あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

静岡紀行 熱海12 市外電話創始の地

2018-11-30 | 国内・静岡

 

 

「大湯間歇泉」の 左隣に「市外電話創始の地」の碑がある。

 

 

またその横に白く塗られた
8角形のオープン型のボックスがある。


ポリスボックスかと思ったが 
電話ボックスであった。


しかも このボックスは  実用の公衆電話として
現在も正常に機能しているという

 

ボックス上の説明文には

「温泉と風光に恵まれ, 冬暖かく, 夏涼しい熱海は
明治の頃, 多くの政治家や政府高官が
保養や会談のため来遊したので,
東京との連絡が非常に多く,
そのため東京~熱海間に電話回線が敷かれ
明治22年1月1日に開通しました。

東京の電話交換業務が開始されたのが、
それから2年後の明治23年12月でした。

それまで熱海側は内務省きゅうき館(※)(熱海電信局)
東京側は木挽町にあった東京電信局で
通話料のほか 呼出手数料をとって
公衆電話の取扱いを開始したものです。
これわが国最初の市外通話です。

きゅうき館(※)のあったのが,
この場所でしたのでわが国市外通話発祥の地を記念して
「市外電話創始の地」の碑を立てました。

このボックス公衆電話は,
熱海市がこのように電話に大変ゆかりが深いので
明治100年を記念して わが国最初のボックス公衆電話
(明治33年東京の京橋のたもとに設置され,
ボックスの型は六角形で白塗りでした) を
模して復元したものを, 今回改装したものです。

東京で 電話交換業務が始まるより前に
東京-熱海の市外電話ができていたとは,
当時から 大物政治家や有名人が 多
数熱海に来ていたことの 証明になるだろう。

このボックス公衆電話は実物ですから,
 熱海を訪れた記念通話にご利用下さい。

    昭和61年11月19日 熱海市・NTT熱海電報電話局」

 

*因みに 1877(明治10)年 電信中央局が東京木挽町に設置され
全国電信の中心とし、電信業務が開業している。

 

 


静岡紀行 熱海11 大湯間歇泉

2018-11-29 | 国内・静岡

 

 



熱海市役所から 北へ200m
 湯汲坂の途中 ホテルの敷地内の狭いところに

「熱海七湯」といわれる源泉
 熱海七湯の一つ「大湯間歇泉」がある。

古くからの間歇泉で世界的にも有名な自噴泉であった。

「大湯」の噴出は昼夜6回あり
湯と蒸気を交互に激しい勢いで吹き出し
地面が揺れるようであったという。


明治中頃から次第に減少し1923(大正12)年に
止まってしまったが(大地震の際に再び噴出したこともあった)
1962(昭和37)年に 市の文化財として保存し
1967年には 人工的に噴出する間欠泉として 整備された。

現在は 4分に一度 蒸気と少量のお湯を噴き上げている

 


静岡紀行 熱海10 起雲閣 庭園

2018-11-28 | 国内・静岡

 

 

「起雲閣」の庭は
1000坪もの広さがある池泉回遊式庭園で
池を中心に 季節の花、草木、石などが
配置され散策を楽しめる。

 この庭園を整えたのは
2代目の所有者 根津嘉一郎。

数寄者でもあった彼は
自ら采配してこの庭を整えたそうだ。


特に 20人の庭師が
2か月近くをかけて運んできたという、
20トンの巨石が 庭の真ん中に鎮座している。

 

 

 

 

 


静岡紀行 熱海9 起雲閣 竜王戦

2018-11-27 | 国内・静岡

 



内田の別荘時代に建てられた 
起雲閣の離れ「孔雀の間」へ


ここで1992(平成4)年12月24日~25日
将棋第5期竜王戦第6局
谷川竜王と羽生王座棋王の戦いが行われていた。

その時の「封じ手」の現物も展示されている。

 対戦の結果は 谷川挑戦者が88手で勝利し 
対戦成績 3対3のタイに持ち込んでいる。

 因みに 後日の対戦 第7局は
羽生王座棋王が勝利し竜王を奪取している。

 


静岡紀行 熱海8 起雲閣 作家

2018-11-26 | 国内・静岡

 

