あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

満開のさくらの中 退職!

2014-03-31 | 出来事・行事

 
    今日 3月31日 東京は快晴  

   強い風の中 枝を揺らしながらも 千鳥が淵の桜は満開!

     当方も この桜の祝福を受けるがごとく 第二の人生の卒業を迎えた。

       当初予定の任期の倍を 勤めることができたことは

          職場の皆様方に助けられたこと  また 家人の励ましに支えらたこと

               感謝! 感謝!

           
 特に 健康第一にと 欠かすことなく 家人が弁当を持たせてくれたことは

             風邪ひとつ引かず 今も健康で 無事に退職することができた。


               
                            贈られた花束


       

         

      


ベトナム紀行(31) 厨房

2014-03-31 | ベトナム紀行

 

 

地上階には 大きな厨房があり 

シンク レンジ ミキサーなどの調理機器が

 
当時のまま 残されている。


そのほとんどの 厨房機器が日本製で

「AKIMOTO」「HITACHI」「旭硝子」などの標示が見える。

この広さと機器で 何人が働き 名人分の食事を作っていたのだろうか?

また 厨房を見学するのも「ノイシュヴァンシュタイン城」以来かな・・


 

 

 


ベトナム紀行(30) テト攻勢

2014-03-30 | ベトナム紀行

  

前回話題のアメリカ領事館前 レユアン通り脇に

1968年に襲撃された ベトコンの「テト攻勢」の記念碑が建っている。


この「テト攻勢」とは ッベトナム戦争において

 1968年1月30日夜から展開された 

北ベトナム人民軍及び南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)による大攻勢が
 
南ベトナム各地で展開され ベトナム戦争最大の転機となった。

「テト」とは ベトナム語の旧正月を意味する。

当時のアメリカ大使館もその攻勢を受け アメリカ特命全権大使 

駐ベトナム軍総司令官は 辛くも難を逃れたが 

大使館は 一時 北ベトナム軍に占拠されてしまった。


このテト攻勢の時 逮捕された 南ベトナム解放民族戦線の将校を
 
サイゴン市警察長官が 路上で 射殺・処刑する写真が

全世界に報道され 大きな衝撃を与えたが これも覚えがある

 

 


消費税アップ(2)

2014-03-29 | 出来事・行事

 

消費税アップ対策 折り込み広告を片手に 家人のお伴でスーパーへ

目当ての商品は おひとり様何点と 限定されているので その人数合わせもある。

 ご近所のご夫妻も同様で レジの列で お互いに苦笑い・・・


今日は 気温が上がって5月の陽気 もう雪もない ノーマルタイヤに交換し

また 気分も高揚し 久しぶりに 軽いジョキングで 汗を流す。

 


ベトナム紀行(29) アメリカ大使館

2014-03-29 | ベトナム紀行

 統一会堂から一直線に延びる「レユアン通り」に面して「アメリカ領事館」がある。

 

ベトナム戦争中 当初のアメリカ大使館は ハムギ通りの39番地で

ホー・トゥン・マウ通りとの交差点 サイゴン川近くにあった。 

現在は ホーチミン市金融大学(別名「銀行大学」)になっている。

 1969年 サイゴン陥落後は アメリカ大使館は

廃墟同然の状態で ほったらかしにされていた。


戦争は終わっても アメリカは20年間 ベトナムに経済制裁を加えていたが

 1995年 やっとアメリカとの国交正常化が行われた。


その後 アメリカ大使館が ハノイに建設され ホーチミンには1999年

 現在の総領事館が 建設されて 業務が再開されている。

 
今は ビザを求めるベトナム人が多いとのこと。

 


消費税アップ(1)

2014-03-28 | 出来事・行事

 

   消費税アップで JR駅頭の 料金表の掲示も準備完了し

  「定期券は早めに!」の呼び掛けに 通勤客も駆け込み購入で列を作る

  駅員も券売機の操作の説明をしている。

アップ前の 自衛策を あの手この手で考えなければ・・・ 

   


ベトナム紀行(28) ミス・サイゴン

2014-03-28 | ベトナム紀行

 統一会堂の格子窓から 戦車が突入してきた正門・レユアン通りを望む。

 

