あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ポルトガル紀行184 リスボン26 展望台       

2019-09-19 | ポルトガル紀行

 

 

 北東方面 手前 
コロッセオを真似たコンサートホール

 

 

                       

東方面 「グレース教会」
13世紀に建てられた修道院に付属して
16世紀に建立、大地震後に修復・再建

 

 

 

東南方面 丘の上
「サン・ジョルジェ城」
下の銀屋根はロシオ駅

左奥には 2つの鐘楼の
「サン・ヴィンセンテ・デ・フォーラ教会」

ケーブルカーグロリア線で登った先
右手に 赤レンガ屋根が連なる街並み 
リスボンの象徴
サン・ジョルジェ城を一望できる

サン・ペドロ・デ・アルカンタラ
の展望台がある。

特に夕日が沈むころの眺めが最高という。
日本では、エステー化学の
消臭力のCMでミゲル君が

熱唱していたロケ地として
有名になった場所でもある。

 

「サン・ジョルジェ城」は 
紀元前2世紀にはこの場所に
既に要塞化された建物があったという。

その後イスラム勢力の侵攻や
レコンキスタを経て

増改築が繰り返されてきた
リスボン最古の建物。


1255年「アルカソヴァ城」の
名前で王宮となり

14世紀後半に新たに
全長5.4kmの城壁が構築された。


16世紀初頭に王宮が
「リベイラ宮殿」に移り

さらに大地震で被害を受けるなど
したことから公園となり
現在は観光としての
建築物となっている。

 


ポルトガル紀行183 リスボン25 落書き       

2019-09-18 | ポルトガル紀行

 

 

リスボンの名物にもなっている
トラムやケーブルカーだが

残念なことだが 
車体前面に、落書きが書かれている。

落書きのない車両のほうが少ないくらいだ。
街中の壁も余白があれば落書きされる
 もう街中アート化している。

 
当局は落書きを
消そうとしないのだろうか?

いや 金をかけて消しても
またすぐに落書きされてしまう 

イタチごっこで 
もう消すことは
あきらめの状態のようだ。

 


落書きがある街は 
社会に対し不平不満をもつ
若者が多い現れだとか。

その落書きは
さすがに車内まではなかった。

 

            

 こちらは落書き?ではなさそうだ。

 

 


ポルトガル紀行182 リスボン24 ケーブルカー・グロリア線      

2019-09-17 | ポルトガル紀行

 

 

  乗車時間は5分程度 

                       

      運転席と客席

 

 運転席に 1885-1985年
 百周年記念プレートがある。

ケーブルカーの正面と
複線にケーブルカーがあるメタル。

 
料金は3.8€ (2回乗車可 1回でも同料金)


ポルトガル紀行181 リスボン23 ケーブルカー     

2019-09-16 | ポルトガル紀行

 

 

リスボンは

7つの丘を持ち起伏が多い街。


その坂の上下を短距離で

結ぶケーブカーが敷かれ

利用されている。

 

ケーブルカーは 3路線ある。

 

①  ピカ線 245m テージョ川を
   背景に一直線 最も人気のある線

   トラム25号線パウロ(上駅)と
   28号線カリャリス(下駅)とを結ぶ

②  グロリア線 265m 
   サンペドロドアルカンタラ
   展望台につながる。

   上下とも駅舎はなく 途中上部分が複線区間
       

③  ラブラ線 180m 
   リベルダーデ通り一つ裏通りにある。

   坂上には 作品を通じて
   日本を世界に紹介した作家

   ヴェンセスラフ・デ・ソウザ・モラエス
   (1854-1929)の生家がある。

 

なお ピカ線の車体は階段状
  他は平面で台車に高低差を設けている。

 

 我々は ②グロリア線に乗車

 

 


ポルトガル紀行180 リスボン22 マルケス・デ・ポンバル広場     

2019-09-15 | ポルトガル紀行

 

 

 

 

リベルダーデ大通りは

リスボン中心部から

テージョ川に向かって伸びるが


エドゥアルド7世公園の南端に接して

その間 円形のロータリーに

「マルケス・デ・ポンバル広場」がある。


その広場に立つ大理石の台に立つ銅像は


1755年から1777年に宰相を務めた


ポルトガルを代表する政治家のポンバル侯爵


セバスティアン・デ・カルヴァーリョで


侯爵の名付けられた広場。



柱は1917年から1934年にかけて建てられ 


上にポンバル侯爵と権力の

象徴であるライオン像が立つ。


背後は「エドゥアルド7世公園」

1902年にイギリス王エドワード7世がリスボンを

訪問したことを記念して

造営されたフランス式庭園だそうだが。


何故 イギリス式ではないのか?

