露戦争の日本海海戦以来
「皇国の興廃この一戦にあり、
各員一層奮励努力せよ」との
趣旨の信号文にあてられた。
左舷に突き出た副砲が並ぶ。
下層の副砲の方向は固定式になっている。
現在の三笠は地面に固定されているが
これには訳がある。
ワシントン海軍軍縮条約(1921~1922年)により
米・英・仏・伊と日本の戦艦・航空母艦等の
保有の制限が取り決められ 三笠は廃艦が決定した。
しかし 輝かしい戦歴がある三笠
国民の保存運動により解体は免れたが
現役に復帰できぬようにと
大阪城ならぬ船体外周部に大量の砂で埋められ
船底(下甲板)にはコンクリートが注入された。
二度と海へ出航できない状態という条件で保存されている。
艦首飾り
「三笠」は皇居に正対しており
艦首には艦首飾り(菊花紋章)が付けられ輝いている。
中央展示室
こちらは 竣工時から1987(昭和62)年まで
装着されていた艦首菊の御紋章。