あかない日記

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ポーランド・ヴィエリチカ岩塩坑 107 キンガ姫

2018-08-05 | ポーランド紀行

 

「ヤノビツェの部屋」(地下2層 90m)


当時の坑夫たちは余った時間を利用し 
殺風景な地下空間にいろいろな岩塩の彫刻を
創って
心いやすなどしていた。

場面は 坑夫が採掘した岩塩(指輪ではなさそう)
「キンガ姫」が受け取るところのようにみえる。

この人形たちも岩塩で作られている。

10世紀ごろの伝説では
「ポーランドの王ボレスワフ5世と婚約した
ハンガリー王女キンガ姫は
一生独身でいるつもりであって気乗りがしなかっため
結婚指輪を泉に捨てしまった。


その後 ポーランドに嫁いできたキンガ姫は
 ヴィエリチカのある場所に強く惹かれ
その地に井戸を掘る事を命じたところ
岩塩層にぶつかり さらに掘り進むと
捨てた指輪が出てきた。」という。

その当時 塩が手に入らないために貴重であって
同じ重さの岩塩と金は
同等の価値があったころの話。

 キンガ王妃は 1999年ヴァチカンによって
列聖(聖人と認定)されている。


 

 


ポーランド・ヴィエリチカ岩塩坑 106 天文学者と大王

2018-08-04 | ポーランド紀行

 

 

「コペルニクスの間」(地下1層)

ポーランドの有名な天文学者
コペルニクス
生誕500年を記念して製作され
この間に像が置かれている。

 

台座には偉業が彫られている。

 

 

「カシミール大王の間」(地下1層)


岩塩で出来ているカシミール大王(1310-1370年)の胸像

カシミール3世は 14世紀のポーランドを治め
在位中 軍事・外交・内政のいずれにおいても
大きな成果をもたらし国民生活を大幅に向上させ
ポーランドを中欧の大国として強化発展させた。
 
このことから有能な統治者として
讃えられ「大王」とも称される。


また、法典の整備、通貨の発行など
統一国家としての体裁を整えた。
1364年にはクラクフ大学(ヤギェウォ大学)を設立している。

1368年の法典の整備から600年を記念して
1968年に大王の像がここに置かれた。
と像の後ろのプレートにある。

現在ポーランドで発行されている
50ズウォティ紙幣の肖像にもなっている。

 

 


ポーランド・ヴィエリチカ岩塩坑 105 馬・貨車

2018-08-03 | ポーランド紀行

 

  

坑夫の作業は 塩を背負っての

重労働で また危険でもあった。

16世紀ごろには 馬を使うようになった。

木製の巻き上げ式搬出機やトロッコなど

次々と 新しい技術が取り入れられた。

 

馬は 数十頭いて 重要な働き手だが

坑内に大きな馬を入れるのは難しいため 

 

仔馬のときに坑内に入れ育て

成長し大きくして働かせたという。

 

 

 
 

馬の力をかりて 滑車を動かし

岩塩を地上に運びだしていた。

 

 

 
  2002年頃 馬車に代わり 貨車が導入された。

 

 


使われなくなった線路

 当然線路も塩岩盤の上に敷かれているので
 
手入れがないと湿気と塩ですぐに腐食状態に。

 


ポーランド・ヴィエリチカ岩塩坑 104 坑夫

2018-08-02 | ポーランド紀行

 

 

開けた空間には当時の坑道内の作業の様子や
ここで働いていた鉱夫たちの様子 

実際に使われていた梯子や
トロッコなどが展示されている。

 

岩塩を35kg入りの樽に詰めている様子

 


坑内にはメタンガスが発生することがあったため

長い松明でメタンガスの発生場所を
確認し ガスが微量なうちに燃やす坑夫の様子が
彫刻され再現されている。

メタンは 空気よりも軽い気体で無臭
空気中におけ容量 5~15%が爆発範囲になる。

 

 

 

 


ポーランド・ヴィエリチカ岩塩坑 103 岩塩

2018-08-01 | ポーランド紀行

 

 

天井には地下水とともに

染み出して固まった結晶は

  鍾乳のように見えるが これも塩。

 

 

 

レンガを積み上げた壁のように見えるが

 塩の岩盤をレンガのように削っている。

当然天井も 床 そして 壁も全部 岩塩。

 

 

 

地下2層 100m に地底湖がある。

人工のもので、地下水をここに集めて処理していた。

深さ9mもあって 塩分濃度は30%にもなり、

岩塩だけでなく ここからも食塩 バスソルト

工業用などの生産に使われているとのこと

 

 




ポーランド・ヴィエリチカ岩塩坑 102 坑道

2018-07-31 | ポーランド紀行

 

 

坑道の壁や天井は 太い松材が支えている。

一般に公開されているのは深さ135mまでだが
約3.5 kmの見学ルートが設けられている。

坑道は 途中何か所 
扉が設けられ その先は広い空間と 
気圧差による風を避ける

また落盤等からの災害対策が設けられている。

 地下の気温は14~16度で
 かなり歩くが快適であった。

 

