あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

上州 (安中市)碓氷峠3

2013-08-31 | 国内・群馬

 

   碓氷峠を さらに下ると 途中に「碓氷第3橋梁」が見える。

   通称「めがね橋」として 4連の煉瓦アーチ橋で
   長さ91m 高さ31m 我が国最大の煉瓦づくりアーチ橋。
   幾度となく訪れているが いつ見ても絵になる風景だ。
   


   アプト式鉄道の橋脚として 明治25年に完成するが
   昭和38年新線開通に伴い廃線となっている。


   平成5年には国の重要文化財に指定されているが
   今は橋の上を歩くこともできる。

   その後 平成13年 廃線敷を利用した
   約6kmの遊歩道「アプトの道」が整備され
   また 
めがね橋を代表する鉄道煉瓦構造物群など
   3つの橋梁と10の隧道が「碓氷峠鉄道遺産」にもなっている。

 

     * 今回をもって 「信州紀行」を終了し
           明日からは「台湾紀行」を話題に

 


上州 (安中市)碓氷峠2

2013-08-30 | 国内・群馬

 

    碓氷峠の 旧信越本線は 距離11.2km 標高差が500m以上
  にもなる勾配を走り
  また 群馬県高崎市から新潟県上越市に至る国道 18号線が
  ほぼ同じように並走し通っている。

   碓氷峠 横川駅~軽井沢駅間は 当時の日本の土木技術の
  粋を集めて造られた 橋梁が
18カ所 トンネルが26カ所もあった。

   県歌 「信濃の国」
     「6・・・穿つ隧道二十六 夢にもこゆる汽車の道・・・」
   とも 歌われ 
現在は それらのトンネルの大部分は
   国指定の重要文化財にもなっている。


  当方の青春時代に行きかった碓氷峠は
  蒸気機関車の煙で悩まされたトンネル
  また 急坂に180余のカーブの国道での 
  ブレーキや荷物のきしむ音 体が左右に振れたことなど 

  今になっては 良き思い出となっている。

 


上州 (安中市)碓氷峠1

2013-08-29 | 国内・群馬

 

   海野宿から 国道18号 軽井沢を通って 「碓氷峠(うすいとうげ)」へ

  標高約960 m これから先は 群馬県安中市松井田町になる。
  
  峠を堺に 長野県側に降った雨は信濃川水系として日本海へ
 、群馬県側は 利根川水系とし 太平洋へ注ぐ 中央分水嶺でもある。

  古代には 碓氷坂 宇須比坂、碓日坂などといい
  中世は 臼井峠、臼居峠とも表記されたが

  現在は 「碓氷峠」で統一されている。  「碓井峠」「碓水峠」は誤り。

  県歌「信濃の国」「6・・・嘆き給いし碓氷山・・・」ともある。

    これまでに 長野県の峠を 幾つか訪れたが
   県下に数百あるという 
        これからも機会あるごとに訪ねてみたい。

 

 

 


信州 (東卸市)海野宿2

2013-08-28 | 国内・長野

         

                   真ん中に見える漆喰造りが「袖うだつ」 手前と奥が「本うだつ」

  海野宿は「うだつ」も 特徴の一つに数えられる。
  
  「うだつが上がらない」などと良く言うが 
  当初 卯建(うだつ=うだち)は 防火のために作られたが
  格式や装飾としても作られていた。
 

  その一つ 「本うだつ」は 
防火目的で造られたうだつの典型的なもので
  江戸期に多く造られている。

  また 「袖うだつ」は 漆喰で固めるなど装飾性を重視し 明治期に多い。  

  一方 「海野格子」も 海野宿特有の美しさを持ち 
  長短2本づつ交互に組み込まれ 
    上部に隙間があるのが特徴となっている。
 

                   

                           「海野格子」のある旅籠 

 

 


信州 (東卸市)海野宿1

2013-08-27 | 国内・長野

          街道中央には用水が流れ 時代が止まったように古い街並みが続く 

  国道18号線を上り 「東卸市」へ
  市内の旧北国街道に残る 約650mの古い町並みが続く宿場町
  「海野宿(うんのじゅく)」を訪れる。

  北国街道は 江戸幕府によって整備された脇街道で
  「北国脇往還」 「善光寺街道」などとも呼ばれていた。

  その街道筋の海野宿は 本陣1軒と脇本陣2軒が設けられ
  佐渡の金の江戸までの輸送 善光寺までの参拝客や
  北陸諸大名の参勤交代などで利用され 賑わいをみせたという。

  明治時代に入って鉄道網の発達により宿場町の利用客が減ったため
  養蚕業を主に行っていた。

  その建造物類が今でも残り 1986(昭61)年 北国街道が
  “日本の道100選”に選ばれ 翌年には海野宿が
  種別「宿場町・養蚕町」で“重要伝統的建造物群保存地区”として
  指定されている。

