よしぞうと私が「友達以上恋人未満」だったころは、よくゲームセンターに行ってた。
←ゲームやネットを全面否定したくはないの
ゲームってのは、うまい下手もあるし、プレイの傾向には人柄も出る。よしぞうはかなり、「ゲームセンターでかっこよくみえる人」(なんか、この言い方って、ほかでは魅力がないみたいだけど、そういう意味ではありマセン)だったと思う。スキーがうまい人が、スキー場で光ってるのと同じね。
よくやってたゲームは「ダライアス」といって、当時としては画期的に美しい画面を進んでいくシューティングゲーム。二人協力プレイができるのが特徴で、私はまったくお話にならないくらい下手だけれども、よしぞうが先行して敵をなぎたおしながら、シールド系のアイテムはこちらに余計目に回してもらったりしながら、だんだん自機を強くしていって、最終面ボス敵との戦いへ。
それで、弾を避けながら撃ちまくって、二人で敵を倒す。そりゃあ、楽しかったですよ。
だから、「ネトゲ廃人」を読んだら、ファイナルファンタジー(11)にハマって一時人間やめてた感じの人がいたけど、それはちょっと、気持ちわかる。実は我が家もファイナルファンタジー(10)ならずいぶん遊びましたよ。音楽はいいし、絵はすばらしいし、ずいぶん時間をかけて最後まで楽しんだ。
でも、ファイナルファンタジー(11)はファイナルファンタジー(10)とまったく違うことがわかっていたので手を出さなかった。何が違うかというと、ファイナルファンタジー(10)は単に我が家のプレーステーション内で閉じた世界だけれど、ファイナルファンタジー(11)は、ネットゲームなのだ。
ファイナルファンタジー(10)でも、「自分」のほかにいろんなキャラクターがいて、いっしょに「旅」を進めていたんだけれども、ファイナルファンタジー(11)の場合は、そうやってチームを組んでいる相手がそれぞれ本当の人間なわけだ。
リアルでは見ず知らずの人とどんどん知り合いになれて、おしゃべりもできるし、戦略を立て、戦闘し、助けたり助けられたりして進んでいく。戦えば戦うほど強くなる。ゲームにずっと参加しつづけることで強くなれるし、モテる(^^;; というか、途中、リアルの用事で誰かが急に抜けたりしたら、チームが全滅するかもしれない!! とてもそんな無責任なことはできない。
この世界では、コミュニケーション、協力もあれば、裏切りもある。その点、リアルな世界と非常に似ているが、違うところといえば、ものすごく手ごたえがある世界だということ。努力が形になる。がんばると、報われる。
この世界の中では、リアルの世界と違って、むしろ「リアル」な生きがいが感じられ、強い責任感も手伝って、とにかく最大限の時間を連続的に注ぎ込みたくなる。コンビニで買い込んだジャンクフードとペットポトルに囲まれて…徹夜。
そこまではなんとなく、私の想像してたのと…つまり、「ファイナルファンタジー(10)」までで立ち止まって、「向こう側」を想像してたのとわりと同じなんだけれども。意外だったのは、オフ会の話。
ゲームの世界で親しくなった人が、「オフ会」をやることがあって、そこではリアルに会うわけです。「ネトゲ廃人」で取材されている人たちは異口同音に言うのだけれども、そのリアルで会った人の人格というか人となりは、ものすごくネット世界とギャップがあるんだって。
前述の「ファイナルファンタジー(11)」にハマってた人(女性)は、その、オフ会で感じたあまりにも大きなギャップ、ぶっちゃけ、みんながあまりにも現実の「みなり」とか「健康」をかまわない様子とか、ネットでは生き生きしてかっこいいこという人が、すごーくぼそぼそしか話さなかったりとか、ネットとはまるでキャラが違う。そういうことにショックを受け、それをきっかけにネットゲームから足を洗ったそうだ。
私の場合、ブログを通していろんな人と知り合って、それで実際に会ったりして親しくなることがかなりあったけど、一度も、「実際に会ってみたら意外(がっかり)」っていうのはなかった。コメントを通してすごく「合う」と思った人はちゃんと「合う」。そこには何の違いがあるのだろうか。むしろ、ゲームを通して四六時中(文字通り)いっしょに「いて」協力したり戦略をたてたり、どっぷりお互いのことがわかっていそうなものなのだが。
