アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

燃やせ!! 青春

2012年05月27日 | 中学生活
「ちはやふる」という、「本気でかるた!!」の漫画がありますが、それを一気読み(最新刊は16巻)したところです。

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その中で(11巻)、主人公の千早の母親が、こういうことをいうシーンがあります。
「初めて大会を見たときに 思っちゃったんですよね
ああ大丈夫だ かるたをやってる限り千早は大丈夫だ
たとえ 成績が学年で下から五位になっても
高校生にもなって部屋が変なクマのキャラクターだらけでも
進路のこと全然考えてなくっても
たぶん大丈夫だろう…と」

私も、例えばこじろうが部活(と、その仲間とのつきあい)に熱中する様子を見ていて、
「ああ大丈夫だ 部活をやってる限りこじろうは大丈夫だ
たとえ(以下略)」
と、似たようなことを思いましたのでそれはすごくわかります。

中学生高校生くらいの時期には、とにかく何か熱中できているものがある、ということが非常に親としては安心材料であって、それを見ていれば自然と手を放していくことができる、と感じます。

ところで一方、これまたちょうど今日読み終わった本に「ネトゲ廃人」(芦崎治、新潮文庫)というのがあるんですけど、これはまたひとつのものすごい、度外れた熱中の世界です。

無気力、楽しいことがない、なんとなく。と過ごしているのではなくて、対象はともかく、熱中しているということは、
・暇をもてあますことはない
・頭を使う
・仲間ができる
・目標を持っている
というような点では共通しています。

しかし、仮に中高生の子どもが、ネトゲに熱中していた場合に
「たとえ 成績が学年で下から五位になっても
進路のこと全然考えてなくっても
たぶん大丈夫だろう…と」
なんて思う親は皆無なわけで、この違いというのはいったい何であろうかとふと思ったのです。

もちろん、その活動の社会的認知度というのは違いますので、例えばかるたであれば、全国クラスまでいけるようであれば推薦とかで大学に入りやすいかもしれないとか、進路を考えてなくても進路が開けてくる可能性はあります。

でもそれが本質的な違いではなくて…スポーツとかでもそうですが、特段の素質がない子がいくら熱中していたって、そのプロ選手になれないのはもとより、そのがんばりを生かして推薦取れるレベルにもならないほうがふつうです。私も、こじろうが優れた選手になってくれると思うから安心しているのではまったくありませんね(笑)

私がこの極端な比較をしたくなったのはなぜかというと、つまり私はまたろうについて「安心」できていないのです。留年したから、というだけではなくて…いやそれ関係もこの先心配ですが…むしろ、「熱中できるもの」が持てていないように親の目からは見えるところが心配なのです。

ゲームを作るとか、小説を書くとか、そういうことは多少やっていますが熱中というほどではありません。それよりはラノベを読むとか、動画を見るとか、そういう受身な楽しみに流れて、そちらならばいくらでもやっています。あと、最近ではTRPGというジャンルのゲームにはまっているようですが(数人で顔を突き合わせてやるタイプのRPG)、それも含めて、親としてはなんとなく不安です。

ネットゲームでいろんな害が起きやすいひとつの要因は、睡眠や食生活のリズムまで破壊してしまいやすいことがあります。そういうことがあれば、当然ですが体調を崩しやすく、うつ病なども起こしやすいですから。

でもそのほかに、やはり本質的に、活動内容の特徴というものからくる危うさがあるようです。そのいくつかは、ネットゲームでなくても、動画から離れられない生活というものに、共通しているような気がします。考えすぎでしょうか??

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コメント (15)
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