                  
                      

                           (資料から)        

       北国街道は 追分で中山道と分かれ、善光寺を経て直江津で北陸道へ続く。
       ”矢代”は現在の「屋代」 ”坂木”は「坂城」

 


信州 (千曲市)武水別神社

2013-08-26 | 国内・長野

 

   姨捨山を下り  「稲荷山」へ 現在は千曲市。
  善光寺道(北国西街道)の宿場町として
  明治以降は 生糸と 絹織物の商いの町として栄えた。

  この町の特徴は 大壁造りの町家や土蔵が建ち並び
  過去の善光寺地震を教訓が生かされて
  今に残る防火・耐火に優れた土蔵の町

  また 江戸や明治 更に 昭和の思い出も残す町並みになっている。

  その町の中心 JR篠ノ井線稲荷山駅から徒歩20分ほどに
      「武水別神社」(たけみずわけじんじゃ)がある。

  社地は 約17,000㎡ 本殿 拝殿 勅使殿など備えており
    延喜式の名神大社で 孝元天皇の時代の創建という。

  旧称は八幡宮で、現在も「八幡さま」「八幡神社(やわたじんじゃ)」の
  通称で親しく呼ばれ 多くの参拝人が訪れている。 

  
  

 


信州 (千曲市)姨捨・長楽寺

2013-08-25 | 国内・長野

 

   前回の 「善光寺平」 に続き
   その「姨捨」は 古くから名月の里としても知られ

  県歌 信濃の国 「4・・・月の名にたつ姨捨山・・・」と詠われている。 

  その姨捨にある 「放光院長楽寺」 
 ”
観月の名所" として古くから知られる天台宗の寺。

 信濃三十三観音14番札所であり 境内には 百体観音が並び 
 「おもかげや 姨ひとりなく 月の友 ・ 松尾芭蕉」の「面影塚」をはじめ
 多くの文人墨客が訪れ詠んだ句碑も立ち並ぶ。

 また ”俳諧の聖地" ともいわれ 
 
中秋の名月頃には
  「信州おばすて観月祭・全国俳句大会」が開かれている。



信州 (千曲市)善光寺平

2013-08-24 | 国内・長野

              長楽寺の“姨岩"の上から見る善光寺平

  
  
上田から国道18号を下り 千曲市へ

  長野盆地は 長野市を中心とした盆地で
  古くから善光寺平と呼ばれ、

  県歌「信濃の国」に歌われる「四つの平」の一つだ。

  この盆地を千曲川が流れ この河川敷から扇状地にかけては
  “りんご” “桃” "杏“ などの
名産地としても知られる。
  中程には 川中島合戦の地もある。


  その盆地を一望できるのが 「冠着山」 別名「姨捨山」の裾野
  千曲市の傾斜地に このブログでも先に話題にした
  「信州旅行(7)姨捨駅」があり

  ”日本の三大車窓“にも また長野自動車道「SA姨捨」があって
  ともに夜景で見る善光寺平は ”全国夜景百選“にも選ばれている。

 

 


信州 (上田市)真田屋敷跡

2013-08-23 | 国内・長野

                       「真田氏歴史館」 正面玄関

    嬬恋村から 上田市へ向かう途中 
   「真田氏屋敷公園」の案内を見て 寄ってみた。


   また 先日 宝塚歌劇で ゲームソフトとのコラボの 
   ミュージカル・ロマン『戦国BASARA』~真田幸村編~!!
   が千秋楽を迎えたことを知り 今度は女性軍・若者を
   ターゲットに 更に来年にはテレビ局の「真田十勇士」の
   特別舞台も企画されているようで
   いよいよ 真田氏のブーム再来?かと 思いつつ。

   真田氏が上田城を築城する以前の 戦国の激動の世を生き抜いた
   幸隆 昌幸 信之の真田三代 一族ゆかりの居館跡
   地元では「お屋敷跡」とも呼ばれている。

   屋敷公園は 約6千本のヤマツツジが咲く名所としても知られ
   周囲、東辺80m、西辺30m、南辺60m、北辺50mあり
   梯形状の大きな規模の土塁を巡らせている。
  
   
その一角に 「真田氏歴史館」があり
   戦いの足跡や武具甲冑など真田一族に関する資料が
   展示されている。

     


上州 (嬬恋村)雪山賛歌

2013-08-22 | 国内・群馬

  

