あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

台湾紀行(91) 台湾少年工

2013-11-30 | 台湾紀行

           

 

   ガイドから示された 2冊目の本は 前回話題にした
  当時13~15歳の台湾出身の少年工たちが 軍需工場「高座海軍工廠」で
  戦闘機などの生産を担った人々に焦点を当てている

  「台湾少年工」(石川公弘著)だった。

  「台湾少年工」とは 1944年 台湾少年工の第6期工として
  高座海軍工廠にやってきた。

  「台湾は貧しく、勉強ができなかった。
  働きながら勉強でき なおかつ国のためになると思った」と
  当時を振り返るのが 本書。


  同工廠には、台湾から来た約8400人の少年工が働いていた。
  戦闘機の大量生産の必要に迫られた日本が 労働力不足を補うため
  当時日本の統治下にあった台湾の優秀な少年を
  1943年から7回に分けて動員された。

  少年工は 大和市上草柳にあった寄宿舎で暮らしながら
  戦闘機「雷電」などを生産していた。

  そんな歴史があったこを 今知る。


台湾紀行(90) 台湾高座会

2013-11-29 | 台湾紀行

                         

 

  バスは花蓮に向けて海岸線を走るが 風景にも変化がない。
 
   ここで ガイドから”
台湾と日本の関わり”の話になる。

   それにまつわる資料を幾つか回覧するの見て欲しいと
   回覧されたのが このパンフレットは

   今年の5月9日に神奈川県・座間市で開催された

  「台湾高座会 留日70周年歓迎大会記念誌」のもの。

  このガイドさん 日台交流で活躍されているようで 
  この大会においても 
台湾からの参加者のマネジメントをしたとのこと。
  道理で これまでの説明等も 
  詳細に具体的にしてくれていたことに納得がいく。

  今回のツアーでは よきガイドさんと会えて
  台湾の歴史等の理解が進んだ。

  因みに この大会は

  第二次世界大戦中 神奈川県の座間市と海老名市に
  またがる場所にあった 
軍需工場「高座海軍工廠」で働いていた
  当時13~15歳の台湾出身の少年工たちの集まり

  「台湾高座会」で その来日70周年を祝う式典であり
  当時の少年工やその家族をはじめ 

  台日双方の関係者ら約1,000人が出席して開催された。

  しかし これまでに日本で50周年 60周年にも開催されてきたが
  年齢的から今回が最後になるかもしれないとのこと。

 


台湾紀行(89) 遠雄海洋公園

2013-11-28 | 台湾紀行

 

  ツアーバスは 花蓮に向けて さらに進める。 
  その途中 道路標識に「遠雄海洋公園」が見える。

  ここ山の斜面一帯は 「花蓮遠雄海洋公園」という
  テーマパークになっている。


  花蓮市から南約10kmに 台湾初の海洋生態パークで
  その敷地51hに達する。

  海洋パークと自然景観パーク また五つ星クラスレジャーホテルが
  一体となった総合レジャーランドでもあり 海洋生物の展示を初め
  イルカショー・アシカショーが人気で 約150種1800点の生物を
  飼育展示しているそうだ。

  2002年の開業から2012年までの累計入館者数は約650万人。

  また 2013年5月に 鳥羽水族館と姉妹館提携をしている。 

  因みに 台湾の遊園地は 10都市に23施設もある。
  西側の平地に比べ 東側は断崖絶壁的な土地ゆえ
  大きな施設は設けられない事情からか
  
そのほとんどが西側に偏っている。
  この遠雄海洋公園は 東側雄一の施設に。

 


台湾紀行(88) 石梯漁港

2013-11-27 | 台湾紀行

                      石梯漁港


  ツアーバスは 公路11号線を北上 途中 車窓から小さな漁港が見える。
  ここは 花蓮の約60km手前 
  石梯坪脇自然保護区にある「石梯漁港」。
 

  海岸山脈が後ろに迫り 広々とした太平洋を目の前にした小さな漁港だが
  外海で鯨とイルカが発見されて ホエールウオッチングが
  できることが有名となり
 
 1997年 初めてのホエールウオッチング専用船「海鯨号」が
  この漁港から就航している。


  現在 カジキマグロの漁獲高が台湾で一番になっている。

  また この近くには 秀姑巒渓 小蝦虎 月洞の鍾乳洞
  コウモリ群 石門岩礁海岸などの 
観光ポイントも多くある。

 


台湾紀行(87) 北回帰線

2013-11-26 | 台湾紀行

               
                     それにしても高い!

