あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

信州紀行 須坂市6 蔵のまち観光交流センター

2019-10-31 | 国内・長野

 

  

横町通りの入り口に

「蔵のまち観光交流センター」が

あり 観光案内等を入手。

 

この建物は「旧角一製糸」の
3階建ての繭蔵で

当時、2、3階には
一年分の仕入れた繭を広げて
乾燥させて保存をしていたという。


角一製糸は 太平洋戦争までは
従業員 180人をかかえる
大きな製糸工場で

この建物は 明治20年代に
建てられたという。

1階は 繭を取り引きした
店と座敷があり

店には 中店と上店があったようだ。

この蔵がかつて隆盛を
誇った街の遺産の一つで


2009(平成21)年から
須坂観光の玄関口ともなっている。

 

  

 

 


信州紀行 須坂市5 馬車よ ゆっくり走れ!

2019-10-30 | 国内・長野

 

 

桜木通りを抜け 
横町中央交差点(東横町の辻)の

広場に「馬車よ ゆっくり走れ!」と
刻まれた碑がある。

これは 1998(平成10)年 
信州須坂町並みの会
設立10周年記念として

設置されている。

碑文の文字は 日本画家の
東山魁夷が書いている。

画伯がドイツを旅した際の
紀行書の題名でもあり

ドイツのローテンブルク市に
あるシュピタール門に刻まれた

一文「歩み入る者に安らぎを、
去りゆく人にしあわせを」から

引用しているという。

“急がば回れ”の意味合いも
あるのかなと思う。

 

東山 魁夷(1908-1999)
昭和を代表する日本画家の一人。
文化勲章受章者。

なお 長野市には
長野県信濃美術館・東山魁夷館がある。

 

 

 ローデンブルグ 

      左ジーベル門の先にシュピタール門がある

     右はコボルツェル門

 

  


信州紀行 須坂市4  手づくりふるさと賞

2019-10-29 | 国内・長野

 

    「手づくり郷土賞」の碑

 

須坂駅から 
歴史的な蔵づくりの町並みの
案内に沿って歩く。

その途中 
190mほどのプロムナード
市道桜木町通りがある。


この通り 平成4年の
「手づくり郷土(ふるさと)賞」に
選定されている。 


車道部分には地域の
特産品であるリンゴと
ブドウの色を配し

歩道部分には 
蔵の色である白と黒を
基調としてサクラの
赤を配している。

また 街路灯は
明治・大正時代のガス灯を
模して夜の通りを
優しい光で演出している

ことが選定の理由であった。

しかし 今は 特徴的なものは
色あせて 一般道路と変わらず


街角に賞の碑があって
初めてその存在を知る。

 

因みに「手づくり郷土賞」は

地域活動によって地域の魅力や
個性を生み出している良質な
社会資本とそれに関わった
団体を表彰するもので

1986(昭和61)年度に
創設された国土交通大臣表彰 

賞には 一般と大賞部門がある。

 

            

  地場産の松代石やヒノキで作られたベンチ

 

 

 


信州紀行 須坂市3  須坂市

2019-10-28 | 国内・長野

 

     

 

須坂は 松川と百々川が
つくり出した 2つの扇状地の
上に 町が形成され

旧街道沿いに 市街地が並び
リンゴ畑、ブドウ畑が 広がっている。

 

江戸時代は
須坂藩の陣屋町であった。

明治から昭和初期にかけては
製糸業で栄え

当時の繁栄を偲ばせる
土蔵や大壁造りの商家が残り

蔵の町として 
今は 観光都市としている。

 

しかし 信州のガイドブックを
見ても 隣町小布施などと違い

同一地域で 須坂市に
さくページは少ない。

何度か この方面には 来ているが 
この町は いつも通り過ぎで
ゆっくり見ることがなかった。


1876(明治9)年
近世以来の高井郡須坂村を
改称して 須坂町となる。


現在の人口は 5万人弱

 

    
    須坂市票

 

 


信州紀行 須坂市2  須坂駅

2019-10-27 | 国内・長野

 

 

観光のはじめは
交通の要所である 須坂駅

長野電鉄長野線の駅で
長野から12.5kmにある。


1922(大正11)年
河東鉄道
屋代 - 当駅間開通により開業。


1926(大正15)年 
長野電気鉄道 
権堂 - 当駅間が開業し


同年の9月 長野電気鉄道と
河東鉄道の合併により
長野電鉄の駅となる。

        

