(BSテレ東)
12月31日は
流行歌手 渡辺はま子 が亡くなった日
亡くなったのは 1999年であるから
20世紀の最終日であり
また 12月31日は NHK紅白歌合戦がある日
その紅白に 第1回(1951・S26年)から
計 9 回出演し
また「桑港のチャイナ街」を4回歌い
紅組のトリを3回つとめている。
当方は 中学生の頃
地方巡業で学校体育館にて
渡辺はま子 を見て
あの声量に驚いたこと思い起こす。
渡辺はま子は
1910(M43)年10月
横浜に生まれ 生涯横浜で過ごしている。
本名 加藤濱子 愛称は「おはまさん」
武蔵野音楽学校卒業後
地元の横浜高等女学校で音楽教師に
1933(S8)年
ポリドールから
「最上川小唄」でレコード・デビュー
1935(S10)年
教職を辞め 本格的にビクターから
デビューし 歌手に専念
1937(S12)年
コロムビアへ移籍
1938(S13)年
国民歌謡で前年に放送発表した
レコード「愛国の花」がヒットとなる。
さらに「シナの夜」「広東ブルース」
「蘇州夜曲」など中国を題材にした曲を
多くヒットさせて
“チャイナ・ソングの女王”とも呼ばれた。
戦地慰問で訪ねていた天津で終戦を迎え
10ヵ月間の捕虜生活を送る。
1946(S21)年 帰国
その後、古巣のビクターに復帰して
「桑港のチャイナ街」
「あゝモンテンルパの夜は更けて」
などがヒット。
1951(S26)年
第1回NHKの紅白では
「桑港のチャイナ街」で
紅組のトリを務めた。
懐メロ番組などに出演して
長く活躍を続ける。
1973(S48)年 紫綬褒章
1981(S56)年 勲四等宝冠章
1989(H元)年 歌手引退
1999(H11)年 12月31日 89歳で死去
(BSテレ東)
1952(S27)年
NHKラジオ『陽気な喫茶店』を
司会していた松井翠声の元に送られた
フィリピンの日本人戦犯が
作詞作曲した曲
「あゝモンテンルパの夜は更けて」を
渡辺がレコード化。
また日本政府と渡辺の奔走で
モンテンルパ市の刑務所へ
慰問コンサートが実現。
これによりフィリピン政府当局に
減刑、釈放を嘆願し
当時のキリノ大統領に
日本人戦犯の釈放を決断させ
全員の日本への帰国が実現している。
渡辺の歌手人生は
歌で人々を励まし
行動をおこした 熱い魂の人であったと。
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なんとか 当ブログも
2021年の終わり迎え
新年を迎えることができそうです。
しかし このところ
コロナ感染者数も下げ止まってはいたが
オミクロンとやらの株が拡大し始めている。
果たして
来年はいかなる寅年と相成ることやら
少々心配ですが
今年以上にはなることだろと期待したい。
皆様方には
良き年をお迎えいただきますよう・・・