 公路11号線を北上して先に 高さ20mの大きな塔が見えてくる。

 豐濱郷靜浦にある”北回帰線”のモニメントだ。 

 台湾海峡側から太平洋側へ台湾を二分するように
 北緯23度26分上に北回帰線が走る。

 その記念標識が ここ東側と 西の嘉義縣下寮にもある。

 この北回帰線を境にして 北側は亜熱帯 南側は熱帯の気候になる。 

 毎年6月22日の夏至の日には 太陽が北回帰線上に沿って東から西へと
 この塔の隙間 人一人が通れるほどの間を移動し
 正午には 塔の頂上に達し 
記念塔の影がなくなるという。

 北回帰線があれば 南回帰線もあるが
 ともに太陽が真上に来る限界

 当然 日本は真夏でも 太陽が真上に来ることはないですね。

 


台湾紀行(86) 宗教事情

2013-11-25 | 台湾紀行

 

 

  車窓から キリスト教徒の墓地が多く見られるようになってきた。

  台湾は 九州に地理的にも風土的にも似ていると思うが
  しかし 宗教は 九州では西側の 長崎 熊本地方にと
  キリスト系の施設等が多く見られるが
  ここ台湾は 東側の地方に多く見られる。

  東側には原住民が多く住み 
  その多くはクリスチャン(主にカトリック)だそうで

  イエズス会等がこの地域の原住民を対象にカトリックの
  布教活動を進めた結果のようだ。

  カトリックは天主教 プロテスタントは基督教と漢語表記され
  現在 最大の教派は台湾基督長老教会であるとのこと。

   因みに 台湾の宗教は憲法により宗教の自由が認められ
  布教活動も自由であり 
政教分離も行なわれている。

  調査では 宗派は 道教 仏教 キリスト教が主流を占めており
  現在の台湾人の86%が宗教を信仰し
  50%以上が 日常より何らかの宗教儀式に関与しているとのこと。

 

 


台湾紀行(85) 原住民

2013-11-24 | 台湾紀行

 

                

   三仙台を見学する広場のステージで
  原住民の若き女性の歌声が聞こえてくる。

  今夜は 花蓮でアミ族の踊りの見学もあるので
  ここで 原住民を話題に。

  台湾の原住民は 約49万人で総人口数の2%を占めている。

  原住民は マレー・ポリネシア系の言語帯を源とし
  身体的特徴も台湾人や外省人とは違い

  浅黒く 目鼻立ちがはっきりしている。
  また 各部族ごとに身体的特徴や文化にも違いがあるとのこと。

  現在、台湾政府に認定された先住民族は計14族で
  平地原住民と山地原住民に分けられる。

  その住地域は 台湾東部に多くアミ族が最も多く 約18万人。
  タイヤル族とパイワン族は約8万人。
  このほか 花蓮県9万人(18.3%) 
         台東県7万9,000人(16.1%)
         屏東県5万6,000人(11.4%) 
が住んでいる。

 

 


台湾紀行(84) 三仙台

2013-11-23 | 台湾紀行

 

 

  公路11号線を更に北上し 
    台東市から約65km 観光地「三仙台」へ。 

  「三仙台」は もとは細長く真っ直ぐ海に伸びる岬だったが
  海水による侵食で岬の一部が削られ島となった。
  かつて ここを訪れた八仙人が海を渡るとき
  李鉄拐 呂洞賓 何仙姑の三仙人が

  岩礁の上に休んだ足跡の伝わるところ。

  現在は 250mの沖合いにある島までは
  廣島・岩国の錦帯橋のようなアーチ橋が
八つ架けられて
  島一周の遊歩道も整備され2時間ほどで一回りできるそうだ。

  また ここには有名な八拱跨海歩道橋があり
  太平洋の日の出を眺めるのに絶好の場所とか。 

  我々は 手前側から島と橋を眺めるだけです。

 



 


台湾紀行(83) 緑島

2013-11-22 | 台湾紀行

 

 

  再び 公路11号線に戻り 北上する。
  沖合いに 王冠のような「緑島」が見える。

  台東市から33.34㎞離れて 面積は16km2 台湾で4番目に大きく
  人口約2000人 自然豊かな観光地として人気のある島。

  かつては 火山の噴火によって出来た島で
  焼け焦げた残骸のように見えたため「火燒島」と呼ばれていた。

  100年ほど前に島で鹿を飼いはじめる家が出てきたことから
  「鹿島(ludao)」と呼ばれ、それが同じ発音の
  「緑島(ludao)」に転じたと言われている。 

  現在は 年間20万人が訪れる リゾートとして人気を呼んでいるが 

  過去に 流刑地として使われていた時代があり
  1911年に当時の台湾を統治していた日本政府が
  監獄を建てたのがはじまりで

  戦後には 228事件の政治犯や反政府運動の
  活動家を収容する施設があった。

  現在は 跡地に人権記念公園となっている。

  今 日本でも小笠原村の西之島に
   新しい島ができそうだが・・・・
  


   


台湾紀行(82) 奇観

2013-11-21 | 台湾紀行




  台東市での昼食後 一路花蓮へ向けて進路をとる。

  途中 東河郷を走る11号線から少し北に入った道沿いに
  「水往上流」 上流に水が流れると言われているスポットに案内される。

  写真では 見づらいが 「歩道と丘の堺に流れる小川の水は
  左から右に登り坂でもあるのに 左(低い)から右(高い)へと流れている。」?

