あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ポルトガル紀行195 リスボン37 フィゲイラ広場      

2019-09-30 | ポルトガル紀行

 

   サン・ジョルジェ城を背景とする広場

                       

 

 

   広場のジョアン1世像

 

ロシオ広場の東にある
「フィゲイラ広場」へ

この一帯は王立病院があったが
1755年のリスボン大地震で壊滅し

跡地は青空市場の広場になって
1885年屋根のある市場になり

1949年廃止になるまで続いた。

その後広場は、開けた空間となった。

広場中央の銅像は 彫刻家
レオポルド・デ・アルメイダによる
ジョアン1世の騎馬像(1971年建立)


現在 広場は
トラム15番(ベレン方面) 
バス37番(サン・ジョルジェ城方面)が
発着する 交通機関の拠点になっている。

 

 

 


ポルトガル紀行194 リスボン36 缶詰店      

2019-09-29 | ポルトガル紀行

 

 

 

ロシオ広場の一角 
一寸変わった店があった。

なんの店なのか覗くと 

壁一面にディスプレイ
されたものをよく見ると
なんと “缶詰の店” でした。

最初は 店先に観覧車の模型があり
おとぎの国を思わせるので
子供向けのものを
売っているのか思ったが。

 

ポルトガルは 魚の消費量が多く
魚の缶詰が売られている。

特に新鮮なイワシは
オリーブオイル漬けやトマト煮
スパイス風味と種類が多い。

この店の缶詰は
すべてオイルサーディンで
パッケージデザインに

ちょっと工夫されており
西暦が表示されている。

それ故 家族や贈る相手の年の
缶詰を探し記念品として

また コンパクトで
日持ちするので 
お土産として人気があるそうだ。

 

  

 


ポルトガル紀行193 リスボン35 観光案内所      

2019-09-28 | ポルトガル紀行

 

   ロシオ広場南の観光案内所

                       

    インペリオ広場内の観光案内所

 

最初見たとき「キオスク」か?と思ったが

リスボンの観光案内所だった。

 

リスボンは 観光都市 見どころは多く
その移動の交通も いろいろある。


そこで 賢く観光するには
リスボアカード(リスボンカード)の利用。

観光名所が入場無料・割引され
公共の交通機関(地下鉄、バス、
トラム ケーブルカー等)が
乗り放題になる。

また 内容が同じ
ヴィヴァ・ヴィアジェンカード
(24時間券)もある。

これらは この観光案内所で
購入することができる。

 

          

 

因みに リスボアカードは
 24・36・72時間券の三種類があり

ICカードのため
駅の改札や車内の読み取り機にタッチする。

なお 最初にタッチしたときから
24時間のカウントがスタートする。

 

(入場料無料)

・ジェロニモス修道院
・ベレンの塔
・サンジュスタのエレベーター
・アジュダ宮殿 等

 

(入場料割引)

・発見のモニュメント
・サン・ジョルジェ城
・リスボン海洋水族館
・グルベンキアン美術館 等

 


ポルトガル紀行192 リスボン34 マリア2世国立劇場       

2019-09-27 | ポルトガル紀行

 

      正面 ロシオ広場側

 

       ロシオ駅側

 

 

ロシオ広場の北端に建つ建物は
「マリア2世国立劇場」

 

劇場は、1450年に建てられた
古いエスタウス宮殿のあった場所
(ロシオ広場北側)に建てられた。


1755年のリスボン大地震で
倒壊を免れたが 
1836年の火事で全焼してしまった。

女王マリア2世により
ロマン派
の詩人で劇作家でもある
アルメイダ・ガレットの功績に
謝意を示し新しい劇場のため
宮殿跡地が提供され 
イタリア人建築家
フォルトゥナート・ローディによる

ネオクラシカル様式の劇場が
5年の歳月を経て
1846年に完成した。

 


