あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

広島旅行(30) 夕焼け

2015-05-06 | 国内・広島

 

   広島空港で 窓の外を見ると 鮮やかな「夕焼け」!


   「昨日は長靴を履かなければ歩くこともできないほど雨が降った。」と

土産店の店員がいう。

   台風の接近で 天候を一番心配していたが

 ツアー最後は


   この夕焼け空が 今回の旅行の締めくくりとなり

   思い出の1ページに加えることになった。

 20:40 広島空港を飛び立つ。 



   


広島旅行(29) お好み焼き

2015-05-05 | 国内・広島

 

空港内で夕食をとることになり

広島の最後は 野菜でボリュームたっぷり 分厚い

名物「広島風お好み焼き」で

今回のツアーは1泊2日で忙しく廻ったが 

内容は濃く いろいろな場面を反芻しながら 味わう。  

もちろん「カキ」も食べ直しをしました。

 


広島旅行(28) 化粧筆

2015-05-04 | 国内・広島

 

広島空港内に「筆ハ道具ナリ」の看板があった。

 よく耳にする「熊野の筆」というから 伊勢の熊野かと思ったが 

広島県安芸郡にある熊野町で 

広島市から東南へ約12km 呉市に接している。

熊野の筆づくりは 江戸時代の末に始まり

 今は 
全国生産80%以上を占めて「筆の都」として

 町のキャッチフレーズにもしている。


筆の形も多くの種類があり 柄の色や長さ 毛質の違いなどさまざまだが

近年は 化粧道具の筆として見直され 女性に人気が出て

日本にとどまらず 世界の最高品質として 大いに売れているとか。


因みに 筆を作る工程は70以上もあって

 そのほとんどが手作りだそうだ。

その筆先(穂首)の材料も 

馬 タヌキ イタチ 鹿 山羊などの毛が使われるが

毛の性質を読み取り 筆にすることは機械化できず 

長年の経験と技術をもつ熟練した職人の勘が必要になるという。
 

 “母の日”も近い プレゼントに一ついかがでしょうか。

 


広島旅行(27) 広島空港

2015-05-03 | 国内・広島

 

2日間のツアーも大詰めとなり 

宮島から 高速道路を経由し40分ほどで

 広島空港に到着する。


広島空港は 1993年に開港し 

広島市中心地から北東部 約50kmにある。

山を切り開いて造成された空港で標高も330mあって

山間部のため気象条件が変化しやすく 

良く霧が出る傾向があり 欠航が多いとされていた。

それが 2015年4月14日に 

アシアナ航空機が 進入機器に触れて 滑走路から逸脱し 

27名の負傷者をだす 着陸失敗事故になってしまった。

 この事故も 広島空港を利用した者にとっても 

先の土砂災害と並び 驚くとともにショックであった。

 
 広島空港進入灯

 

 

 


広島旅行(26) 広島大災害

2015-05-02 | 国内・広島

 

 今回のツアーは7月であったが 

その翌月 2014年8月20日に 

広島市北部の 安佐北区や 安佐南区などの


住宅地に豪雨に伴い 後背の山が崩れ

同時多発的に 土石流が発生し

死者74人 重軽傷者44人 全半壊の家屋は250を超える

 大規模な 土砂災害が 起こってしまった。

旅行の時点では そんな大災害が起こるとは思ってもいなかった。

 しかし 各地で宅地開発が行われているが

他の町にはない この景色を見て 

災害発生の場所ではないが

なぜか レンズを向けていた。

 

 


広島旅行(25) しゃもじ

2015-05-01 | 国内・広島

 


宮島杓子の由来は

1800年 寛政の頃 
神泉寺の僧・誓真という人が


弁財天の夢を見て その奏でる琵琶の形の美しい線から杓子を考察し

御山の神木を使って作る
ことを島の人々に教えたそうだ。


この神木の杓子で御飯をいただけば

ご神徳を蒙り 福運を招くという 誓真上人の高徳とともに


宮島杓子の名声は世に広く伝わった。


今は その伝統を生かして 

各種の調理杓子や お玉杓子などが 作られ売られているが

日清・日露戦争時に「敵をめしとる(飯取る)」という意味から

 また現在では「幸運をめしとる」などの縁起物として土産品になっている。


表参道商店街の一角には「世界一大きい宮島の大杓子」が
 
杓子発祥の地である 宮島のシンボルとして 展示されている。


その長さ 7.7m 最大幅 2.7m 重さ 2.5トン
あるそうだ。


 


広島旅行(24) もみじ饅頭

2015-04-30 | 国内・広島

 

宮島は 牡蠣に続きもう一つ 

宮島銘菓「もみじ饅頭」が売りものだ。

当方も「もみじ饅頭」を土産にした。 

明治の後期に 和菓子職人 高津常助により

考案されて商標登録されて


当時の焼き型は

「7つの切れ込みのある葉に短い葉柄があり

二頭の鹿を描いた」そうだ。

今はその期限も過ぎ いろいろな店から売り出され

 味や売上高で競っている。


小麦粉・卵・砂糖・蜂蜜を原料とするカステラ状の生地でアンを包み


モミジの葉をかたどった型に入れて焼き上げる。

アンはこしあんが基本で 

製法については どの製造元でも

機械化されていてほぼ同一である。

 


広島旅行(23) カキ

2015-04-29 | 国内・広島

 

