あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

モロッコ紀行 91 エルフード

2017-02-28 | モロッコ紀行

 

 

ツアー5日目は 
今朝 8時 フェズを出発して
今夜の宿泊地「エルフード」へ
着いたのは 午後5時過ぎ

9時間半 約350kmを走ってきた。

エルフードは
1917年にフランス軍の駐屯地として
つくられたことに 街がはじまったことから 

町並みは碁盤の目のように
真っすぐな道になっている。

また サハラ砂漠の玄関口に
なっているので 宿泊施設も多い。 

人口 は25千人。

 

 

今夜のホテルは 町の外れにあって
周りには何も無いが
ホテルの周囲はヤシの木が
美しいオアシスの風景を醸し出している。

 

 

 


モロッコ紀行 90 化石工房

2017-02-27 | モロッコ紀行

 

 

今日の宿泊地「エルフード」に入る。

 モロッコは 世界有数の化石の産地だそうで
化石の工房に 案内される。

化石を研磨している様子を見せている。
しかし 発掘された化石は レア物はすくなく 
一般的なものは 研磨・加工して
付加価値をつけている。


この地の岩盤は 大理石が
多く含まれていることから

研磨することにより 
艶やが出て 光沢が増すという。

 


店内には 4億5千年前 
古生代の生物 三葉虫 

アンモナイト オウム ウニなどを
加工した商品が 並べられている。 


テーブルなど大型家具的なものは
お土産とはいかず

ツアー仲間は 装飾品など
小さなものを買い求めていた。

 

 

アンモナイトは 貝類と思ったが 
資料によれば
頭足類と呼ばれる タコやイカの仲間だそうだ。

アンモナイト類は 中生代末に
絶滅するまで 大繁殖したので
その化石の種類は 1万種もあるという。

 

 


モロッコ紀行 89 渓谷のオワシス

2017-02-26 | モロッコ紀行

 

 

エルラシディアの街を抜けて 

ズィズ渓谷沿いに走る。


再び ズイズ渓谷を望める高台で休憩。

こちらの渓谷は 先ほどの荒涼たる

グランドキャニオンとは違い

眼下には オアシスのナツメヤシ林が

長い緑の絨毯を敷き詰めたように 遠く先まで延びて

モロッコ最大のオアシスになっている。

約80万本ものナツメヤシが ここで生育され

人々の生活を支えているようだ。

対岸は 茶褐色のテ-ブルマウンテンが

城郭のように見える。



高台には この景観を借景して 

レストランが店を開けている。

また 広場では ベルベル人が 

干したナツメヤシの実とイチジクを売っていたが

ツアー仲間が 買い占めたのか 

今日の売り上げを達成し 

さっささっさと 店じまいを始めた。

 

 


モロッコ紀行 88 エルラシディア

2017-02-25 | モロッコ紀行

 

 

ダム湖を過ぎて 

直ぐに「エルラシディア」の街に入る。


モロッコ東部の都市 人口約7万人。

街の名は かつて

「クサール・エッスーク」であったが

1975年に改称された。

街は ズィズ川沿いのオアシスとして木々が繁り

オリーブ栽培 ナツメヤシやアーモンドの栽培で有名。

また 古くからサハラ砂漠に向かう最前線拠点として

重要な交易の都市ともなっている。

 


モロッコ紀行 87 多目的ダム

2017-02-24 | モロッコ紀行

 

 

ツアーバスは さらに進めると

目の前に 大きな湖が 見えてくる。

これは 1971年完成の
ハッサンダヘルダムのダム湖で
ズィズ川をせき止めて
できた「エルラシディア湖」。

ロックフィルダム方式の
モロッコで二番目に大きいダム湖。

 モロッコでは 鉄砲水や土石流を伴う
洪水が頻発しており 自然災害のうち
洪水被害による被災者が最も多く

特に この辺りは土漠で
樹木がないため保水されず
雨は そのまま濁流となって

簡単に洪水が起こるそうだ。

このため 災害から守り 更に水の確保
水力発電と 多目的ダムとなっている。

これにより モロッコのダムは
100以上もあって
アフリカ大陸のなかで 最も多いそうだ。

 