 

来年には起雲閣が創設されて100年を迎える。

その歴史の中で 1947(昭和22)年に
旅館として生まれ変わった時代もあった。


その間 熱海を代表する宿として数多くの宿泊客を迎え

山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、
舟橋聖一、武田泰淳、三島由紀夫など
日本を代表する文豪たちも滞在し
ここで数々の文学作品が生み出されている。

その元客室(初霜・春風・有明)は
 現在 展示室になっており


 利用した文豪や 熱海ゆかりの作家
 尾崎紅葉、坪内逍遥たちも紹介している。

 

 

 

 

 

 


静岡紀行 熱海7 起雲閣 ローマ風呂

2018-11-25 | 国内・静岡

 

 

 

「金剛の間」の隣に
 特徴的な「ローマ風浴室」がある。


幾度かの改修を重ねて今の形になっているが
ステンドグラスの窓や湯出口などは
建設当時の材料を用いて
1989(平成元)年に再現されている。


当時から肌さわりの良さやすべり止めの効果を考えて
浴槽の周りに木製のタイルが敷かれていたほか
畳敷き9帖の脱衣室と化粧室もあったという。


ここでは映画「雪夫人絵図」(1950年・溝口健二監督)で
入浴シーンの撮影が行われている。

 

楕円形の浴槽

 

 

湯出口

 

 

 


静岡紀行 熱海6 起雲閣 金剛の間

2018-11-24 | 国内・静岡

 

 

こちらは「金剛の間」
1929年に建てられた洋館で
「玉渓」と雰囲気が似ているが

部屋全体が大切な客を迎える
落ち着いた雰囲気が漂い
また格調高い雰囲気で統一されている。


 

 

 

暖炉の上の梁には 洋館には珍しい螺鈿で
スペード  ハートやクローバーなど
トランプの模様が細工されている。


また 番やドアのノブなど細工が施された
建具金物は 設当時から残る貴重なもの。

暖炉には煤が 実際に使われていたことがわかる。
中華風のステンドグラスも印象的だ。

 

 

 


 


静岡紀行 熱海5 起雲閣 サンルーム

2018-11-23 | 国内・静岡

 

                                                                          サンルームのステンドグラスの天井

 

 玉姫の間に続くサンルームは 
ステンドグラスの天井・タイル張りの床が
明るく開放的な印象を与えている。

アールデコのデザインを基調としている。

天井とともに屋根もガラスが葺かれていて
これらは鉄骨によって支えられている。

天井と高窓の間に施された
唐草模様の装飾は石膏を刻んでいる。

 

 

 サンルーム  床のタイルモザイク

 

  洋館全景

 

 


静岡紀行 熱海4 起雲閣 玉渓の間

2018-11-22 | 国内・静岡

 

 

 

「玉姫」の隣は「玉渓の間」
イギリスの“チューダー様式”に“名栗仕上げ”を
取り入れた欧州の山荘風で
木材の重厚感に石造りの暖炉が印象的だ。

暖炉の上はテラコッタの仏教画が飾られ
暖炉覆いはサンスクリット文字で飾られ
 入口の天井には竹があしわれている。


部屋の窓にはステンドグラスが使われなど
多様な文化が混然としながらも調和がとれている。

 

 

 

暖炉の上にはテラコッタの仏教美術が 
また脇には古社寺の柱を転用したと思われる円柱があって
日本建築における床の間と床柱を思わせる。


 


静岡紀行 熱海3 起雲閣 玉姫の間

2018-11-21 | 国内・静岡

  



「玉姫の間」は 1932(昭和7)年
二代目所有者 根津嘉一郎により建てられた
和洋中の様式が混ざった洋館の一室。

「玉姫の間」は 正面中央に暖炉を据えた
洋式のデザインを基本としているが 
桃山風の天井をはじめ、長押をまわした真壁
欄間 暖炉周辺 建具などに和風の造作が見られる。


また 細部の装飾には 獅子頭や「喜」の文字を
デザイン化した中国風の文様がちりばめられ
シルクロード沿いで広くみられる
唐草模様も取り入れられている。

 

 

