ある程度は覚悟していたが、ハリーにとって第三王子殿下の護衛という任務は色々な意味で容易なものではなかった。まあ、当の本人が普段からドレス姿であることには不本意ながらすぐに慣れたが、他の王室騎士隊員、特にハリーと大して歳の変わらない連中からの風当たりはかなり強く、うんざりするような嫌がらせを何度も仕掛けてきた。
気持ちは分からなくもない、王室騎士隊員ともなれば名門貴族の子弟がたくさん在籍していたし、そんな子弟達にとってローランドの姫など、いくら格式は高くても実質的な権力や財力など、下手をすれば裕福な地方領主にも劣る存在でしかない。そんな時代に取り残された田舎者が、こともあろうに自分たちを差し置いて第三王子殿下の護衛に任命されたのだと連中が考えれば、好意的でいられる方がおかしいだろう。
とは言うものの、第三王子殿下であるはずのマティアスは何故か王室の公的行事に一切関わらず、公務らしきものも特にないまま、王宮図書館の一室に閉じこもって日がな一日古い本をめくっているか、さもなくばハリーを伴って王都に出るかのどちらかだったので、実際は護衛に付かされたとしても栄達など縁のない閑職でしかなかったのだが、どうにも隣の芝生は青く見えるらものしい。
そんなある日、いつものように殿下のお供として王都に出たハリーは、途中で合流してきたアルベルトに半ば無理矢理『休暇』だといって単独行動を命じられた。王都に来てから気の張り通しだったハリーを休ませようとしている意図は充分に感じたので、どうせまた男二人で、自分のように若い娘を連れて行くのは憚られるようないかがわしい場所に行くつもりだろうと何となく予想しながらも、有り難く命令に従うことにした。
特にこれといった目的もなかったが、ローランドのような辺境で暮らしていては決して目にすることもない、沢山の人と物とが行き交う王都の繁華街の賑わいを肌で感じながら歩いていると、さすがに心が浮き立つのを感じる。
そろそろ何処かで食事を摂ろうか。そんなことを考えて足を止めかけたハリーは、自分が数人の男たちに尾けられているのに気付いた。さりげなく裏道に進むと結構な速さで後を追ってくる。あまり尾行は得意ではないようだったが人数が人数だし、何より相手が相手だったので、一度は話し合いをしなくてはならないと覚悟を決めたハリーは、そのまま王都の周囲を囲む城壁近くまで走った。
「それで、私に何の御用ですか?」
もはや姿を隠そうともしないまま追いかけてきた王室騎士隊の制服を着た数人の男たちに取り囲まれたハリーが呼吸一つ乱さぬまま訊ねると、男の一人がいきなり叫んだ。
「生意気なんだよ、お前!」
ハリーと違って激しく息を乱しながら、それでも勢いに任せて田舎者とか女のくせにとか貧乏人とか言いたい放題を喚き散らす男たち。
さてどのような対応をすれば後々の禍根をなるべく残さずに済むか、などとハリーが真剣に考えはじめた頃。
「男が集団で若い娘を責め立てるとは、恥というものはないのか?」
いきなり降って湧いたような人影から、そんな声がかけられた。ハリーが眉をひそめる間もなく色めき立った男たちが”貴様には関係ないだろう!”と怒鳴りかけ……、自分たちより優に頭二つ分は大きい人影の巨大さに息を呑む。
大剣を背負い、深く被った帽子と鼻の下まで隠したフードで殆ど顔が見えないその男は、まるで巌のような、感情というものを感じさせない口調で言い放つ。
「もしも恥がないというのなら、そのような卑怯者に剣を帯びる資格はないぞ」
剣の柄に手をかけることもないまま、しかし躊躇いのない足取りで近付いてくる男の姿に気圧され、捨て台詞を残す余裕もないままに逃げ散る男たち。後に残されたハリーは、もしも相手が本気になったら絶対に勝てないと覚悟しながら男と向かい合う。
「…… 助けて頂いたことになるのでしょうか、ザロン殿」
「ほう、覚えていてくれたのか」
ほんの少しだけ男の口調に感情が滲んだことに安心しながら、ハリーはあくまで平静を装いつつ言葉を続けた。
「今日は、あの賑やかな相棒殿と一緒ではないのですね」
「拙者とて、常に奴と行動を共にしている訳ではない」
そこでザロンはようやくハリーの動揺に気付いたらしく、微笑みのようなものをその表情に湛える。その時はじめて、ハリーはザロンの右眼が眼帯で覆われていることに気付いた。
「そう身構えるな。先ほどの遭遇は偶然だし、例の仕事を請け負ったのはあくまで奴だ」
ここでお主に手出しをする気はない、それは誓おう。ザロンの言葉に頷いたハリーは、思い切って更に質問を重ねる。
「それで、私に何か訊きたいことでもあるのですか?」
ハリーの勘の良さに驚いたらしいザロンが一瞬だけ言葉を失っていると、聞きようによっては極めて呑気な声がハリーの名を呼んで近付いてきた。
「おーいハリー、そんなところで何やってるんだ?」
