あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ポルトガル紀行214  帰国         

2019-10-19 | ポルトガル紀行

 

 

ツアー8日目の朝

無事に成田に帰ってきた。

 

一筆書きのように
スペイン・サンチャゴから
北から南へポルトガルを縦断し
リスボンまでの旅であった。

 

ポルトガルは日本の面積の
4分の一であるが大航海時代の
遺産が多く残り 
見るところが沢山ある。

 

世界遺産 7か所

  〇サンティアゴ・デ・コンポステーラ
            (スペイン)

  〇ポルト歴史地区

  〇ギマランイス歴史地区

  〇コインブラ大学

  〇トマールのキリスト修道院

  〇シントラの文化的景観

  〇ジェロニモス修道院とベレンの塔

 

冬でも比較的温暖で17度で
幸い天候にも恵まれた。 

ポルトガルは 
ユラシーア大陸の西の果て
ヨーロッパの奥座敷的な位置にあって 

争うとか競うとか感じはなく
シニア的な国とも思える。

世界で住んでみたい国はと
問われば この国ではないか 
また 訪れてみたい国ですね。

哀愁帯びた ファドを聴きながら
この紀行を終わりとします。

 

 

 

 

 

 

 

 


ポルトガル紀行213 リスボン55 パスコダガマ橋        

2019-10-18 | ポルトガル紀行

 

 

    

   (ウイキペディア資料から)

 

未明のリスボンを飛び立ち 
眼下にパスコダガマ橋を見る。

 

パスコダガマ橋は 
4月25日橋の上流にあって
リスボンと対岸の
モンティージョを結ぶ。


バスコ・ダ・ガマのインド航路
発見500年を記念して
1998年に開通した。

全長 17.2km (高架橋も含めると)
ヨーロッパで最長の橋。

4月25日橋の渋滞を
緩和するために建設された。

 

”アデウス ポルトガル!”

 


ポルトガル紀行212 リスボン54  リスボン・ポルテラ空港       

2019-10-17 | ポルトガル紀行

 

 

帰国日 朝3時半 
朝食用の弁当をもらい ホテルを出発

市中心部から7km北にある
 リスボン・ポルテラ空港へ

未明の市内は 交通量も少なく
15分ほどで空港に到着。

受付は まだ閉まっている。

現地ガイド曰く 
「昨夜は サッカー試合があったので

予定の時間よりは受付は遅れでしょう!」と

ポルトガルもサッカー王国
こんなところまでその熱が伝わる!

 

 

 

           

ガイドが言う通り 30分遅れでした。

 

空港の正式名は「リスボン空港」だが
愛称は 2016年5月から

反サラザール派の将軍の名に因んで
「ウンベルト・デルガード空港」に変わった。

市内からは接続する交通機関を
利用しても 20~40分

 羽田空港と同じようなアクセスです。

 


ポルトガル紀行211 リスボン53  半島戦争       

2019-10-16 | ポルトガル紀行

 

 

 

写真は 中心部から北東へ約9.5km
エントレ・カンボス駅に
近いロータリーに建つモニメント。

 半島戦争で戦った
ポルトガル人に捧げられた記念碑。


半島戦争とは 
1808~14年に行われた
ナポレオン1世支配に対する
スペイン,ポルトガルの
民族主義的反抗 独立戦争。

 

ナポレオンの侵略に先行し
国境近くのスペイン・オリベンサの
攻防を表す彫像で血まみれと
冷酷な戦争の痛みを
表す感情が芸術的と評価されている。

 

 

 


ポルトガル紀行210 リスボン52 ブラジル発見者       

2019-10-15 | ポルトガル紀行

 

 

エストレーラ庭園の北側
旗を持つ銅像がある。

フランスの民衆を導く
自由の女神を思い起こすようだが・・・。

 

この像は ブラジルを
「発見」したポルトガル人

ペドロ・アルヴァレス・カブラル
(1467-1520)を称えるため
1941年 リオデジャネイロに
存在していたもののレプリカだが
ブラジル政府からポルトガル政府に
提供され建立された。

 

カブラルは 
ポルトガル王マヌエル1世に
顧問官として仕えたキリスト騎士団の
一員で
隊長として率いた
第2回インド遠征隊は
1500年4月21日
ブラジルに「漂着」した。

 

ブラジルに到着したのは
実際にはスペイン人
ビセンテ・ヤーニェス・ピンソンの
ほうが1500年1月で早かったが
彼はここをインドだと思い込んでしまい
「ブラジル到達者」としては
カブラルのほうが知られているという。


因みに 第1回インド遠征隊を
率いたのはヴァスコ・ダ・ガマであった。

 

 


ポルトガル紀行209 リスボン51        

2019-10-14 | ポルトガル紀行

 

 

 

旧市街アルファマの北、
グラサ地区 ベルナ通りに面してある

ノッサ・セニョーラ・ド
・ロザーリオ・デ・ファーティマ教会

車窓からだったが 
洗練された姿が印象に残る。

 