  つまり 右に見えるバス道路の坂が 目の錯覚で
  歩道が登っているように見えているようだ。 

  これだけで 「奇観」として“観光名所”になっている。
  台湾では「奇観」なるところが 多くあるそうです。

  日本でも「ミステリー坂」「お化け坂」「幽霊坂」などと
   
名所になっている所もありますね。

 


台湾紀行(81) 結婚アルバム 

2013-11-20 | 台湾紀行

 

 

  前回 結婚式の話題でしたので その続き「結婚アルバム」を話題に 

  写真は 台北市・樺山1914創意園区にて撮ったもので

  海外旅行をしていると有名な観光地では
  このような撮影風景をよく見かけますね!

  しかし 映画や雑誌の撮影ではなく
  またプロのモデルでもない
 結婚を間近にしたカップルが
  結婚のアルバム作成のため撮影をしているところです。


  中国もそうですが 台湾でも 結婚の際に 美しい風景を背景に
  プロのカメラマンに写真を撮ってもらい
  自分達の結婚アルバムを作るのが

  一種のステタースになっているとのこと。

  我々も 自分達の結婚アルバムは作ったが
   今はどこにしまったか・・・ 

    まして 他人様から頂いたもの
         離婚されたもの扱いは さらに困りますね! 

 


台湾紀行(80) 結婚事情

2013-11-19 | 台湾紀行

 

 

  ツアー一行は 台東市で昼食となった。

  レストランは 台東市で有名な「一家餐廳」(イージャー・ツアンティン)
  丁度 結婚披露宴が執り行われているところ
  日本のデェット曲「いつでも夢を!」が 日本語で歌われていて
  日本の式場と勘違いするほどだったが。

  ここで 台湾の“結婚式事情”を話題に

  こちら台湾は 招待状が届いたら 
  出欠の有無に関わらず「紅包」(祝儀)は
  必ず出さなければならない。

  これは いずれ自分が結婚のときは 
  同額かそれ以上包まれ戻ってくるから。

  (既婚者であればもらった金額 それ以上を
   包まなければならない。)


  当日の服装は 写真でも分かるとおり
  普段着でもよく 赤系がよく 黒は絶対にダメ。

  席の指定はない。 これは円形のテーブルで数人分の料理が
  皿ごとに出てくるので
構わないから
  飛び入りの人がいてもOKだそうだ。

 


台湾紀行(79) 台東故事館

2013-11-18 | 台湾紀行

 

 

  ツアーバスは 台東市内 鯉魚山公園手前
  博愛路に 「台東故事館」を見て通る。


  ここは かつて台東県の地政事務所だったが
  2004年 地政事務所が移転した後に
  台東故事館が設置された。

  佐賀県の武雄市図書館と同じように
  民間の書店が 経営と管理を委託されている。


  2階建て建築の1階は書店とカフェ 
  2階の一部が台東故事館の展示場となっている。

  台東の文学館 歴史館的役割を得ているようだが
  每年 台東の著名人をテーマとした展示イベントを
  10回開催し 鄉土の人物の生き様により
  台東精神にスポットライトを当てているそうだ。


   *昨夜のNHKスペシャル ユニクロの戦略をみて
   人と同じことをしていてはダメ!という
    発想回路が違う・・・凄い!!

 

 

 


台湾紀行(78) ユニクロ

2013-11-17 | 台湾紀行

 

 

  台東市内を行く 
  「ユニクロ」が7月12日に開店する旨の幟を見る。

  ユニクロ台湾は 2010年10月に
  台北市の「統一阪急百貨」に1号店がオープンしてから

  2013年6月現在 台湾には36店が営業している。

  この台東 秀泰広場店は37番目の出店になる。

  ユニクロの海外進出は 2001年のイギリス ロンドン出店
  から始まり 
その後 中国 米国 香港 韓国 フランスと
  441店舗が世界市場へ進出をしている。

  現在も 世界各地に店舗がオープンし続けているが 
  9月末に ユニクロとして世界一の売り場面積を
  ほこる上海店がオープした。


  因みに 日本国内には854店舗(2013年8月末)
   また ユニクロの中国名は
   「優衣庫」で”優れた衣服の倉庫”という。

   *今夜 NHKスペシャルで 「密着!ユニクロ
     成長か、死か ~ユニクロ 40億人市場への賭け~」
     が放映されさる。
 

 


台湾紀行(77) 台東市

2013-11-16 | 台湾紀行

 

                          台東市内

  ツアー訪問都市 6番目の台東市へ
  高雄から約170km これから先の目指す花蓮へは約150km
  丁度中間点となることから 
ツアーバスはここで乗り換えることに。

  台東市は 東部最大の都市で もともとは原住民族の村で
  それ故か 人口約11万人の内原住民族が約半数と
  主要都市の中で人口比率は最も高い。

  地理的には台湾の南東部に位置し 
  中央山岳を背景に太平洋に面して
  卑南渓による沖積平野にあり 地勢は平坦である。

   交通は 鉄道は台北から5時間 航空機では約50分を要す。
   
  感じとしては 小さくまとまった街に思える。
  しかし 数多いフルーツが生産されて
  別名”フルーツ天国”ともいわれる
  南国情緒漂う静かな街である。