ファサードは 
6本のイオニア式円柱のあるポルチコ
(屋根付き柱廊玄関)である。

ペディメントには、ルネサンス期の
劇作家でポルトガル演劇の祖といわれた
ジル・ヴィセンテの像が立つ。

破風のティンパヌムは、
アポロンとミューズの
彫刻レリーフで装飾されている。


劇場内部には、多くの重要な
19世紀ポルトガル芸術家の
作品で飾られていたが

これらの多くは1964年の
火事で焼失してしまった。

1978年 劇場は完全に修復され
再度落成している。

 

 

 

 


ポルトガル紀行191 リスボン33 ロシオ広場        

2019-09-26 | ポルトガル紀行

 

                奥は マリア2世国立劇場

 

再び バイシャ地区にある
「ロシオ広場」へ


 正式名「ペドロ4世広場」で

ロシオ(公共の広場)という愛称で呼ばれ
東西の丘に挟まれた平坦地にある。


2色のタイル石で波型に敷き詰められた広場に
フランス製の2基のバロックの噴水
そして中央の円柱の頂には

初代ブラジル国王になった
ドン・ペドロ4世のブロンズ像が立つ。

(1874年建立)
かつては民衆の反乱や祝祭
闘牛 公開処刑が行われるなど

中世からの歴史を持つ広場。

 

現在 周囲にはカフェや土産物店が並び
鉄道や地下鉄の駅 バス停などがあって
終日にぎわっている。

 

 


ポルトガル紀行190 リスボン32 リスボン        

2019-09-25 | ポルトガル紀行

 

 

前回 リスボンの市章に触れたので
リスボン市について。

コルシオ広場から
トラム15・18番線が走るコルシオ通り
その一角「リスボン市役所」がある。

左隣は「貨幣博物館」
また通り右は裁判所 
この界隈は官庁街になる。

 

リスボンは 大西洋に面した
ヨーロッパ大陸最西端 ポルトガルの首都
ポルトガル語では「リジュボア」と発音する。

人口約270万人  面積85㎢。

テージョ川の河口から
上流12km右岸にあって 
港を見下ろす七つの丘陵の斜面に拓けた街。

 

歴史的には 古代からフェニキア人などが
利用する良港として栄え、アリス・ウボと呼ばれた。


ローマ、イスラム教徒の
ムーア人に支配されていたが

レコンキスタ(国土回復戦争)で
キリスト教徒の手に戻った後

1260年 アフォンソ3世が
コインブラから遷都して
ポルトガル王国の首都になった。

15世紀から始まる大航海時代には
アジアや南米との交易によって
莫大な富が持たされた。

 

1569年に大流行したペストで
6万人の死者を出し

1531年と1755年には大地震に
見舞われ甚大な被害を受けるなど
これまでに数々の苦難を経てきている。

 

しかし ポルトガルの
政治、経済、文化、教育の
中心として今日まで続き
その街には 大航海時代の名残を
留めるジェロニモ修道院 
ベレンの塔などの歴史的な
建築物を残している。

観光的地域から区分すると

・リベルダーテ通り周辺:
  リスボンの目抜き通り

・バイシャ周辺:
  ロシオ広場とコメルシオ広場の間の広がる

・バイロ・アルト周辺:
  バイシャの西側の高台

・アルハマ周辺:
  バイシャの東側

・ベレンと市西部:
  市中心部からテージョ川に沿って西へ

・市北部:
  新市街 近代的なオフイスビルが建つ


現在は 商工業都市として
石油は 大きな部門を占め
テージョ川を流域では
製油所や織物工場、製粉所、
造船所、漁業などがみられる。

また 主な輸出品はコルク、
魚の缶詰、オリーブ油、樹脂など。

 

 


ポルトガル紀行189 リスボン31 石畳(カルサーダス)        

2019-09-24 | ポルトガル紀行

 

 

地下鉄レスタウラドーレス駅近くに
船のモザイクと大人二人の像があった。

このモニュメントは 
石畳(カルサーダス)職人の
手作業による技術等を称えているという。

 

