隊長が自分に向かって何か囁きかけてくるのは判ったが、何を言っているのかまでは理解できない。そんな状態で、ハリーは眼前のテーブルで繰り広げられるカード賭博を呆然と見詰めていた。
勝負はどうやら小太りの旦那が圧され気味らしく、男は奇妙に人懐こい笑みを浮かべながら、たまに傍らの娘が展開した札を覗き込んで何枚かを追加するのを好きにさせる。
「おれの手が剣の騎士と棍棒の3、それに聖杯の5、アンタの手が剣の8と聖杯の2、それに棍棒の4…… 、こちらの勝ちだ」
それじゃ悪いなと言いつつテーブルに載った銀貨を自分の方に引き寄せる男。
「もう一勝負だ!」
「おれは良いけどよ、アンタもう賭ける金なんか無いんじゃないのか?」
「これを賭ける!」
殆ど叩き付けるような勢いで旦那が投げて寄越した宝石付きのマント留めを拾い上げると、男は何やら不安そうに自分を見詰めてくる娘に軽く頷いて見せてから答える。
「一回だけなら、受けて立つぜ」
テーブルに音を立てて銀貨が積み上げられてから、再び手慣れた動きでカードが配られる。男のカードは剣の9に伏せカード、旦那のカードは金貨の6と8で、勝負に出るには弱い数字だった。
「もう一枚」
男は言われたとおりにカードを一枚テーブルに広げ、途端に旦那の表情が緩む。カードは棍棒の6だった。男は肩を竦めながら自分の伏せカードをめくってみせる。現れたのは剣の女王、どうやら男のツキもここまでだと確信する野次馬連中。ところが。
「それじゃ、おれももう一枚」
全く臆することもなく言い放つなり、男は更にカードを一枚テーブルに放つ。途端にどよめく一同、現れたのは剣の2、男の勝ちだ。
「さて、これで終わりの約束だったな」
ごく無造作に銀貨を革袋に詰めはじめた男に、往生際悪く絡んでくる旦那。
「あのマント留めは金貨10枚の価値があるんだぞ!」
「でもあの石、偽物だぜ。細工もちゃちだし、質に入れても銀貨3枚が良いところだ」
実にあっさりと実も蓋もないことを言い放ちながら娘と共に席を立った男は、ここでようやく自分たち二人を見詰める冷たい視線に気付いたようだった。
「何だコリン、いたのかお前」
「相変わらずお元気そうで何よりです、アルベルト隊長」
いやおれもう隊長じゃないしと答える男に、コリンと呼ばれた隊長は冷徹な口調で、完璧な引き継ぎはまだ終わっていませんと切り捨てる。
ということは…… つまり。
父上、母上、兄上、それにウィル、どうかハリーに現実を認める強さを与えてください。
家族の顔を一人一人思い出しながら殆ど天を仰ぐようにして祈りかけたハリーは、次の瞬間反射的に自分の剣を柄ごと抜いて、男が連れていた娘に背後から掴みかかろうとした旦那の腹に突き込んでいた。
「ほう、良い判断力だ」
顔色を変えたのはコリンと呼ばれた隊長で、アルベルトと呼ばれた男はごく無造作に白目を剥いて倒れた旦那を踏み付けつつ、笑顔でハリーに向き直る。
「察するにアンタがローランドからの護衛か、随分と頼りがいのある嬢ちゃんが来たものだな」
「…… ハリエッタ・フォン・ローランドです。ハリーとお呼び下さい」
「判った、宜しくなハリー」
屈託のない男の態度に一瞬だけ和みつつ、これからのことを考えれば決して避けては通れそうにない事実を確認しようと口を開きかけるハリー。その時。
「早速助けられてしまったね、ハリー」
ドレス姿の娘が、その優雅な容姿にはやや似つかわしくない低めの声で話しかけてきた。どう答えればよいのか判らぬままハリーが言葉を探していると、柔らかく微笑みながらこう続ける。
「わたしの名前はマティアス、普段はマティと呼んでくれて構わないよ」
これから宜しくと挨拶してきたフランク王国第三王子殿下に対して、その時の自分がどのような受け答えを行ったのか、ハリーは良く覚えていない。