ダンスや余興で行われた火吹きなどの後
観光客の男性が尻込むなか
女性陣を交えハイテンションで
ダンスが繰り広げられる。
約30分のショータイムだったが
長く感じられた。
ダンスや余興で行われた火吹きなどの後
観光客の男性が尻込むなか
女性陣を交えハイテンションで
ダンスが繰り広げられる。
約30分のショータイムだったが
長く感じられた。
夕食前 ホテルのレストラン
「マーブルアーチ」前にある中庭で
ラジャスタンダンスのショーが行われ
舞踊ステージ周りに用意された
椅子に座って見学する。
ラジャスタンダンスとは
ラジャスタン州の民族舞踊のこと。
足に鈴をつけて踊るのが特徴で
カラダをツイストしたり
揺らしながら音楽に合わせて軽快に踊るが
今夜のダンスは 頭の上に壺をいくつも積み重ねて
踊る女性たちのダンスで
ひとつずつ壺を足しながら踊るが
2拍子のリズムで乗りが良い
最後には 6つの壺が頭上にあった。
ツアー4日目の宿泊は ジャイプールの
「ジャイ・マハル・パレス」
インドの高級ホテルチェーン
タージグループの宮殿ホテルのひとつ。
18世紀中盤に建てられた
州大臣の公邸を改装したホテルで
館内は すべてフロアは大理石張りで
豪華な家具や調度品が並ぶ。
客室は 赤と青を基調とした部屋があるが
我々は 青の部屋であった。
部屋のカーテンを開けると
手入れの行き届いた 大きな庭が目の前に広がるが
敷地は広く 外の景色が見えないように考えられており
街の喧噪からも 遮断されている。
シティ・パレスの見学を終え
旧市内にある「風の宮殿」(ハワー・マハル)へ
この建物も シティ・パレスの一部で 1799年に
ジャイプル 5代当主プラタプ・スィンにより建てられた。
ピンク色をした砂岩を外壁に用いた 5階建ての建造物で
953の小窓が通りに面している。
当時 イスラムの影響を受け
姿を見られることを禁じられていた宮中の貴婦人たちが
宮殿から続く細いトンネルを通ってこの風の宮殿に来て
この小窓から 自らの姿を外から見られることなく
街の様子を見たり 祭を見て楽しむことが
できるようになっている。
また この多くの小窓と 透かし彫りを通して 風がとおり
暑さ対策が施されている構造となっていることが
この宮殿の名前の由来ともなっている。
正面から見ると 幅広く奥行があるように見えるが
実態は 厚みのない屏風のような建物となっている。
宮殿を出たところに人だかりが
その中に インドコブラを操る ”蛇使い” がいた。
さすがに 獰猛なコブラなので遠巻きに見ている。
かつて日本の芸人「東京コミックショー」の
蛇使いのコントを思い起こしたが・・・。
ウィキペディアによれば
「コブラの動きは、笛の音で反応してものではなく、
蛇使いが足でカゴを叩く振動や目の前で
笛の動きに反応している。
インドが発祥で 数十万人もの蛇使いがいたが、
2000年代後半からインド当局が
野生生物保護法の適用が厳格化し
コブラの捕獲が事実上不可能となり
また 警察による摘発も進んだため、
2010年代に入るとインド国内からは
急速に姿を消している。」という。
シティ・パレスの最奥に見える
「月の宮殿」(チャンドラ・マハル)は
1727年から1734年にかけて建設された
白く輝く7階建ての宮殿だが
現在も 旧藩王の家族が居住する
3階以上は立ち入り禁止なっている。
今では王族の子孫は国内外への出張などで不在が多く
旗が揚がっていないことが多いが
今日は旗が揚がっていたので
いらっしゃるようです。
現在の王族の子孫?