また 帆船とカラスのモザイクは 
リスボンの守護人聖ビセンテを見守った
2羽のカラスの言い伝えに因んでいる。

また 死とカラスを意味する黒と

聖ビセンテの純粋さを象徴する白としての
2色がリスボンの市旗にデザインされた。

 

        

             リスボン市旗

 

     街灯にも

 

リスボンの守護聖人 サン・ヴィンセンテが
1173年に 2羽のカラスに守られて
運ばれたことに基づき、
黒は 死とカラスを、
白は サン・ヴィンセンテの
純粋性を象徴している。


この二色はリスボンの
シンボル・カラーとある。

 


ポルトガル紀行188 リスボン30 ロシオ駅        

2019-09-23 | ポルトガル紀行

 

 

こちらは リスボン旧市街の中心

ロシオ広場に面する国鉄CP「ロシオ駅」

 

1887年にポルトガル人建築家 
ジョゼ・ルイス・モンテイロ
によって設計され

ネオ・マヌエル様式で建てられた。


入口の二つ並んだ馬蹄型アーチは
細かい細工が施され 

駅舎とは思えない姿だが

生憎 ファサードは
補修中で全容が分からない。


なお 改札口や切符売り場は
上位階にあり 
3・4階がホームになっており

リスボンの丘の端にあるため
その先はすぐにトンネルになる。


ここからケルースやシントラ行きの
列車が発着している。

 

                       

 

 1階を覗いたら スターバックがあった。

 


ポルトガル紀行187 リスボン29  レスタウラドーレス広場        

2019-09-22 | ポルトガル紀行

 

 

展望台から再びケーブルカーで下る。

リベルダーデ大通りの南端 

ロシオ広場に隣接している
「レスタウラドーレス広場」がある。


CPロシオ駅に近く、メトロ青線、
ケーブルカー乗り場、路線バス、
空港行きバス乗り場があり
市内中心部の交通の要衝であり
ロシオ広場と並ぶ
リスボンの中心的な広場である。


レスタウラドーレスとは
「復興者」の意味。

 

  

 

フォス宮をはじめ

19世紀から20世紀初めの建物に

囲まれている広場の中央に


60年間同君連合を組んでいた

スペインからの独立
(ポルトガル王政復古戦争)を記念した


高さ 約30mの オベリスクが立っている。
  (1886年完成)

 
オベリスクは 

彫刻家のシモエス・デ・アルメイダと

アルベルト・ヌーネスによって

「独立」と「勝利」が表現されている。

                      

また 台座には

1663年は アメイシアルの戦い

1665年は モンテス・クラロスの戦いに

勝利した日が 刻まれている。

 

 

 

 

 


ポルトガル紀行186 リスボン28  新聞「ディリー・ニュース」      

2019-09-21 | ポルトガル紀行

 

 

公園内にある銅像は 

ポルトガルで

新聞「Diário de Notícias
(ディリー・ニュース)」を

1864年創設した 

ジャーナリスト兼作家の

エドゥアルド・コエーリョ。


銅像は 1904年に建立されている。

 

 

             ディリー・ニュースの題字

  

現在 発行部数は 16,000部 

一般日刊紙の中で 4位(2015年)

 

Web →https://www.dn.pt/

下は新聞配達の少年像。

 

 

 


ポルトガル紀行185 リスボン27 消臭力       

2019-09-20 | ポルトガル紀行

 

 

         (CM映像から)

 

 

「ショー、シュー、リキー!」

何故ここがCMのロケ地になったのか?