 


静岡紀行 熱海2 起雲閣 所有者

2018-11-20 | 国内・静岡

 

 初代所有者 内田信也 

 

 1919(大正8)年 
海運王 内田信也の別荘「湘雲閣」として建築。

足の悪い母のために、当時としては珍しい
“バリアフリー設計”が採り入れられていた。

創建当時の建物としては
正面入り口の門、母屋(麒麟)、
居間(孔雀)が現存している。

 

内田信也(1880‐1971 茨城県麻生町)
大正・昭和の実業家政治家
東京高等商業卒業(現一橋大学)。


三井物産用船掛主任を経て独立 内田汽船
内田商事 内田造船所などを創立。

その後 1924年第 15回総選挙に出馬,
政界に入り,以後当選9回を数えた。


その間の 34年 岡田内閣の鉄道相に就任した。

しかし 鉄道疑獄に連座して辞任し
その後 44年東条内閣の農商務相となった。

第2次世界大戦後 第5次吉田内閣の農林大臣をつとめた。

 

 二代目所有者 根津嘉一郎 

 1925(大正14)年 根津嘉一郎が
内田から買受け隣地を広げ 根津別邸となる。

敷地内から湧き出た温泉を利用して 
1929(昭和4)年に金剛・ローマ風浴室の棟を
1932(昭和7)年に玉姫・玉渓の棟を建て増しする。
併せて 庭を現在の姿に整備した。

根津嘉一郎(1860~1940 山梨県山梨市)
実業家 衆議院・貴族院議員。
「甲州財閥」の一角をなし 
136社にも及ぶ投資・経営参加し

電力、金融・保険、紡績など多岐の業種に渡った。

特に鉄道経営では 東武鉄道の再建や
国内初の地下鉄開通に携わり
「鉄道王」と呼ばれた。

また 文化事業にも関心をいだき
武蔵高等学校(武蔵大学の前身)を創立。

没後 収集品の寄付によって
東京青山に根津美術館が設立された。

 

三代目 桜井兵五郎 


 戦後1947(昭和22)年には
金沢の湯涌温泉「白雲楼ホテル」の経営者でもあった

桜井兵五郎が敷地・建物を買取り 旅館『起雲閣』を開業。
営業中は、政財界人、有名作家等の利用や
囲碁、将棋の対局などに利用された。

桜井兵五郎(1880-1951石川県能登町)

大正-昭和時代の実業家 政治家。
北日本耐火煉瓦  北陸毎日新聞
日本タイプライターの社長などを歴任。

大正4年衆議院議員(当選9回)。
立憲民政党幹事長のち鈴木貫太郎内閣の国務相となる。

 



熱海市票 

現在は 1999(平成11)年 旅館は廃業し
競売にかけられることになったが
熱海市がこの敷地と建物を取得した。

 2000(平成12)年から市指定有形文化財として
熱海市が運営して 一般公開している。

 


静岡紀行 熱海1 起雲閣

2018-11-19 | 国内・静岡

 

 

 観光が最近盛り返してきており

  年間600万人が訪れている国内有数の人気温泉地 熱海を訪れた。

 

  まずは 「熱海三大別荘」に挙げられているその一つ

    「起雲閣」(熱海市昭和町4) へ

 

 


 

1919(大正8)年 内田信也の別荘の母屋として
建てられた伝統的な和風造りになっており

1階に麒麟の間と2階に大鳳の間が控えている。

 創設当時の別荘は 主に実母の静養の場所として利用され
 車椅子の生活であったので座敷と
畳廊下で囲む造りはバリアフリーになっている。


「麒麟の間」は、床の間や付書院を
構えた10畳と8畳からなる座敷。


壁は特色のある鮮やかな群青色になっている。

これは 3代目所有者の桜井兵五郎が
この建物を手に入れて旅館とする際に
壁を群青に塗り替えたもので
彼は故郷の金沢の「成巽閣」を
イメージしたといわれている。


「大鳳の間」も 基本的な構成は麒麟の間と同じだが
地袋や竹材を用いた障子など
細部にわたって工夫が施されている。



 

 内田別邸「麒麟・大鳳」の棟