前回 屋上からの脱出の話題に振れたが このときの様子をヒントに 

ベトナム戦争末期のサイゴンの売春バーで働く

ベトナム人少女キムとアメリカ大使館で軍属運転手を務める

クリスとの間に繰り広げられる物語 ミュージカル「ミス・サイゴン」がある。

この「ミス・サイゴン」 は 1989年9月20日に

ロンドンのウエストンエンドで初演されたミュージカルで


初演から9年9か月後の 2001年1月28日に4097回目で幕を閉じている。


また 日本 アメリカ 含む多くの国々でも上演されて

ブロードウェイではロングラン公演歴代9位に位置づけられている。

 因みに 2008年から6年ぶり 今年の7・8月には帝国劇場
 
その後 地方都市でも上演されるとのこと

 

 


さくら開花

2014-03-27 | 出来事・行事

 

東京にも25日 ”さくら開花”の知らせがでて

「千代田区のさくら祭り」のパンフレットも手元に届く

今朝は小雨 標準木の開花状況は2分ほど

土・日は かなり気温が上がって 満開は来週とのこと

パンフレットをみて 千代田区 いや東京に

こんなに さくらが咲く所があるのかと

あらためて見直ししてしまったが

さて 今年はどこに・・・

 


ベトナム紀行(27) ヘリコプター

2014-03-27 | ベトナム紀行

 

 

3階屋上に ヘリコプター(アメリカ製 UH1型) 1機が展示されている。

説明文によれば 大統領の緊急視察用に使われていたものの複製のようで

サイゴン陥落のとき脱出に使われたものと よく間違えられているようだ。 

しかし 陥落のおり この屋上から脱出したことには間違えない。

 サイゴン陥落の直前  アメリカ軍要人 アメリカ人や南ベトナムの人々が


フリークエント・ウインド作戦により この屋上からヘリコプターを使い

 洋上に浮かぶアメリカ軍空母へ向かう脱出劇が繰り広げられ

 空母では 次から次とやってくるヘリコプターの置き場所がなく

 再び飛び立たせることなく 海に落とし込んでいた。


このときの光景も ニュースで見た覚えがある。

一方 内部には 陥落の日 南ベトナムの

最後の大統領ズオン・バン・ミン(在任わずか3日)が


無条件降伏のため サイゴン放送局に向かったときの

ジープが展示されていた。 

 

 


ベトナム紀行(26) 官邸爆撃

2014-03-26 | ベトナム紀行

 右端にもう一つ爆撃跡の赤マルが見える。


3階屋上に 迷彩色のヘリコプター 1機が展示されている。

その前 赤い丸印で囲んだ英文の説明文が2箇所あり

 「1975年4月8日午前8時半 グエン・タン・チュン中尉のF5Eが飛来
                          まさしくここを標的に二発の爆弾を投下した。」

と訳される。

 
4月8日といえば 4月30日の終戦の3週間前に 


大本山である南ベトナム大統領官邸が爆撃されていたのだ。


この経緯は 資料によれば

このパイロット・チュン中尉は 南ベトナム空軍の軍人であったが

 解放軍のスパイ(秘密工作員)で


米軍・政府軍から奪った飛行機を操縦して 大統領官邸を爆撃し

 その20日後には米軍・政府軍の拠点・タンソンヌット空軍基地をも爆撃していた。

 
このこともあって ベトナム戦争の終結を早めたともいわれている。

 

 


ベトナム紀行(25) 突入戦車

2014-03-25 | ベトナム紀行

大口径の100ミリ砲筒は未だに会堂に向けている。

 

1975年4月30日 午前11時30分

解放戦線旗を掲げた戦車が 

真っ向メインゲートから 南ベトナム大統領官邸に突入した。

続いて 解放軍兵士が官邸内になだれ込み

 屋上の “三本線のサイゴン政権の旗” を引き降ろし


勝利の旗 「南ベトナム解放民族戦線旗」 が掲げられ

この時をもって ”ベトナム戦争が終結した” といわれている。 

この時の様子は 全世界に報道されたが
 
あれから40年を経とうとしている今も 


その突入した戦車が2台 正門に入って右側に

 
先に突入した 390号戦車(中国製B-59型)と
 
後続の 843号戦車(ソ連製T-54 型)が露天展示されている。

この戦車を見て 何故 中国とソ連なのか?

