東京・国立劇場
今日 3月11日 東日本大震災から 3年を迎えた。
震災による死者は1万5884人 行方不明者は2633人になるそうだ。
被災地では絆を大切にしつつ
復興に向けて懸命な努力が続けられている。
この3年 当方としては何もできなかったが せめてこの日にはと
政府主催の東日本大震災三周年追悼式の一般者として
花一輪をささげ お祈りさせていただいた。
東京・国立劇場
今日 3月11日 東日本大震災から 3年を迎えた。
震災による死者は1万5884人 行方不明者は2633人になるそうだ。
被災地では絆を大切にしつつ
復興に向けて懸命な努力が続けられている。
この3年 当方としては何もできなかったが せめてこの日にはと
政府主催の東日本大震災三周年追悼式の一般者として
花一輪をささげ お祈りさせていただいた。
写真は 気仙沼「港ふれあい公園」前 左の建物は
映画『春との旅』のロケになった「丸枡食堂」だが
津波の被害とともに 地盤沈下が生じ 水に漬かっている。
丁度上げ潮の時だったので 脇の雨水枡からは海水が
湧き出ているのも見える。
今度の大震災で東北沿岸部は 地盤沈下が大きく見られ
陸前高田84cmを最大に 気仙沼は74cmとのこと
また 仙台平野は 海抜ゼロメートル以下の面積が
以前の5.3倍の16平方キロになっている。
一方 驚くことに 面積の減少は地方交付税の減少になるとか!
しかし 当面 政府は地図の更新をせずに
交付税の減少はしないそうだ。
★ 映画『春との旅』(2010年)
監督:小林政広 主演:仲代達也
「元漁師の主人公が孫の春に面倒を見られながら静かに余生を
過ごすが 孫の失業から人生最後の住まいを求め 親戚縁者を
訪ねる旅に出て 家族との確執や過去との対面により
人生そのものをじっくりと見つめ直す。」
気仙沼には 気仙沼線と大船渡線が通って 交通の要所だが
今回の津波で 甚大な被害を受けている。
気仙沼線は 全長約80kmのうち陸前横山からの60kmが
大船渡線は 全長約105kmのうち半分の大船渡方面が
現在不通になっている。また何時津波が来るかもしれない
同じ場所に 復旧することは難しく 新たに他の場所に
敷設も叶わないだろう。
写真では 線路は赤くさび雑草が生え 遠くには陸に打ち上げ
られた船なども見える。
現地には いろいろな事情があるのだろう
復旧は 中々進まないのが 現状のようだ。
本ブログ 4月10日・大地震(13) 「折石」の健在を掲載したが
今回 実際に確認したく訪れる。
岸壁を下り その姿を見たとき 思わず声が出てしまった。
まさに 何の変化もなく以前と同じように その姿を見せていた。
左前方には 陸前高田が遠く望めるが 大津波などあったことなど
ないように穏やかな海原がひろがっている。
台風12号の居座りで 各地に大雨を降らせ 甚大な被害を
もたらしている。 ニュースで増水した川の流れを見て
津波と変わらないように思えた。
普段は静かな「水」が ひとたび荒れ狂うと その牙をむき出す。
改めて「水」の恐ろしさに 今さながら思う・・・
被災した 陸前高田の「海と貝のミュージアム」
約6千種・11万点の貝のコレクションをがあり
陸前高田が生んだ鳥羽源蔵と千葉蘭児の両氏が
発表した新種の貝なども標本として所蔵されていたが
全部流失して 元の海に戻ってしまった。
しかし 建物そのものは残った。 また当ミュージュアムの
目玉であった国内最大級の「ツチクジラ」の ”はく製” も
損害なく残っていたそうだ。
おそるおそる 内部をのぞくと 廃墟になった中
壁に一枚の絵画が残されており 異様な感じだった。
当然 その他内部の設備・展示等は 壊滅的な状況だった。
集積された 廃車の山 もう原型をとどめていない。
よくも ここまで めちゃくちゃにできるものと驚くばかりだ。
この中には 走行中の車もあったのだろう。
海水に漬かっているので サビもでている。
部品も再使用できない 所有者も特定できないことで
処分も難しいのでは。
被災3県の陸運局には 廃車手続きに 1万5千台を超える
申請があったそうだが 3県で津波の被害にあった自動車は
推計で23万台になり さらに申請が増えるという。
”カン車”も やっとのことで 廃車になった・・・
どんな作業かは分からないが
陸前高田のボランティア活動の様子。
5ケ月半も過ぎても 多くのボランティアが参加している。
現在は 被災中心部から離れた所での 活動のようだが
この炎天下での作業や 活動の全部が自前での参加に
頭が下がる。
「陸前高田市災害ボランティアセンター」によれば
昨日から台風の影響を避けて休止しているようだ。
全ての作業が二次災害にならないように配慮しているようだ。
こちらは 気仙沼市内のボランティア
今日 野田内閣が正式に発足する。
それこそドジョウのごとく ドロにまみれて
汗をかいて仕事をしてほしいものだ。!
道路沿いの高台に 仮設住宅があった。
住んでおられる人のことから 写真は遠くから撮影した。
簡易施設なので この炎天下の中で生活できるのだろうか
クーラーの設置もないように見受ける。
ニュースでは 昨日で 岩手県内で設置されていた避難所が
全て閉鎖されたが 仮設住宅は13,984戸 借上民間住宅
には3,856戸が入居していると。
一日も早く正常な生活に戻れるよう願いたい。
今日は 「防災の日」各地で防災訓練が行なわれようだが
”備えよ常に!”を 心がけよう。
うず高く集積された ”ガレキ”の山 この集積所も一杯に!