    湯の丸高原をあとに 国道94号線を下って行く 嬬恋村鹿沢温泉へ

  途中 道路脇の石垣の上に「雪山賛歌の碑」を見る。
  この地が ”雪山賛歌の発祥地” とは知らなかった。


  この「歌のおこり」と「歌碑」が並列して設置されている。

  当時京大山岳部の学生であった、南極越冬隊初代隊長の西堀栄三郎が
  冬場雪によって旅館に足止めをされた際に 退屈しのぎに作成したという。

  その詳細の “おこり” は 写真のとおりで 
   また
 雪山讃歌は 全部で9番まであるが、
   歌碑には1番と9番が記されている。

  この村では、正午を告げる防災無線のチャイムに
  また 道路上に溝を刻み 車のタイヤ音にも
  このメロディーが使用されている。
      

      

 

 


上州 (嬬恋村)レンゲツツジ群生

2013-08-21 | 国内・群馬

 

    ここ「湯の丸高原」は 群馬県嬬恋村になる。

  この一帯に自生する 「レンゲツツジ」 は およそ 60万株あり

  その群生は 日本一とも ”国の天然記念物”にも指定されているほどだ。


   6月下旬には 山並みを赤く染めるように埋めつくす大群落は

  草原に初夏の訪れを感じさせてくれると ガイドブックにあった。 

   訪れた時は 少々早かったが 咲き始めてはいた。

  最盛期には 「湯の丸高原つつじ祭」も開催されとのこと。

 


信州 (東卸市)湯の丸高原

2013-08-20 | 国内・長野

 

  車坂峠から 車のすれ違いもやっとの林道を通り
  地蔵峠を抜け「湯の丸高原」へ

  高原は 上信越高原国立公園に属し 湯の丸山の東側
  浅間連峰の西側に位置し
  
長野県東御市と群馬県吾妻郡嬬恋村にまたがり
  標高は1,800~2,000m

  1000種類以上もの高山植物の宝庫で 別名「花高原」とも呼ばれている。

  訪れた日は天候に恵まれ イベントもあってか  駐車場は満車状態。 

  周辺の烏帽子岳 篭の登山 などの山々は 比較的登りやすく
  展望も抜群で 初心者も安心して登れることから
  人気のあるコースで  時 中高年の登山ブーム
  人 人で大変な賑わいであった。


信州 (小諸市)車坂峠

2013-08-19 | 国内・長野

      雲海が美しい。 
       右から蓼科山 甲斐駒ケ岳 硫黄岳 赤岳の2700m級の山々が顔を出している。

 

  今回は 信州の東部・北部を巡る。

  小諸ICから ”チェリーパークライン” を走り
   途中に浅間山への登山口もあり
  一路 「車坂峠」へ

  小諸市と 群馬県吾妻郡嬬恋村との間にある 標高1973mの峠だ。

  「眺望100選」にも選ばれ ”佐久平”を一望でき 
   天気がよければ 富士山 八ケ岳 北アルプスまで一望できるそうだが
   今日は雲海の中に。

  峠を中心とした一帯は”高峰高原”で 黒斑山への登山口でもあり
  手軽なトレッキングが楽しめ 夏は レンゲツツジやシャクナゲなどの
  高山植物 秋は紅葉が見どころになる。


  


信州 旧南信濃村4 国盗り合戦

2013-08-18 | 国内・長野

 
  この兵越峠で 県境の領土を賭けた綱引きのイベントとして
  この「国盗り公園」で行われている。 

  1987(昭62)年から 毎年10月の第4日曜日に
  信州軍(飯田市南信濃)と 遠州軍(浜松市水窪町)で
  それぞれの商工会議所の青年部が
  「峠の国盗り綱引き合戦」という 綱引きで対戦し

  “3本勝負で 勝った方が 1m国境(県境)を相手側に移動できる。“ という。

  なかなかユニークな
村おこし行事が展開されている
  このような ”遊び心は” 今の世の中には必要ですね!


  因みに 第1回からの対戦成績は 信州軍の14勝12敗で
  現在は 県境より 2
m静岡県側にある。 

       
            訪れた現在 峠の”国境”の立て札は 2m静岡県側にある。

 


信州 旧南信濃村3 兵越峠

2013-08-17 | 国内・長野

 

   天龍村から国道418号 再び遠山郷に向かい
   さらに その直前で右折し 152号線の秋葉街道へ
     静岡県との県境に 「兵越峠」がある。

    標高1165mにあって
    長野県側は 旧南信濃村(現飯田市)  
   静岡県側は 水窪町(現浜松市) になる。

  「ひょうこし峠」は “ヒョー越”とも 単に “ひょうごえ”とも
   呼ばれることもあるが 名前の由来は 戦国時代
   武田信玄が 天下盗りの折りに
      この峠を 越えたからといわれている。

   また この街道沿いに栄えた 信州の遠山氏 遠州の奥山氏は
   国境を挟んで 互いに同盟と敵対を繰り返す
    
ライバルでも あったとのこと。