この教会 1938年5年の
歳月を経て建設された。

建設当時 教会らしくないと
批判があったが ポルトガルの
モダニズムの傑作として建築賞を受賞し

今は リスボンで最も美しい
近代的な教会になっている。

 

 

 


ポルトガル紀行208 リスボン50  エストレーラ聖堂      

2019-10-13 | ポルトガル紀行

 

 

トラム28番のエストレーラ停留所の前

二つの鐘楼とドームを持つ
「エストレーラ聖堂」がある。

 

 

エストレーラ聖堂は
待望の男児ジョゼ王子を授かり

満願の叶った女王マリア1世により建設された。

1779年に建設が始まり、完成したのは1790年。

しかし建設途中 1788年に
ジョゼ王子は天然痘で夭折してしまった。


リスボン西部の丘の上に建ち
大きなドームをもつ巨大な教会は
遠方からもよく見える。


後期バロック様式と
ネオクラシカル様式の混合建築で

正面に2つの鐘楼と聖人像がある。

内陣は 大量の灰色、ピンク色、
黄色の大理石が床と壁面に使用されて

幾何学模様となり
ヨーロッパでも
美しい教会の一つとなっている。


ポルトガル紀行207 リスボン49 テージョ川      

2019-10-12 | ポルトガル紀行

 

    ベレンの塔からテージョ川河口方面を望む

 

テージョ川は イベリア半島最長の川。


スペインでは「タホ川」と呼ばれ 
マドリード東方
約170kmテルエル県付近を源に

半島中央部をほぼ西流 
ポルトガルに入って

南西に転じ,テージョ川と名前を変え
リスボン付近で大西洋に注ぐ

全長1007kmの大河。

河口付近では
川幅は10km以上にもなる。

 

 


ポルトガル紀行206 リスボン48 水道橋      

2019-10-11 | ポルトガル紀行

 

 

リスボンンで橋といえば

リスボンの北西
カンポリーデと谷を挟んで
モンサント森林公園に延びる
アグアス・リヴレス水道橋がある。

下に走る道 南方面へは
テージョ川・4月25日橋へつながる。

また並行して国鉄の線路も通っている。

ジョアン5世の命により
1731年から10年以上の歳月をかけて

イタリアの建築家
マヌエル・ダ・マイアの
指揮の下で造られた。

地上からの最高65m
 総延長19km。

1755年のリスボン大地震にも耐え
18世紀の
ポルトガル建築土木技術の
傑作と言われている。

 

 


ポルトガル紀行205 リスボン47 4月25日橋      

2019-10-10 | ポルトガル紀行

  右端に「クリスト・レイ像」が見える。

 

「4月25日橋」
リスボンとテージョ川対岸とアルマダとを結ぶ

長さ2,277mの吊り橋は ヨーロッパでは一番長い。
1966年の完成時は 当時のポルトガルの独裁者 アントニオ・サラザールにちなみ

「サラザール橋」と命名されたが、1974年4月25日のカーネション革命の革命日から名前をとって改称された。

建設したのは、サンフランシスコの ベイブリッジと同じ会社アメリカン・ブリッジ。
二段構造で 上段が6車線の道路、下段が複線の鉄道となっている。
鉄道部は当初はなく1999年に完成している。

道路部は 6車線だが車線幅が狭いことから、速度70kmに制限されている。

通行料は アルマダ方面へは無料だが、リスボンへ入る方向は有料になる。

ヨーロッパで美しい橋として第1位に選ばれている(2014年)

また 橋の先に建つ高さ28mの像は「クリスト・レイ像」。
有名なブラジル・リオデジャネイロにあるキリスト像のレプリカでもあるが。
頂上は展望台としても人気のスポットになっている。

 

 

 

 

                            未明のリスボン・ウンベルトデルガード空港飛び立ち 眼下にパスコダガマ橋を見る。

 

4月25日橋の上流には

リスボンと対岸のモンティージョを結ぶパスコダガマ橋が架かる。


バスコ・ダ・ガマのインド航路発見500年を記念して、1998年に開通した。
全長 17.2km (高架橋も含めると) ヨーロッパで最長の橋。
 4月25日橋の渋滞を緩和するために建設された。

 


ポルトガル紀行204 リスボン46 乗り物       

2019-10-09 | ポルトガル紀行

 

 

リスボンで効率の良い移動手段は・・・

中心部は徒歩でも十分回れるが
坂が多く歩き疲れる地区は
トラムやケーブルカーを

またエリア間の移動は
地下鉄やタクシーが便利。

それとも 観光用の乗り物を利用しますか?

                         

   

 

イエローバス グレイライン
シティサイトシーイングなど
数社が運行

料金は22~28€

 

 

    少人数用

  

 

 

 

  三輪バイク・トゥクトぅク

    4人乗りで1時

 

 

タクシーの車体は
ほとんどがクリーム色だが

こちらは黒色も走っています。

料金はメーター制。

 

 

    馬車


 

 

それとも 自力でレンタルサイクルを!