当時のアジアが ”ドミノ倒し”のごとく共産主義化するのを

阻止しよとしたアメリカと それに対抗し 中国・ソ連が支援した。 

つまり ベトナム戦争は 代理戦争 だったことが分かる。




ベトナム紀行(24) 統一会堂

2014-03-24 | ベトナム紀行

 

 

ツアー二日目 朝一番の 見学は 

市内中心部 1区にある「統一会堂」

総面積2000m2の広大な土地に建つ

 統一会堂(トンニャット宮殿)は
 
政情が不安定だった時代に 建物の呼び名もたびたび変遷し


1873~955年には 「ノロドン宮殿」。


1955~1975年は 「独立宮殿」と呼ばれ 旧大統領官邸であった。


そして 現在の名称になって 大統領府当時のまま保存されて

 博物館として一般公開されているが 時には国際会議等にも使われている。


また この建物 上空から見ると「吉」の字に見えるのだそうだ。

では 見学は1階から

        1 階  講堂 内閣会議室 バンケットルーム
        2 階  大統領の(執務室・作戦室・応接室) 副大統領応接室 国書提出室 
              大統領官邸(寝室・食堂・中庭)
        3 階  大統領夫人応接室 図書室 映写室 ゲーム室  ヘリポート
        4 階  ダンスホール バー
       地下階  作戦司令室 大統領寝室 士官室
       地上階  キッチン ギャラリー

と順に回る。 現在の建物は1962年から4年を費やして建てられ洋風だが

大小100以上の部屋があり 調度品等は中国風で 中国に来ているような雰囲気


また 地下は秘密の軍事施設のようでした。 

 

 


ベトナム紀行(23) 一弦琴

2014-03-23 | ベトナム紀行

ベトナムの一弦琴「ダンバウ」の演奏 後は竹製の民族楽器「トルン」


夕食を摂り終えるころ 何かうっとりとする音色が聴こえてくる。


食堂の片隅で 男性が演奏している。

この楽器 一弦琴「ダンバウ」という 古くからのべトナムの独自の民族楽器で

 構造のうえでも珍しい 一本弦の弦楽器である。


音色は低く 甘い音色を響かせ 「高い音は母親の声 低い音は父親の声である」と

また 「ベトナムの心」 を表すとも言われている。

そのため ベトナムの民族楽団の中でも

 一番魅力的な楽器として 位置づけられている。


「ダンバウ」は 11世紀の李王朝時代に演奏され始め

 素人民謡を歌う歌手の伴奏楽器として使われ「竹」で作られていたが

 現在は 木製なっているそうだ。


写真 演奏者の後ろに見える楽器も 

ベトナム民族楽器の打楽器「トルン」(竹琴)で 

音色には 軽やかで温もりがあるとのこと。

帰国して テレビで ピアニスト辻井伸行さんが

ベトナム民族音楽楽器と 合奏する様子が放映されていた。


あらためて その音色に魅了された。


 


ベトナム紀行(22) ベトナムビール(2)

2014-03-22 | ベトナム紀行

 

前回 話題「ビール」で 「サッポロビール」について触れたので

市内 トンドゥクタン通りに 「グリーンパワービル」があるが

このビルの17階には 日本のサッポロビールの

現地法人「サッポロ・ベトナム」が入っている。

2011年 日本のビールメーカーとして 

ベトナムでのビール工場建設は初めてで 

サッポロビールにとっても 初めての海外工場になる。

そのロンアン工場は ホーチミン市の南西に隣接しており

4000万リットルを生産できる。

 

短期間のうちに販売網の構築も手掛け

2012年4月にはホーチミンなど南部を中心とした地域の酒類小売店

レストラン、ホテルなど4000カ所で サッポロビールが扱われているそうだ。


これを足がかりに アジア周辺国へも進出を計画している。

 製品は サッポロ プレミアムの  

330ml小瓶  330ml缶 シルバーカップ650ml缶
  20L樽生だが

今回旅行中には お目にかかれなかった。

 

 


スピーカーエッジ

2014-03-21 | 出来事・行事

          

 




今日は  祝日ながら ”天気晴朗なれど風強し” の一日 
  

出かける事もないので 
これ幸いと 

スピーカーエッジが 老朽化してしまったので 交換することにした。

古いエッジを 綺麗に取り去り いざ取り付けようとしたが

フロントのエッジ押さえがはずせなく

仕方ないので その上から張ろうとしたが 凸状でノリシロがない

ということで 凸状をグラインダーで削って

やっとのことで 仕上げたが まる一日の仕事になってしまった。

しかし 良き音色に その疲れもいやされ 消えた・・・