 

そのきっかけは
2011年の東日本大震災にあった。


震災後の日本は自粛ムード中で
 CMもそんなムードになっていた。

でも 
“いつものエステーの
楽しいCMが観たい”と

エステー化学に寄せられていた。

 

この東日本大震災と同じ規模で 
このリスボンの街も地震と津波
火災により大打撃を被っている。

現在のリスボンは 
美しい街並みに蘇り

市民が安心して
住める街になっている。

この街の姿は 
日本復興への
勇気と希望を与えるのでは
ということ背景になったという。


リスボンのオーディションで
選ばれたミゲル君の

高音の澄んだ歌声は
多くの日本の人々の心に響いていた。

 それが➡「唄う男の子~ミゲル~

 

 

 

 


ポルトガル紀行184 リスボン26 展望台       

2019-09-19 | ポルトガル紀行

 

 

 北東方面 手前 
コロッセオを真似たコンサートホール

 

 

                       

東方面 「グレース教会」
13世紀に建てられた修道院に付属して
16世紀に建立、大地震後に修復・再建

 

 

 

東南方面 丘の上
「サン・ジョルジェ城」
下の銀屋根はロシオ駅

左奥には 2つの鐘楼の
「サン・ヴィンセンテ・デ・フォーラ教会」

ケーブルカーグロリア線で登った先
右手に 赤レンガ屋根が連なる街並み 
リスボンの象徴
サン・ジョルジェ城を一望できる

サン・ペドロ・デ・アルカンタラ
の展望台がある。

特に夕日が沈むころの眺めが最高という。
日本では、エステー化学の
消臭力のCMでミゲル君が

熱唱していたロケ地として
有名になった場所でもある。

 

「サン・ジョルジェ城」は 
紀元前2世紀にはこの場所に
既に要塞化された建物があったという。

その後イスラム勢力の侵攻や
レコンキスタを経て

増改築が繰り返されてきた
リスボン最古の建物。


1255年「アルカソヴァ城」の
名前で王宮となり

14世紀後半に新たに
全長5.4kmの城壁が構築された。


16世紀初頭に王宮が
「リベイラ宮殿」に移り

さらに大地震で被害を受けるなど
したことから公園となり
現在は観光としての
建築物となっている。

 


ポルトガル紀行183 リスボン25 落書き       

2019-09-18 | ポルトガル紀行

 

 

リスボンの名物にもなっている
トラムやケーブルカーだが

残念なことだが 
車体前面に、落書きが書かれている。

落書きのない車両のほうが少ないくらいだ。
街中の壁も余白があれば落書きされる
 もう街中アート化している。

 
当局は落書きを
消そうとしないのだろうか?

いや 金をかけて消しても
またすぐに落書きされてしまう 

イタチごっこで 
もう消すことは
あきらめの状態のようだ。

 


落書きがある街は 
社会に対し不平不満をもつ
若者が多い現れだとか。

その落書きは
さすがに車内まではなかった。

 

            

 こちらは落書き?ではなさそうだ。

 

 


ポルトガル紀行182 リスボン24 ケーブルカー・グロリア線      

2019-09-17 | ポルトガル紀行

 

 

  乗車時間は5分程度 

                       

      運転席と客席

 

 運転席に 1885-1985年
 百周年記念プレートがある。

ケーブルカーの正面と
複線にケーブルカーがあるメタル。

 
料金は3.8€ (2回乗車可 1回でも同料金)


ポルトガル紀行181 リスボン23 ケーブルカー     

2019-09-16 | ポルトガル紀行

 

 

リスボンは

7つの丘を持ち起伏が多い街。


その坂の上下を短距離で

結ぶケーブカーが敷かれ

利用されている。

 

ケーブルカーは 3路線ある。

 

①  ピカ線 245m テージョ川を
   背景に一直線 最も人気のある線

   トラム25号線パウロ(上駅)と
   28号線カリャリス(下駅)とを結ぶ

②  グロリア線 265m 
   サンペドロドアルカンタラ
   展望台につながる。

   上下とも駅舎はなく 途中上部分が複線区間
       

③  ラブラ線 180m 
   リベルダーデ通り一つ裏通りにある。

   坂上には 作品を通じて
   日本を世界に紹介した作家

   ヴェンセスラフ・デ・ソウザ・モラエス
   (1854-1929)の生家がある。

 

なお ピカ線の車体は階段状
  他は平面で台車に高低差を設けている。

 

 我々は ②グロリア線に乗車