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ゲームってのは、うまい下手もあるし、プレイの傾向には人柄も出る。よしぞうはかなり、「ゲームセンターでかっこよくみえる人」(なんか、この言い方って、ほかでは魅力がないみたいだけど、そういう意味ではありマセン)だったと思う。スキーがうまい人が、スキー場で光ってるのと同じね。
よくやってたゲームは「ダライアス」といって、当時としては画期的に美しい画面を進んでいくシューティングゲーム。二人協力プレイができるのが特徴で、私はまったくお話にならないくらい下手だけれども、よしぞうが先行して敵をなぎたおしながら、シールド系のアイテムはこちらに余計目に回してもらったりしながら、だんだん自機を強くしていって、最終面ボス敵との戦いへ。
それで、弾を避けながら撃ちまくって、二人で敵を倒す。そりゃあ、楽しかったですよ。
だから、「ネトゲ廃人」を読んだら、ファイナルファンタジー(11)にハマって一時人間やめてた感じの人がいたけど、それはちょっと、気持ちわかる。実は我が家もファイナルファンタジー(10)ならずいぶん遊びましたよ。音楽はいいし、絵はすばらしいし、ずいぶん時間をかけて最後まで楽しんだ。
でも、ファイナルファンタジー(11)はファイナルファンタジー(10)とまったく違うことがわかっていたので手を出さなかった。何が違うかというと、ファイナルファンタジー(10)は単に我が家のプレーステーション内で閉じた世界だけれど、ファイナルファンタジー(11)は、ネットゲームなのだ。
ファイナルファンタジー(10)でも、「自分」のほかにいろんなキャラクターがいて、いっしょに「旅」を進めていたんだけれども、ファイナルファンタジー(11)の場合は、そうやってチームを組んでいる相手がそれぞれ本当の人間なわけだ。
リアルでは見ず知らずの人とどんどん知り合いになれて、おしゃべりもできるし、戦略を立て、戦闘し、助けたり助けられたりして進んでいく。戦えば戦うほど強くなる。ゲームにずっと参加しつづけることで強くなれるし、モテる(^^;; というか、途中、リアルの用事で誰かが急に抜けたりしたら、チームが全滅するかもしれない!! とてもそんな無責任なことはできない。
この世界では、コミュニケーション、協力もあれば、裏切りもある。その点、リアルな世界と非常に似ているが、違うところといえば、ものすごく手ごたえがある世界だということ。努力が形になる。がんばると、報われる。
この世界の中では、リアルの世界と違って、むしろ「リアル」な生きがいが感じられ、強い責任感も手伝って、とにかく最大限の時間を連続的に注ぎ込みたくなる。コンビニで買い込んだジャンクフードとペットポトルに囲まれて…徹夜。
そこまではなんとなく、私の想像してたのと…つまり、「ファイナルファンタジー(10)」までで立ち止まって、「向こう側」を想像してたのとわりと同じなんだけれども。意外だったのは、オフ会の話。
ゲームの世界で親しくなった人が、「オフ会」をやることがあって、そこではリアルに会うわけです。「ネトゲ廃人」で取材されている人たちは異口同音に言うのだけれども、そのリアルで会った人の人格というか人となりは、ものすごくネット世界とギャップがあるんだって。
前述の「ファイナルファンタジー(11)」にハマってた人(女性)は、その、オフ会で感じたあまりにも大きなギャップ、ぶっちゃけ、みんながあまりにも現実の「みなり」とか「健康」をかまわない様子とか、ネットでは生き生きしてかっこいいこという人が、すごーくぼそぼそしか話さなかったりとか、ネットとはまるでキャラが違う。そういうことにショックを受け、それをきっかけにネットゲームから足を洗ったそうだ。
私の場合、ブログを通していろんな人と知り合って、それで実際に会ったりして親しくなることがかなりあったけど、一度も、「実際に会ってみたら意外(がっかり)」っていうのはなかった。コメントを通してすごく「合う」と思った人はちゃんと「合う」。そこには何の違いがあるのだろうか。むしろ、ゲームを通して四六時中(文字通り)いっしょに「いて」協力したり戦略をたてたり、どっぷりお互いのことがわかっていそうなものなのだが。
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