 

 
こちらは 湿気が多いのか 漆喰塗り。

 

 

 

岩盤の階段は 坑夫用だったが 
今は 観光客用に木製の階段が架けられて
下へ下へと下る。

 

 


ポーランド・ヴィエリチカ岩塩坑 101 エレベーター

2018-07-30 | ポーランド紀行

 

 

現在は観光のため
地下64~135m(第3層)までが
一般公開されているが全体のわずか3%にすぎない。

エレベーターとはいえ一般的なものではなく
 坑夫が使用していた業務用のもの? 
8人ほどが乗り込めば すし詰め状態。

坑夫の気分を味わいながら
地下64mまでいっきに降りる。 

 

配電盤?操作盤? 旧式(左)から
 最新式なものなっているようだ。

 

  (写真は地下から地上への降車口)

エレベーターは 上下2籠になっており
 各裏表側から乗降するようになっている。

 

 


ポーランド・ヴィエリチカ岩塩坑 100  世界遺産

2018-07-29 | ポーランド紀行

 

 

「ヴィエリチカ岩塩坑」は ユネスコの世界遺産に登録において
1978年 史上初めて登録された 12件のうちの一つである。

その 12件が 塩の岩盤に刻まれている。

因みに 7か国 12件(自然遺産4件  文化遺産8件)は

        ・カナダ   「ランス・オ・メドー国定史跡」「ナハニ国立公園」
        ・エクアドル 「ガラパゴス諸島」「キト市街」
        ・エチオピア 「シミエン国立公園」「ラリベラの岩窟教会群」
        ・ドイツ   「アーヘン大聖堂」
        ・セネガル  「ゴレ島」
        ・アメリカ  「メサ・ヴェルデ国立公園」「イエローストーン国立公園」
        ・ポーランド 「クラクフ歴史地区」「ヴィエリチカ岩塩坑」
 

 
  *「ヴィエリチカ岩塩坑」は
2013年に名称が
「ヴィエリチカ・ボフニャ王立岩塩坑」
に変更された。


なお これらの遺産は 都市遺跡 宗教建物
 国立公園など いろいろな価値観から
保護されるべきとして登録された。

しかし この岩塩坑は 美しいとか建物が
素晴らしいわけでもないのに登録されたが

 ここで採掘された岩塩は
 ポーランド大国に
莫大な富をもたらし 
それによって世界を変えたことが評価されている。

しかし 登録後地下水や人の呼気による
湿気により岩塩の溶解が進み
1989年に危機遺産リストにあがってしまった。

その対策として換気装置が導入された結果
 1998年にリストから削除された。

 

 

 


ポーランド・ヴィエリチカ岩塩坑 99 ヴィエリチカ岩塩坑

2018-07-28 | ポーランド紀行

 

 

 クラクフから南東15kmにある
 「ヴィエリチカ岩塩坑」へ

13世紀から1950年代まで稼働していた
世界有数の規模を誇り
また 世界最古の岩塩採掘場。

産出される岩塩は 
ポーランド国家の重要な収入源となり
14世紀以降はポーランド国家財政の3割を支え
大きな利益をもたらした。

中世時代、塩は調味料以外にも
食料の保存や医薬品
染色やなめしなどの産業用品としてとても
貴重で「白い金」とまで言われていた。

 

岩塩の採掘の結果 坑道の総延長は約 300 km
採掘後にできた空洞の数は 2,000以上
また最深部は 327mに達し
9層からなる広大な地下採鉱場となっている。


第二次世界大戦中には、
この岩塩坑を占領したドイツ軍が
その一部を軍需物資の製造拠点としたこともある。

1978年に最初の世界遺産として登録された。
1996年 塩の採掘は停止され
現在は 観光用として公開されて

年間110万人もの観光客が訪れている。

 

 


ポーランド・クラクフ 98 結婚式

2018-07-27 | ポーランド紀行

 

 

会前で募金活動をしているのか?
 と思ったら 列の先に新郎新婦がお祝いを受けている。

結婚式の様子で ポーランドでは 
教会での挙式の後 
このような形で祝福の言葉を受け 

プレゼントや祝儀を受け
キスするのが慣習となっている。

また 昼から始まった結婚式は 
披露パーティがお開きなるのは翌日で
 2日がかりになり
そのため土曜日の挙式が多いそうだ。

結婚式は 教会か役所(婚姻届)の
どちらかで挙げなけばならない。

結婚後は共働きが多いそうだ。

 

 

 

向かい側に待機していた車 
エンベルムを見たら「シコダ」であった。

ポーランドには国産車がないため
外車になるが チェコの「シコダ」だった。


シュコダについては
当ブログ 「中央旅行(58) 国産車シコダ」
(2012/04/27)
でも触れた。


ナンバープレートには
「MLODA PARA」(若いカップル)とある。

 

こちらは ヴァヴェル城内での
 “前撮り” のカップル

 

 