河東鉄道の路線は河東線
長野電気鉄道の路線は長野線と定める。

2012(平成24)年3月まで
屋代線が分岐していたが

4月から 屋代線は廃止された。

 

駅は 橋上駅舎 
改札口は駅舎2階にあり

ホームでは
「須坂市民歌」が流されているという。

 

1日3千人の乗降がある。

だが 現在の長野電鉄は 

人口減少や車社会の影響で
年々 利用者の減少傾向にある。

須坂市には 須坂駅の他に
村山駅、日野駅、北須坂駅と
4つの駅があるが

職員の削減で須坂駅以外の駅は
無人駅になっている。

                   
   末広通り 駅方面


信州紀行 須坂市1 千曲川氾濫

2019-10-26 | 国内・長野

        赤枠は決壊箇所

 

  

 

10月13日 台風19号により

東日本各地で水害が発生し

今も日常生活に

戻れない状態が続いている。

 

その中で 千曲川も堤防が決壊し
 

流域に甚大な被害をもたらし

ニュース等でその被害を知るが

地図を見ると 決壊場所の対岸が

この夏 訪れた須坂市であった。

 

須坂市は

千曲川岸の北相之島地区が

越水の被害にあったが

扇状地である中心部には

影響がなかったという。

 

少々迷ったが 

須坂の紀行文を

アップすることとした。

 

なお 当ブログとリンクを結んでいる

「信州ありふれた写真」の池様も

この流域に住まわれているが

紙一重で被災されずに済んだという。

何よりでした。

 

 

 


ポルトガル紀行214  帰国         

2019-10-19 | ポルトガル紀行

 

 

ツアー8日目の朝

無事に成田に帰ってきた。

 

一筆書きのように
スペイン・サンチャゴから
北から南へポルトガルを縦断し
リスボンまでの旅であった。

 

ポルトガルは日本の面積の
4分の一であるが大航海時代の
遺産が多く残り 
見るところが沢山ある。

 

世界遺産 7か所

  〇サンティアゴ・デ・コンポステーラ
            (スペイン)

  〇ポルト歴史地区

  〇ギマランイス歴史地区

  〇コインブラ大学

  〇トマールのキリスト修道院

  〇シントラの文化的景観

  〇ジェロニモス修道院とベレンの塔

 

冬でも比較的温暖で17度で
幸い天候にも恵まれた。 

ポルトガルは 
ユラシーア大陸の西の果て
ヨーロッパの奥座敷的な位置にあって 

争うとか競うとか感じはなく
シニア的な国とも思える。

世界で住んでみたい国はと
問われば この国ではないか 
また 訪れてみたい国ですね。

哀愁帯びた ファドを聴きながら
この紀行を終わりとします。

 

 

 

 

 

 

 

 


ポルトガル紀行213 リスボン55 パスコダガマ橋        

2019-10-18 | ポルトガル紀行

 

 

    

   (ウイキペディア資料から)

 

未明のリスボンを飛び立ち 
眼下にパスコダガマ橋を見る。

 

パスコダガマ橋は 
4月25日橋の上流にあって
リスボンと対岸の
モンティージョを結ぶ。


バスコ・ダ・ガマのインド航路
発見500年を記念して
1998年に開通した。

全長 17.2km (高架橋も含めると)
ヨーロッパで最長の橋。

4月25日橋の渋滞を
緩和するために建設された。

 

”アデウス ポルトガル!”

 


ポルトガル紀行212 リスボン54  リスボン・ポルテラ空港       

2019-10-17 | ポルトガル紀行

 

 

帰国日 朝3時半 
朝食用の弁当をもらい ホテルを出発

市中心部から7km北にある
 リスボン・ポルテラ空港へ

未明の市内は 交通量も少なく
15分ほどで空港に到着。

受付は まだ閉まっている。

現地ガイド曰く 
「昨夜は サッカー試合があったので

予定の時間よりは受付は遅れでしょう!」と

ポルトガルもサッカー王国
こんなところまでその熱が伝わる!