 

 


ポルトガル紀行179 リスボン21 リベルダーデ大通り     

2019-09-14 | ポルトガル紀行

 

 

ベレナ地区からリスボン中心部へ

レスタウラドーレス広場(南端)から
北西に延びる「リベルダーデ大通り」

道幅90m、全長1,100m。
北端はマルケス・デ・ポンバル広場がある。


パリの大通りを手本として
1879年から1882年にかけ建設された。


なお 北端のボンパル広場手前に
日本大使館がある。

リベルダーデ大通りを中心に
広がるエリアは新市街になる。


歴史的な見どころは少ないが
中・高級ホテルを中心に

リスボンでは宿泊施設が
最も豊富に揃うエリアになっている。

 

 

                      

リベルダーテ大通り南端
ケーブルカー・グリリア線の乗車口の

向いに「ハードロックカフェ」がある。

カフエにロックショップが併設されている。

 

 

通りの中ほど 劇場
「TEATRO・TIVOLI・BBVA」で 

映画 演劇 コンサートが催されている。

写真左端は「ルイ・ヴィトン」  

 

  シモン・ボリバルの像

 

シモン・ボリバル(1783-1830)は
南米の革命家・軍人。

ベネズエラ出身で
コロンビア、エクアドル、ベネズエラ、

ボリビアの独立に大きく貢献した英雄。

ベネズエラ出身でありながら
エクアドルの大統領にも就任している。

ポルトガルとの関係は?

 

 


ポルトガル紀行178 リスボン20 馬車博物館     

2019-09-13 | ポルトガル紀行

 

 

ベレン駅の前

1905年に開館した 

世界でも珍しい馬車だけを集めた

国立馬車博物館(旧館・新館)がある。



1619年製の最古の馬車や

ポルトガル大使専用の金ピカ馬車

王侯貴族の旅行用とか

トイレが近かった

ポルトガル王フェリペ2世の為に作られた

トイレ付馬車などもある。


また 旧館は1816年に

建設された王宮付属の乗馬学校を

利用した建物であるので


ネオ・クラシック様式の豪華な

天井画などと馬車がズラリと並んでいる。

 

2006年にオープンした新館には

現エリザベス女王がリスボンを訪れた際に

実際に使用した豪華な馬車など

歴代VIPを乗せていた豪華絢爛な

馬車60点ほどが展示されているという。

 

 


ポルトガル紀行177 リスボン19 MAAT     

2019-09-12 | ポルトガル紀行

 

 

 

「旧セントラル・テージョ発電所」。

現役の火力発電所かと思ったが

現在 国の史跡に指定されている


セントラル・テージョ発電所の建物を利用した


電気博物館になっている。


1908年 リスボン区域の
 電気を供給するために造られ


1909年から1970年代まで稼働していたが


2006年に発電所の設備類をそのまま残して

発電の仕組みなどを常設展示する
博物館としてオープン


上階は入れわかりの特別展示が行われている。

 

                       

 
旧発電所の建物(左)を再利用した美術館と
その右奥に最近建てられた
オバール型のギャラリー(MAAT)が見える。

近代的で建物自体がアートのMAATの建造物は
2016年にオープンし 現代美術を展示している。

また 建物の屋上に登ることができるので

特に入館せずに建物の上部から
景色を楽しむこともできるそうだ。

 

 


ポルトガル紀行176 リスボン18 ベレン文化センター    

2019-09-11 | ポルトガル紀行

 

ジェロ二モス修道院と

道を挟んでテージョ川側


インディア大通りに建ち

「ベレン文化センター」がある。


劇場、展示場と「ベラルド美術館」が入り


新しい文化の発信基地(CCB)となっている。


1988年に建設が決まり 


イタリア人建築家
ヴィットリオ・グレゴッティ(1927-)と


ポルトガルの建築家
マヌエル・サルガド(1944-)により

2006年 文化施設としてスタートしている。

特に「ヘラルド美術館」は 


近現代の芸術コレクションが充実し


ピカソ ミロ ダリと巨匠の作品から


アンディ・ウォーホールなどの

ポップアートまで


広々とした館内に展示されているという。

 

 

 

ベレン文化センターの近くに

使われなくなった倉庫類が並んでいるが

そのうちのいくつかは

ギャラリーや事務所に改装されて

現代的な建物群になりつつある。

今後ますます注目される一角になるようだ。

 

 


ポルトガル紀行175 リスボン17 大統領官邸    

2019-09-10 | ポルトガル紀行

 

 

ベレン地区 こちらは 

珍しい 外壁が ピンクの大統領官邸


大統領滞在中なので 

国旗が揚がっている。

 