ポーランド・クラクフ 97 トラム

2018-07-26 | ポーランド紀行

 

 

クラクフ市内の移動手段は
もっぱらトラムとなっている。

クラクフのトラム路線は
城壁の外を環状に回り
そこから放射線状に郊外へと延びている。

東京の山手線同じようで
旧市市街地を横断する路線は
 中央・総武線とみればよい。

路線数は20系統以上あり 運行間隔も短い。 

車両も社会主義時代?や 最新式と種類も多い。

車体の色は青に白のラインを基調としている
中には広告用の車両も運行している。

 

 

 

十字に交わる路線と架線

ナチス占領時代 (NHK/BSから)


ポーランド・クラクフ 96 観光馬車

2018-07-25 | ポーランド紀行

 

 

観光馬車は人気のようです。

資料によれば 現在 クラクフでは
36台登録されており
毎日最大16台が営業している。

馬主によって 馬車の色 デザイン
馬の装飾が違うようで
 日本の”デコトラ”を思い浮かばせる。

中央広場から 中央広場を半周し
グロツカ通りを進み ヴァヴェル城下までの
コースが人気だそうだ。

グロツカ通り 日中は車両通行禁止になっているが
 観光馬車は 例外のようで
ヒズメの音を聞きながら
ゆっくりと見て回るのも 一興かも。

なお 朝10時~夜9時過ぎまで営業し 
雨の日は 屋根が覆い
寒い日は 毛布のサービスがあり
一年を通して観光できるそうだ。

 


ポーランド・クラクフ 95 乗り物

2018-07-24 | ポーランド紀行

 

 「CITY TOUR」カー


 クラクフを観光する手段としては
 
徒歩 乗り物としては レンタサイクル

トラム バス タクシー 電気カート

馬車 など 方法は いろいろあるようです。

 

 

  ポーランドで「トゥクトゥク」?

タイのトゥクトゥクがある。

タイレストランのデリバリー用?のようです。

 

 

「セグウェイ」

デモンストレーションかと思ったら
 観光用でした。

 

 


ポーランド・クラクフ 94 クラクフ国立博物館

2018-07-23 | ポーランド紀行

クラクフ国立博物館本館正面


国立博物館内で 
浮世絵「ONNA」のポスターを見る。

何故ここにと思ったが 
この博物館には 何千点にも及ぶ絵画や漆器
陶器 刀剣類などの
膨大な日本美術のコレクションがあるという。

先のマンガ館でも触れたが 
20世紀初頭 美術品コレクターで芸術評論家の
フェリクス・ヤシェンスキによって
 ポーランドに 初めて日本美術が紹介された。

19世紀末のパリで 当時西欧で大流行していた
日本美術と出会い衝撃を受け

日本美術品を収集し、
ポーランド随一の 日本美術品コレクターとなり、

また 日本美術をポーランド国内に
喧伝する活動を始めた。


収集した日本美術品のコレクションは
晩年 クラクフの国立博物館に寄贈された。


しかし 第2次世界大戦中のドイツ占領時代に
その一部は 失われたが

現在残っているものの中には
価値の高いものが少なくないという。

加えて 日本美術がポーランドの芸術家たち
そして ポーランドに及ぼした
影響
は 大きいという。

 


ポーランド・クラクフ 93 「ハクテンを抱く貴婦人」

2018-07-22 | ポーランド紀行

 

 

クラクフ旧市街から 西に移動

 「ハクテンを抱く貴婦人」を
鑑賞のため「クラクフ国立博物館」へ

 

 (大きさ54.8×40.3cm)

 

 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の
「白貂(ハクテン)を抱く貴婦人」は

女性の美しい肖像画として
世界でも 有数の名画といわれている。

また ポーランド国内のコレクションでは
最高の価値を持つ肖像画に数えられている。

なお この絵画はポーランド人貴族
チャルトルスキ公爵によって
1800年頃にイタリアで購入し
それを 母イザベラに贈ったところから

チャルトリスキ家のコレクションになった。

第二次世界大戦時 ナチスにより略奪されたが

戦後ポーランドに返還され 
チャルトルスキ財団に収蔵された。


2016年12月 国立美術館へ所有権が移り
 2017年5月から公開されている。

この絵は1490年
巨匠ダ・ヴィンチが38歳の時に描いた作品で
「モナ・リザ」(1503-06年)より前に描かれている。

ダ・ヴィンチが生涯に描いた
数枚の肖像画の一枚として知られる。

なお 左手で白貂を抱き 
右手でその毛並みをなでる婦人は
チェチーリア・ガッレラーニといい
ミラノ公ルドヴィコ・スフォルツァの
愛妾であった女性で 
この絵は 二人の愛を描いており
白貂は二人の愛情を象徴するものといわれている。

 

 

 

 2階の特別室 照明をおとした中での
鑑賞でしたが 当然撮影禁止です。


しかし 特別コーナーが設けられて
レプリカが飾られ 婦人が抱くハクテンも作られており
婦人と同じ姿で 撮影できるサービスがありました。