 因みに モロッコの発電割合は
 水力発電11% 火力発電81%
 他は再生可能エネルギー。

 

 

 


モロッコ紀行 86 ズイズ渓谷

2017-02-23 | モロッコ紀行

 

 

先にも紹介した「ズイズ渓谷」へ

渓谷の途中で 写真の時間をとって下車 

この渓谷は

「モロッコのグランドキャニオン」とも言われているが

その規模には至っていない。

しかし 幾重にも重なる茶褐色の地層が見え


川の水に浸食されこの渓谷が形成されたことわかる。

 

 高速道路以外の一般道で
モロッコで唯一のトンネルとの説明がある。
これでもトンネルです。

 

 


モロッコ紀行 85 ガソリンスタンド

2017-02-22 | モロッコ紀行

 

モロッコの街道を行くと 多く見かけるのが 

この看板のガソリンスタンド。

 値段は 8.71 とあるので 

当時のレート換算 11円とすれば

96円ほどなので

日本よりは格段と安い。

「Ziz」とは ジィズは鹿の意味だそうだが

これから向かう先に 

同じ名の ズイズ川が流れている。

ズイズ川は 高アトラスからの雪解け水が

川となり 1200km先のアルジェリアまで

流れている雄大な大河であるので 

この名から採用したようだ。

 

 


モロッコ紀行 84 ミデルト

2017-02-21 | モロッコ紀行

 ミデルトはリンゴが名産地 ロータリーにはリンゴのオブジェ

昼食後 バスはミデルトの市街に入る。

「ミデルト」とは ベルベル語で”中心”という意味で
モワイヤンアトラスとオートアトラスの
真ん中に位置し

また 今朝出発したフェズと
これから向かうエルフードの
丁度 中間点でもあり

この地方の中心的な高原都市として
栄えたところからきているという。


現在は人口45千人で
 その大半がベルベル人。

また この辺りは 標高1500mで
 気候もリンゴの栽培に適し名産地となっている。

ガイドの説明では 1991年に日本の徳仁皇太子が
この街を訪れているそうだ。

 

 


モロッコ紀行 83 マス料理

2017-02-20 | モロッコ紀行

 

 


エアシ山(3737m)の麓に
広がる静かな街 ミデルト。
その手前 遠くに山々が連なる大平原の中 
ポツンとあるドライブイン的な
ホテルの食堂で 昼食となる。

 昼食は この地名産 マス料理が出された。 

前にも紹介したが 
こちらの料理は 味が淡白で
少々物足りなさがある。

当方にとっては 
大根おろし付の
“目黒のサンマ”と
思いつつ・・・

因みに この地 もう一つの名産は
リンゴですので
ザートは アップルパイでした。

 


モロッコ紀行 82 ハチミツ

2017-02-19 | モロッコ紀行

 

 

更にバスは往く
途中 ミツバチの巣箱を見るが
花らしきものは 見当たらない。

こんな砂漠的な土地で 
養蜂が成り立つのかと思うが。

しかし 農薬に汚染されない
このような土地に自生する
多肉植物などからのハチミツは

特に高級品として重宝とされているそうだ。

モロッコのハチミツは
お土産にも好評で 多く買われている。

当然 モロッコでは ティーやお菓子にと
日常生活では多用されている。

特に ラマダンの一か月間には
一切食べ物を口にしてはいけないが
陽が沈むと食べ物を口にしてもよい。

だが いきなり肉など 胃の負担となるものを
食べたりしてはいけないので 
先ず ハチミツをたっぷりかけた
菓子で血糖値をあげてから
ハラリ(豆と野菜の入ったスープ)など
お粥状のものから
食べるのだそうだ。

 


モロッコ紀行 81 ザット峠

2017-02-18 | モロッコ紀行

 

 

イフレンでの休憩を終え

バスは さらに登り 標高2178mのザット峠へ

付近には 放牧のベルベル人のテントも見える。

 

 