何万本もあった松が 大津波で流されたが
たった1本だけが残った。
地元ではこれを 「奇跡の一本松」として
復興のシンボルにしている。
海水の浸水を防ぐため 木の周りに 鉄板を埋め
また 潮風や直射日光から木が高温にならないよう
”こも”を巻き 根元には ワラを敷き詰めて守っているそうだ。
この松に負けぬよう "ドジョウ内閣”も頑張ってほしいが!
大震災から 5ヶ月半 雑草だけがいやに成長している。
この住宅も床だけを残しただけで 全部もっていかれて
しまった。下の写真は ここがトイレと風呂と かろうじて
その跡とと見れる。
奥に見える雇用促進住宅にも 4階まで津波が襲ったことが
分かる。4階の高さは10m以上になるので 津波の高さも
推測できるが。
現場を見ていくごとに その恐ろしさが増してくる。
今日 国会で総理大臣指名投票が行なわれ
95代目の 内閣総理大臣が誕生する。
金魚ではない ”ドジョウ内閣”が誕生するが
「”ドジョウ”?するなら (災害復興の)金をくれ!!」
先週末 被災した陸前高田を訪れる。
第一印象は 広島や長崎の原爆後の写真が浮かんできた。
写真でも分かるように 堅牢なビルだけが取り残されたように
あるだけで 遠く山の麓まで見通せる情況に・・・
ことばが出てこない。見たこともない状況にただ驚くばかりだ。
下の写真は このブログの4月14日掲載の大地震(17)の
陸前高田だが 見比べてもその状況が分かるように
当時のものは皆流されている。かろうじてガソリンスタンドの
看板がだけが建っていた。 しかし かなり高い看板だが
その下の部分までが破壊されている。 この高さまで
津波が襲っているのだ。
報道写真だけでは全体の被害状況は伝わらない
実際にこの眼で360度見て 改めて 津波の恐ろしさ
被害の状況を痛感し実感する・・・
今日 民主党代表が決まるようだが この現状を一日も
早く復興できる代表が選ばれるように願いたい。
収益金全額を東日本大震災の復興事業にあてる
「東日本大震災復興宝くじ」が 7月30日から発売された。
震災復興宝くじとしては 阪神大震災 新潟県中越地震に続き 3例目になる。 当方も 貢献と期待をかけて10枚買い求め 1等3000万円は30本で 前後賞は1000万円。 2等1000万円は150本、3等100万円は1500本。 抽せんは8月11日だが・・・果たして? なお 当せん金などを差し引いた収益の全額が 岩手 宮城・福島県などの発売主体の被災9県2政令市に 配分されるそうだ。
ー
(隅田川岸 整備されたスーパー堤防)
「スーパー堤防」とは
200年に一度の規模の大洪水に備え 堤防の幅を 高さの30倍
まで広げて強固にするもので 正式名は「高規格堤防整備事業」で
整備された堤防をいう。 できた堤防上に地元自治体が土地区画
整理によって新たな街を建設している。
昔を知る人には 公園や高層住宅が並ぶこの地の変わりようは
同じ街かと驚く・・・。
現在 首都圏の4河川と 近畿圏の2河川で 計872kmを整備する
ことになっているが 完成しているのは まだ計画の6%ほど
多額の予算を必要とすることなどから 各自治体では賛否論で
もめている所もあるようだ。
一方 今度の津波の被害を受けたところの復興計画も
どのように”安全と生活”が配慮されるかが鍵ですね
(記念碑として残されたカミソリ堤 東京・荒川区南千住)
カミソリ堤とは
昭和32年から昭和50年にかけて
隅田川等で整備された。
写真のように
高さ3~4mの直立の
高潮堤防の事をいう。
しかし この堤により
街と川が分断されてしまったため
昭和55年から緩傾斜型の堤防に
更に昭和60年度からは
スーパー堤防が
整備されるようになり
次第に撤去されている。
隅田川沿いにはまだまだ
カミソリ堤が存在し
何時来るかわかない
災害に直面している。
(隅田川左岸・足立区側に連なるカミソリ堤)
〔土木用語から抜〕
堤防が洪水のために
決壊または破堤することを
「堤防が切れる」と
表現するため
剃刀の刃がよく切れることと
語呂が合わせて
壊れやすい堤防→
切れやすい堤防→
カミソリ堤と呼ばれる。
また コンクリートの
特殊堤がその厚さが薄いことから
カミソリの刃の薄さに
なぞらえて
カミソリ堤と言われている。
今日11日は 大震災から 丁度3ヶ月になる
未だに行方不明者8千人 避難民の方々が10万人
義援金もまだ行き渡っておらず 政局はは混迷し
時間だけが前に進んでいる状況にある。
写真は ”防災井戸”
東京・荒川区では 防災井戸が公園・広場に区内に32箇所
給水場所が学校等に37箇所設置されている。
このような設備が設けられていることは この周辺に住む
人々にとっても安心できるのでは。
また 千代田区では 民間の井戸も指定し 災害時には提供
できるようにもなっている。
当方も今回の地震では 断水になり給水の恩恵を受けたが
改めて このような設備や案内等にも
目に留まるようになった。