しかし リスボンは7つの丘が
ありそれこそ坂道ばかり 
アシストがあるように見えない。

ここはリベイラ市場脇 
中心部バイシャ地区や
テージョ川に沿う道は平坦なので
利用はあるようだ。

 

 

 

 
カリス社が運行するバス。

市内を縦横無尽にカバーしている。

 

  

 

 
 警察官も馬車で
 パトロール?いや移動か

 



ポルトガルは
一般的にはヨーロッパでも
治安が良いく 安全と言われている。


しかし 安全と言っても
日本から見ればそれなりの注意は必要。

リスボンは、比較的安全と言っても
スリや置き引き
ひったくりは結構あるそうだ。

 

 


ポルトガル紀行203 リスボン45 市電       

2019-10-08 | ポルトガル紀行

 

  15E系統 Wi-Fiの表示がある新型

 

        15E系統  ジェロニモス修道院前

  

 

リスボン市内を走る
白と黄色のトラムは
1873年に開通している。

初期のトラムは
現在 カリス博物館
(公共交通博物館)で展示している。

 

2015年現在、5路線・総延長48km。

  • 12E: フィゲイラ広場
      ~サン ジョルジュ城(環状線)
  • 15E: フィゲイラ広場~サントシュ
      ~アルカンタラ
      ~ベレン~アルジェシュ
  • 18E: カイシュ ド スードレ
      ~サントシュ
      ~アルカンタラ~アジューダ墓地
  • 25E: テレイロ ド パソ
      ~カンポ ド オーリク
  • 28E: マルティン モニス
      ~アルファマ~サン ジョルジュ城
      ~バイシャ シアード
      ~カンポ ド オーリク

 

  

    28E系統 コメルシオ広場

 

特に観光に便利な28Eは
サンジョルジュ城など

歴史的な観光スポットを 
またアルファマ地区の狭い通りを
すり抜けるようにして走り遊園地の電車に
乗っているように楽しめるとして
観光客に人気がある。

 

 


 
   復活した24E系統 

 

なお 24E系統が 
23年ぶりに復活している。

路線は カモンイス広場
(将来はカイス・ド・ソドレ)から
~サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台
~プリンシペ・レアル公園~カンポリーデ。

 

 


ポルトガル紀行202 リスボン44 カイス・ド・ソドレ駅       

2019-10-07 | ポルトガル紀行

 

地下鉄・カイス・ド・ソドレ駅 

 

         国鉄・カイス・ド・ソドレ駅(カスカイス線)

 

リベイラ市場の南向かいは
カイス・ド・ソドレ駅がある。

ポルトガル鉄道 カスカイス線
(1895年9月4日開業)と

リスボンメトロ 緑線(1998年8月18日開業)の
乗換駅でもある。

またセイシャルや
モンティージョに向かう
フェリーとの接続地にもなっている。

 

 

 

リスボンの地下鉄は

1959年12月29日に開業している。

現在 4路線約43km 56駅の規模。

その4路線は

・赤線(オリエンテ線)
  サン・セバスティアン駅
         ~空港駅 12駅 10.5km

・緑線(カラベル線)
  テレイラス駅 
    ~カイス・ド・ソレド駅 13駅 8.9km

・黄線(ひまわり線)
   オディヴェラス駅 ~ラト駅 13駅 11.1km


・青線(かもめ線)
   アマドーラ・エステ駅
   ~ サンタ・アポローニヤ駅 17駅 12.9km

 

 

 


ポルトガル紀行201 リスボン43 リベイラ市場       

2019-10-06 | ポルトガル紀行

 

 

 

リスボンでの昼食は

交通の要である
カイス・ド・ソドレ駅前にある
「リベイラ市場」で

 

市場は 1882年に開設し
ヨーロッパで最も有名な魚市場であったが


2014年にリニューアルオープンし
市民の台所がモダンに大変身した。

7000㎡の敷地にB級グルメから
カリスマシェフの創作料理まで
50店舗を擁するフードコートンになっている。

客席も500席あって
観光客もレストランに行くより
気軽にと人気のスポットになっている。



                       

 

フードコートには
ポルトガル料理だけでなく
アジアフードからケバブ
デザートまで何でもそろっている。

注文して出来上がった料理を
真ん中の大テーブルに
自分で運んで食べることに。

 

 


ポルトガル紀行200 リスボン42 カルモ教会      

2019-10-05 | ポルトガル紀行

 

 

 

ロシオ広場から見るエレベーターの先に
カルモ教会が見える。

 

中世につくられた
カルモ修道院も
リスボン地震の被害を受け

修道院と教会のほとんどが破壊された。

修道院は模様替えされ、
すぐに軍の宿舎となった。


木造の時期を経て
教会は二度と十分な再建がされず

1864年にポルトガル建築協会へ
寄付され 壊れた建物は博物館となった。

 

大地震の爪痕として
今も教会を支えた骨組みを残している。