毎週土曜日には

大統領官邸内 執務室等を

見学することができ

毎月第3日曜には 

衛兵交代セレモニーがあって

これも見学できる。


観光客のみならず

市民からも人気があるという。

なお 見学等は 公式行事等で

変更になることがある由。

 

 


ポルトガル紀行174 リスボン16 ベレンの灯台    

2019-09-09 | ポルトガル紀行

 

 

ベレン灯台は

ベレンの塔と発見のモニュメントの中ほど
 

民衆美術館の脇にある。

1940年 ポルトガルで開催された

国際博覧会に合わせて造られており

印象的な古いレンガ造りの灯台だが

本来の灯台の役割は当初からなかったようだ。

また 灯台の後には「ジャパン庭園」がある。 

 

博覧会は、ポルトガルの800周年と

スペインからの分離の

300周年を記念して開催された。

 

 


ポルトガル紀行173 リスボン15 海外戦没者慰霊碑    

2019-09-08 | ポルトガル紀行

 

 

これからは ベレン地区で
車窓から見かけた建築物等に触れる。

 

ベレンの塔の西側に

大きなプールの真中に折り紙の
カブトのようなモニュメントが見える。

 

サラザール独裁政権の中
1961年から1974年にかけて

植民地を維持するため アフリカで主に死亡した
ポルトガル人兵士を表敬する「海外戦没者慰霊碑」。

記念碑には、3つのパネルからなる壁に
9000人の倒れた兵士の名前が刻まれて

2つの斜めの柱が浅いプールに立つ。

その両脇に兵士の立哨BOXがあり 
1時間ごとに兵士の交代があるそうだ。

 碑の右に 戦争ではなく“戦闘”博物館がある。

 

 

 


ポルトガル紀行172 リスボン14 パルテル・デ・ナタ   

2019-09-07 | ポルトガル紀行

 

 

 

ジェロニモス修道院から東に徒歩3分

写真で位置関係が分かるほどのところ

 

パステイス・デ・ベレン(Pasteis de Belém)は

リスボンで人気の


パルテル・デ・ナタ(エッグタルト)の老舗がある。

 

 

                       

ポルトガルの国民的おやつパルテル・デ・ナタ

1837年創業のこの老舗 

毎日平均10,000個も売れるとか。


 

 

ツアー会社から我々に

パルテル・デ・ナタが振舞われた。


400度の高温で揚げた湯葉に似たパリパリの表面

中にはまろやかで 濃厚な卵黄クリームが入り

ふっくらとして 美味しかった。

 

 

1820年の自由革命の結果として、

ポルトガルの修道院と修道院は

1834年に閉鎖され


聖職者と労働者は追放されてしまった。


聖職者たちは 生き残るため 


1837年 ジェロニモス修道院に

伝わる「秘密のレシピ」に従い


店が創業され「秘密の部屋」で

手作りした菓子職人に伝えられてきた。


このレシピは 今日まで変わっておらず

現在3人職人しか 知らないそうだ。

 

 

             イートインコーナー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ポルトガル紀行171 リスボン13 ジェロニモス修道院5 内陣   

2019-09-06 | ポルトガル紀行

 

 

 

教会奥の中心礼拝堂とその横に副礼拝堂があり

王一族の墓となっている。

 

向かって左にマヌエル1世とマリア王妃

右に息子のジョアン3世とカタリナ王妃の棺が置かれている。

 

 5枚の祭壇飾り板は 宮廷画家ローレンソの作。

 

中央台座にはインド象が施されている。

大航海時代にインドとの交易及び

植民地主義的な支配を行っていた歴史が読み取れる。

                       

  

南壁に掲げられる3連のステンドグラス

左からマヌエル1世 
  聖母マリア
    マリア王妃が

国王夫妻の結婚式を描いている。

 

リスボン大地震後に修復・再建されている。

 

 


ポルトガル紀行170 リスボン12 ジェロニモス修道院4 教会   

2019-09-05 | ポルトガル紀行

 

 

 

修道院に付属する「サンタ・マリア教会」は

聖母マリアを讃えるために造られた三廟式の教会。

石造りの重厚な建物内部には 

ヤシの木をモチーフにした支柱が高くそびえ

支柱や壁 天井に施された

マヌエル様式の彫刻群は 開放感と荘厳さが漂う。

 

柱や壁に施された彫刻の中で 多用されているのが

帆船のロープを表すモチーフ。


この中にロープを掴む人間の手の彫刻が 3か所あり

これに触れると

「航海から無事に帰ってくることができる」と

信じられていたが

現在は「願いが叶う」「幸運になれる」とか。


当方にはみつからなかった。