相変わらずドレス姿の殿下を伴い、逢い引きか?などと余計な一言を付け加えるのを決して忘れないアルベルトの姿に気付いたザロンは、何故か極めて表情を険しくながらハリーに何事かを囁きかけると、返事も待たずにその巨体からは想像も付かない素早さで駆け去って行った。
気持ちは分からなくもない、王室騎士隊員ともなれば名門貴族の子弟がたくさん在籍していたし、そんな子弟達にとってローランドの姫など、いくら格式は高くても実質的な権力や財力など、下手をすれば裕福な地方領主にも劣る存在でしかない。そんな時代に取り残された田舎者が、こともあろうに自分たちを差し置いて第三王子殿下の護衛に任命されたのだと連中が考えれば、好意的でいられる方がおかしいだろう。
とは言うものの、第三王子殿下であるはずのマティアスは何故か王室の公的行事に一切関わらず、公務らしきものも特にないまま、王宮図書館の一室に閉じこもって日がな一日古い本をめくっているか、さもなくばハリーを伴って王都に出るかのどちらかだったので、実際は護衛に付かされたとしても栄達など縁のない閑職でしかなかったのだが、どうにも隣の芝生は青く見えるらものしい。
そんなある日、いつものように殿下のお供として王都に出たハリーは、途中で合流してきたアルベルトに半ば無理矢理『休暇』だといって単独行動を命じられた。王都に来てから気の張り通しだったハリーを休ませようとしている意図は充分に感じたので、どうせまた男二人で、自分のように若い娘を連れて行くのは憚られるようないかがわしい場所に行くつもりだろうと何となく予想しながらも、有り難く命令に従うことにした。
特にこれといった目的もなかったが、ローランドのような辺境で暮らしていては決して目にすることもない、沢山の人と物とが行き交う王都の繁華街の賑わいを肌で感じながら歩いていると、さすがに心が浮き立つのを感じる。
そろそろ何処かで食事を摂ろうか。そんなことを考えて足を止めかけたハリーは、自分が数人の男たちに尾けられているのに気付いた。さりげなく裏道に進むと結構な速さで後を追ってくる。あまり尾行は得意ではないようだったが人数が人数だし、何より相手が相手だったので、一度は話し合いをしなくてはならないと覚悟を決めたハリーは、そのまま王都の周囲を囲む城壁近くまで走った。
「それで、私に何の御用ですか?」
もはや姿を隠そうともしないまま追いかけてきた王室騎士隊の制服を着た数人の男たちに取り囲まれたハリーが呼吸一つ乱さぬまま訊ねると、男の一人がいきなり叫んだ。
「生意気なんだよ、お前!」
ハリーと違って激しく息を乱しながら、それでも勢いに任せて田舎者とか女のくせにとか貧乏人とか言いたい放題を喚き散らす男たち。
さてどのような対応をすれば後々の禍根をなるべく残さずに済むか、などとハリーが真剣に考えはじめた頃。
「男が集団で若い娘を責め立てるとは、恥というものはないのか?」
いきなり降って湧いたような人影から、そんな声がかけられた。ハリーが眉をひそめる間もなく色めき立った男たちが”貴様には関係ないだろう!”と怒鳴りかけ……、自分たちより優に頭二つ分は大きい人影の巨大さに息を呑む。
大剣を背負い、深く被った帽子と鼻の下まで隠したフードで殆ど顔が見えないその男は、まるで巌のような、感情というものを感じさせない口調で言い放つ。
「もしも恥がないというのなら、そのような卑怯者に剣を帯びる資格はないぞ」
剣の柄に手をかけることもないまま、しかし躊躇いのない足取りで近付いてくる男の姿に気圧され、捨て台詞を残す余裕もないままに逃げ散る男たち。後に残されたハリーは、もしも相手が本気になったら絶対に勝てないと覚悟しながら男と向かい合う。
「…… 助けて頂いたことになるのでしょうか、ザロン殿」
「ほう、覚えていてくれたのか」
ほんの少しだけ男の口調に感情が滲んだことに安心しながら、ハリーはあくまで平静を装いつつ言葉を続けた。
「今日は、あの賑やかな相棒殿と一緒ではないのですね」
「拙者とて、常に奴と行動を共にしている訳ではない」
そこでザロンはようやくハリーの動揺に気付いたらしく、微笑みのようなものをその表情に湛える。その時はじめて、ハリーはザロンの右眼が眼帯で覆われていることに気付いた。
「そう身構えるな。先ほどの遭遇は偶然だし、例の仕事を請け負ったのはあくまで奴だ」
ここでお主に手出しをする気はない、それは誓おう。ザロンの言葉に頷いたハリーは、思い切って更に質問を重ねる。
「それで、私に何か訊きたいことでもあるのですか?」
ハリーの勘の良さに驚いたらしいザロンが一瞬だけ言葉を失っていると、聞きようによっては極めて呑気な声がハリーの名を呼んで近付いてきた。
「おーいハリー、そんなところで何やってるんだ?」
相変わらずドレス姿の殿下を伴い、逢い引きか?などと余計な一言を付け加えるのを決して忘れないアルベルトの姿に気付いたザロンは、何故か極めて表情を険しくながらハリーに何事かを囁きかけると、返事も待たずにその巨体からは想像も付かない素早さで駆け去って行った。