往く道路も 冬は積雪や凍結で

交通不能になるそうだ。

先に紹介したスキーができるのは この辺りで

リフトこそないが コースは見て取れる。

アフリカで ウインタースポーツができるとは

想像にだしなかった。

冬季オリンピックで

ジャマイカのボブスレーが

熱帯国の参加として話題になったが

さすがに モロッコは

冬季オリンピックには参加していない。


 

 


モロッコ紀行 80 イフレン

2017-02-17 | モロッコ紀行

 

 

ツアー5日目 フエズ 二日目の朝を迎えた。

ツアーバスは 先ず65km先の
「イフレン」へ向かう。

この街は 標高1650mの高所にあって
モロッコがフランスの植民地だった
1929年保養地として建設された。

冬は 雪に覆われるほどの高地のため
真夏でもひんやりと涼しいことから

避暑地として 独立後は国王をはじめ
政府要人や富豪たちの別荘地となっている。

砂漠の国のイメージとは思えないほどで
モロッコのスイスとも呼ばれているが

日本では 軽井沢のイメージが相応する。

この街は 赤レンガの切妻屋根に
統一されているようで その家が建ち並ぶ。

 

 また 大学の街でもある。
1995年 国王ハッサン2世と
サウジアラビアのアブダラ皇子によって
「Al Akhawayn University」が設立され
アメリカ式の教育が行われているという。

 

 

 


モロッコ紀行 79 カルフール

2017-02-16 | モロッコ紀行

 


フェズのホテルに戻る前 
ツアー客の意向を汲んで 

フェズ市内にあるフランス資本の
スーパー「カルフール」へ案内してくれる。

カルフールは モロッコでは
代表的なスーパーで店舗数が多い。


店内は コストコのように広く ゆとりがあるが 

商品棚は 食料品から衣料品 電気製品まで
日用の必需品が
びっしり並ぶ品ぞろいだ。

お国柄 アルコール類は見当たらなかったが

別室にて 外国人向けにパスポートを提示すれば
買うことができるそうだ。

買い物カゴは 日本のようなカート式ではなく

キャスター付きの手引きカゴが利用できる。
買い求めた品を ベルトコンベアーに
載せて同一レジで精算する方式。

 お土産物屋で値段交渉して買うより
値段の表示があり予算と相談しながら
買うことができると 
ツアー仲間は
 お土産用に チョコ 紅茶 蜂蜜 

お菓子などを 大量に買い求めていたようだ。

 

 


モロッコ紀行 78 エディム広場

2017-02-15 | モロッコ紀行

 

 中央の屋台は 搾りたてサトウキビジュースの店

 

 

 マンスール門前 
ダール・スメン通りを挟んで
「エディム広場」がある。

メディナの中心的な広場で
中央には大きな噴水が3つあり 

周りには陶器 タジン鍋を売る店をはじめ
どこの広場にあるように 
雑貨屋 ピーナツ売り 果物屋などが軒を並べ

広場には 大道芸人を囲む人垣ができている。

陽が傾きだしたが 
夜にはもっと人が繰り出して
さらに賑やかになるそうだ。 

メクネスでの見学はここだけで
再び「フエズ」へ向けて戻る。

 

 


モロッコ紀行 77 マンスール門

2017-02-14 | モロッコ紀行

 

 

メクネスでの第一歩は「マンスール門」
ムーレイ・イスマイル廟へのメインゲート。

イスラム建築物の逸品として北アフリカで
最も美しく有名な門の1つで
馬蹄形のアーチは 青と緑のモザイク彩られ
壁の斜め格子の彫刻が美しく
そのカラフルなモザイクタイルと彫刻が

時間帯によって表情を変えることで知られている。

ムーレイ・イスマイルが 手がけた最後の建築物だが
彼の死後 息子によって1732年に完成した。

マンスール・エルアルージュ門とも呼ばれ
「改宗者の勝利の門」と言う意味。


名の由来は キリスト教からイスラム教へ
改宗したマンスールが設計したためと言われている。


前に紹介したラバトの「ハッサンの塔」のように 
この国の多くの建造物の名は
設計者の名がつけられているようだ。