 

 

 

           

ガイドが言う通り 30分遅れでした。

 

空港の正式名は「リスボン空港」だが
愛称は 2016年5月から

反サラザール派の将軍の名に因んで
「ウンベルト・デルガード空港」に変わった。

市内からは接続する交通機関を
利用しても 20~40分

 羽田空港と同じようなアクセスです。

 


ポルトガル紀行211 リスボン53  半島戦争       

2019-10-16 | ポルトガル紀行

 

 

 

写真は 中心部から北東へ約9.5km
エントレ・カンボス駅に
近いロータリーに建つモニメント。

 半島戦争で戦った
ポルトガル人に捧げられた記念碑。


半島戦争とは 
1808~14年に行われた
ナポレオン1世支配に対する
スペイン,ポルトガルの
民族主義的反抗 独立戦争。

 

ナポレオンの侵略に先行し
国境近くのスペイン・オリベンサの
攻防を表す彫像で血まみれと
冷酷な戦争の痛みを
表す感情が芸術的と評価されている。

 

 

 


ポルトガル紀行210 リスボン52 ブラジル発見者       

2019-10-15 | ポルトガル紀行

 

 

エストレーラ庭園の北側
旗を持つ銅像がある。

フランスの民衆を導く
自由の女神を思い起こすようだが・・・。

 

この像は ブラジルを
「発見」したポルトガル人

ペドロ・アルヴァレス・カブラル
(1467-1520)を称えるため
1941年 リオデジャネイロに
存在していたもののレプリカだが
ブラジル政府からポルトガル政府に
提供され建立された。

 

カブラルは 
ポルトガル王マヌエル1世に
顧問官として仕えたキリスト騎士団の
一員で
隊長として率いた
第2回インド遠征隊は
1500年4月21日
ブラジルに「漂着」した。

 

ブラジルに到着したのは
実際にはスペイン人
ビセンテ・ヤーニェス・ピンソンの
ほうが1500年1月で早かったが
彼はここをインドだと思い込んでしまい
「ブラジル到達者」としては
カブラルのほうが知られているという。


因みに 第1回インド遠征隊を
率いたのはヴァスコ・ダ・ガマであった。

 

 


ポルトガル紀行209 リスボン51        

2019-10-14 | ポルトガル紀行

 

 

 

旧市街アルファマの北、
グラサ地区 ベルナ通りに面してある

ノッサ・セニョーラ・ド
・ロザーリオ・デ・ファーティマ教会

車窓からだったが 
洗練された姿が印象に残る。

 

この教会 1938年5年の
歳月を経て建設された。

建設当時 教会らしくないと
批判があったが ポルトガルの
モダニズムの傑作として建築賞を受賞し

今は リスボンで最も美しい
近代的な教会になっている。

 

 

 


ポルトガル紀行208 リスボン50  エストレーラ聖堂      

2019-10-13 | ポルトガル紀行

 

 

トラム28番のエストレーラ停留所の前

二つの鐘楼とドームを持つ
「エストレーラ聖堂」がある。

 

 

エストレーラ聖堂は
待望の男児ジョゼ王子を授かり

満願の叶った女王マリア1世により建設された。

1779年に建設が始まり、完成したのは1790年。

しかし建設途中 1788年に
ジョゼ王子は天然痘で夭折してしまった。


リスボン西部の丘の上に建ち
大きなドームをもつ巨大な教会は
遠方からもよく見える。


後期バロック様式と
ネオクラシカル様式の混合建築で

正面に2つの鐘楼と聖人像がある。

内陣は 大量の灰色、ピンク色、
黄色の大理石が床と壁面に使用されて

幾何学模様となり
ヨーロッパでも
美しい教会の一つとなっている。


ポルトガル紀行207 リスボン49 テージョ川      

2019-10-12 | ポルトガル紀行

 

    ベレンの塔からテージョ川河口方面を望む

 

テージョ川は イベリア半島最長の川。


スペインでは「タホ川」と呼ばれ 
マドリード東方
約170kmテルエル県付近を源に

半島中央部をほぼ西流 
ポルトガルに入って

南西に転じ,テージョ川と名前を変え
リスボン付近で大西洋に注ぐ

全長1007kmの大河。

河口付近では
川幅は10km以上にもなる。

 

 


ポルトガル紀行206 リスボン48 水道橋      

2019-10-11 | ポルトガル紀行

 

 

リスボンンで橋といえば

リスボンの北西
カンポリーデと谷を挟んで
モンサント森林公園に延びる
アグアス・リヴレス水道橋がある。

下に走る道 南方面へは
テージョ川・4月25日橋へつながる。

また並行して国鉄の線路も通っている。

ジョアン5世の命により
1731年から10年以上の歳月をかけて

イタリアの建築家
マヌエル・ダ・マイアの
指揮の下で造られた。

地上からの最高65m
 総延長19km。

1755年のリスボン大地震にも耐え
18世紀の
ポルトガル建築土木技術の
傑作と言われている。