「貴賓謁見の間」(ディワーネ・カース)の左右に
ピカピカに磨かれた巨大な銀の壷が二つ置かれている。
これは マハラジャが 1902年イギリス
エドワード7世の戴冠式に参列した時に
この銀の壺にガンジス川の水を
詰めて運び 沐浴に使ったという。
この銀の壷一つ
1万4千個の銀貨を溶かし造られ(1896年)
重さ345kg 容量4千91リッターで
世界で一番大きな銀製品として
ギネスブックに登録されているとか。
赤砂岩と白大理石で作られた
「貴賓謁見の間」(ディワーネ・カース)
吹き抜けではあるが
列柱とアーチの装飾が細かく 淡いピンクで美しい。
また 高い天井からは
大きなシャンデリァが釣り下がっている。
入り口には左右に大きな
銀の壺が置かれているのが見える。
ムバーラク・マハルから
ディーワネ・カース(貴賓謁見の間)へ向かう間に
「ラージェーンドラ門」がある。
こちら側は 白色の門だが
反対のディーワネ・カース側はピンク色になっいる。
出入り口には 白いインド服に 赤いターバンを巻いた警備員が
また 左右には 狛犬のように
白大理石で造られた 象の彫刻が置かれている。
丁度 インドの児童たちが見学に来ていた。
こちらの建物は ムバラーク・マハルで
イスラム ラジャスタ ヨーロッパの
建築様式がミックスされた
色の飾りがない 独特の美しさを持つ宮殿。
かつてはゲストハウスではあったが
現在は テキスタイル博物館になっており
当時のマハラジャの写真や服装等が 展示されている。
内部は撮影禁止になっている。
天文台の道一つ隔てて「シティ・パレス」がある。
シティ・パレスは
1726年 当時のマハーラージャの
サワーイー・ジャイ・スィン 2世によって建てられ
その後 後継者たちによって いろいろな建築物が建てられ
現在の形になっているが
ムガルとラージャスターンの建築様式が
融合した 独特な美の宮殿となっている。
そして 今でも そのマハーラージャの子孫が
1947年のインド独立後も住んでいるが
その住居以外は 宮殿博物館として一般に公開されている。
館内には 歴代のマハラジャと
その家族等が 使用していたものが中心で
武器コレクション 細密画 象牙 金 青磁器
ガラス製品など ジャイプルの王朝を
物語る品々が展示されている。(撮影禁止)
入口近くに 二つの大きな ドラ?が
吊り下げられている。
これは 古代の天体地球儀(ヤントラ・ラジ)
気温によって 収縮膨張しないように
7種類の合金で作られた 直径2mの円盤で
円盤の中心が 北極星(天の北極)になっていて
表面に高度が刻まれ 方位が描かれている
ヒンズー歴の祭りや儀式の日取りを
決めるために 使われているという。
こちらは 高さ27mもあるスキージャンプ台?
いや巨大な日時計(サムラート・ヤントラ)である。
陽がつくる影によって 時間を計測でき
現地時間 天測距離 子午線なども
測ることができる観測儀だ。
傾斜角度と方向は 北極星を指している。
先に触れた 小型のラグ・サムラート・ヤントラとは
機能は同じだが 10倍の大きさで
2秒単位まで測れ 高性能になっており
モンスーン期間の雨量を
予測するのにも使われたともいう。
ジャイ・スィン2世は
大きいほど正確な数値が得られると思い
この巨大な日時計を造ったようだ。
こちらは 日時計(ラグ・サムラート・ヤントラ)だが
遊園地の大きな滑り台のようにも見える。
アーチ状の四分儀左半分は
日の出から正午まで 右は正午から日没まで
それぞれ影の落ちるところに
メモリが刻まれおり
20秒単位まで測れる時間を表している。
階段の傾斜の先は
北極星を指しているとのこと。
場内には
12星座の観測器があるというので
自分の星座は 何処にあるかと探してみた。
こちらが 我が “カニ座” の観測器だが
カニ座の プレートの図は
ゾウリムシのようで カニとは見えず
苦笑してしまった。
これら星座の観測器は
正確な占いをするために
占星家に利用されたという。
これもまた
どのように使うのかは 分からなかった。