ツアーコースに組み込まれている 土産物店へ

ここで「焼きカキ」のサービスがあった。

しかし 焼きたてではなかったので イマイチでした。

これから行く 広島空港で あらためて食べ直して味わったが。

広島の「カキ」の生産量は 全国1位。

2011年の全国の総生産量は2万9596トン(むき身)

そのうち1万9418トンで 65.6% が広島県が占めている。

第2位の宮城県の3倍以上になるとのこと。

また 広島湾には島や岬に囲まれ 波が静かで潮の流れも適度にあり

かきの生育の条件が揃って 

養殖筏が安全に設置できるのも養殖場の条件になっている。

さらに 県独自に条例を定め

食品衛生上の安全対策にも心がげているそうだ。

 

 


広島旅行(22) 第72番札所

2015-04-28 | 国内・広島

 

町並みを行く途中 広島新四国八十八ヵ所の

第72番霊場である「存光寺」があった。

広島新四国八十八ヶ所霊場は、1918(大正7)年に

広島市を中心として安芸地区に開創された。


その後 広島の原爆投下により巡拝不可能な状態となったが

1973(昭和48)年 弘法大師生誕1200年を記念して

八十八霊場が復活再興されている。

八十八ヵ所のうち 宮島にはこの他に5か所の霊場がある。

ここは 厳島の戦いで亡くなった陶軍の兵を慰霊するために

舞った湯立神楽が奉納されたという。


また 中堂には目の不自由な方に

ご利益があるとされる薬師様が祀られているが

この薬師堂は 出雲の一畑薬師から

十二支神を持ち帰って 開いたとされる。


なんと 出雲の旅で話題にした「一畑薬師」が

 ここでも ご縁があった。

 


広島旅行(21) 後白河法皇

2015-04-27 | 国内・広島

 

本殿の裏手には、「後白河法皇御行幸松」の遺木が安置されている。

1174(承安4)年に 後白河法皇が厳島神社を

参拝した際に 御手植えされた松という。

しかし 明治初期に 切り倒されており 

今は枯れて 内側は空洞になっている。

 「触るとご利益がありますよ~」と説明があるが

 金網に囲まれており


どこを触ればよいのかな・・・。


2012年のNHK大河ドラマ「平清盛」では 

松田翔太が 後白河法皇を演じていたが


白河法皇の伊東四朗のほうが

強く印象に残っていて目の前に現れてきた。

 

 


広島旅行(20) 反橋

2015-04-26 | 国内・広島

 

 

  

国の重要文化財になっている「反橋」(そりばし)がある。

この反橋は 西の回廊に接続しているのだが 

丁度 架け替えの工事中であった。


しかし “そり” といわれる構造が良くわかる。

1557(弘治3)年 毛利元就・隆元親子によって造築されたもので

擬宝珠の一つに その刻銘が残っているとのこと。

かつては 重要な祭事の際 

勅使がこの橋を渡って 厳島神社に入ったことから


勅使橋(ちょくしばし)とも 呼ばれている。

 ただ 橋の反り(勾配)が強いため 

床板の上に仮設の階段を設けて渡ったそうだ。

 


広島旅行(19) 大願寺

2015-04-25 | 国内・広島

 

 

参拝を終え 西の出口を出ると すぐに「大願寺の山門」がある、


奥の大願寺の厳島弁財天は「日本三大弁財天」にも数えられている。

 本堂軒下には 錦帯橋の縮小模型が 架けられており

明治時代開催のパリ万国博覧会に 出展されたという。

また 庭の九本松は 伊藤博文 お手植えと伝えられており

 1866(慶応2)年の 第2次長州戦争の際には

幕府の勝海舟と長州藩の広沢真臣が 

止戦会談をした場所でもあるそうだ。

 



 


広島旅行(18) 能舞台

2015-04-24 | 国内・広島

 

朱色の厳島神社の中 

黒みかかった木肌の姿の「能舞台」が建っている。

全国で唯一海に浮かぶ能舞台だそうだ。

江戸時代の1680年の建築で

桁行1間 一重切妻造り 妻正面 桧皮葺で


 国の重要文化財になっている。 

 なお 海上に建っているため 床がよく共鳴するそうで 

足拍子のたびにいい音が響き

潮の満ち引きによっても 音の響きが変わるとか。

 毎年1回 全国の能楽師が集まり

 3日間奉納の舞をするそうだ。


これは 毛利元就が 感謝の意を表すことから始まったという。

 


広島旅行(17) 平舞台

2015-04-23 | 国内・広島

 

「高舞台」の先に大鳥居に向かって伸びる回廊を「平舞台」という。

寝殿造りの庭にあたる部分で 約553㎡の広さがあり

つまり 高舞台は この平舞台の上に乗っていることになる。

1176(安元2)年 平氏一門が社参して 「千僧供養」が行われた際

社殿の前方に 仮廊を設けたという記録があり、

こうした仮廊が 常設となったものともいわれている。


広島旅行(16) 高舞台

2015-04-22 | 国内・広島

 

祓殿前にある 黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄をめぐらし

前後に階段をつけた「高舞台」がある。

平清盛が大阪・四天王寺から移したという舞楽が 

この舞台で演じられとのこと。


現在の舞台は 1546(天文15)年 棚守房顕によって造られたが

当初は 組立て式だったものが 江戸時代初期になって 現在のようになったが

舞楽の舞台としては 最小であるとのこと。 

この高舞台は、四天王寺の石舞台(大阪) 住吉大社の石舞台(大阪)と共に

「日本三舞台」といわれている。