魔界の歴史に於いても後々まで狂気の沙汰でしかなかったと称される宰相の反逆行為は、周囲に夢見がちな盆暗だとしか思われていなかった魔王と、その従兄弟である大公家若殿の采配で極めて短期間に決着が付いた。戦後処理は苛烈を極め、首謀者だった当時の宰相は元よりその一族郎党は悉くが処刑されることになった。
ただ一人の幼児を除いて。
* * *
宰相から内密の呼び出しを受けて執務室を訪れた魔王の
小姓は、人払いされた室内を一瞥すると軽く俯いてから顔を上げ、普段通りの口調で口上を述べる。
「お召しにより参上しました」
それ以上何も言わないのは、余計な事を言うと事態がややこしくなることを予見しての事だろうと、宰相は自分から話を振る。
「ひょっとしたら既にお前の耳にも届いているかもしれないが、最近どうも不穏な噂が囁かれていてな」
「やはりその件ですか」
一瞬だけ露骨に表情を歪めてから感情のない口調で呟く小姓。一瞥するだけで巷に流れる噂の真偽は明らかだったが、宰相は敢えて続ける。
「世間の口は無責任と相場が決まっているが、火の無い所に煙は立たないと邪推する輩も少なくないのでな」
「それで、自分はお役御免ですか?」
的確に痛い所を突いてくる小姓の言葉に、宰相は右角の根元である蟀谷(こめかみ)辺りに指をやりながら答える。
「お前は魔王陛下のお気に入りだし、何より私の妹の子供だ。無下に扱うつもりはない」
ただ、そういう噂が囁かれている事だけは頭に入れておいて行動してくれと続ける以外に掛ける言葉のない宰相。
* * *
小姓の母親は現宰相の腹違いの妹で平民出の妾腹だった
とは言え、正妻が早逝したので迫害されることも殆ど無く、現宰相と妹は常の兄妹と変わらず育てられ、従兄弟だった皇太子とも仲良く幼少時代を過ごした。
妹は翼や爪など魔族特有の獣相や魔力を殆ど持たなかったが母親似の元気者で恐ろしく利発な頭脳の持ち主だった為、年頃になると縁談が降るように持ち込まれ、それに関しての騒動も少なからず発生したが、結局、魔王に即位することが決まっていた皇太子が生涯の伴侶として名乗りを上げるに至って終息した。
だが、その日の晩から妹は館から姿を消し、どれだけ探しても見付からない中で周囲は無責任な憶測を垂れ流した。盆暗な皇太子との婚姻を厭って出奔した、或いは他に好きな男がいて駆け落ちしたなどと現宰相や皇太子の心を抉る噂が流れる中、突然当時の宰相が叛意を示して当時の魔王、つまり現魔王の父親を弑した。
その後、周囲に盆暗だと思われていた皇太子は周囲が唖然とする程の手際の良さで謀反を征し、宰相の一族を残らず自領から引き摺り出した際に身重の身体で死にかけていた現宰相の妹を発見した。その後、宰相の一族が赤子も残らず処刑され、皇太子が正式に魔王として即位した頃に妹は死に、赤子が一人残されたのだ。
* * *
結局の処、当時の宰相は何をどう考えて現宰相の妹を拉致しただけでなく弑逆行為まで行ったのかについて一言も語らぬまま処刑されたが、現宰相も魔王もその件について話題にすることは無く、残された赤子は無事に成長した。
問題はこの小姓が母親に生き写しの外見と頭脳を持ち合わせていること、更に無力な女であるが故に一生を弄ばれた母親の二の舞になりたくないと髪を切り男装のまま出歩くことで、魔王が小姓として側に置いているのも半分は世間からの風当たりを和らげる為だった。しかし当然だが、全ての人間から全く非難を浴びない立場などというものはこの世界に存在しない。故に宰相の悩みが解決される見込みもなかった。
「……とにかく、色々な事は言われるだろうが挑発には乗らずに」
そこまで言ってから眉を顰める宰相。直後、小姓の傍らに膨れ上がった気配が音を立てて実体化して魔王の姿を取る。
「わたしの小姓に何の用だ」
返答次第では分かっているだろうなと言わんばかりの態度の魔王に、宰相は一切の遠慮をかなぐり捨てて昔通りの口調に戻る。
「俺の姪であることも忘れないで欲しいんだがな」
「そうです、陛下には関係のない話です」
幼馴染とお気に入りの小姓の双方から思わぬ反撃を喰らって怯む魔王に、更に畳みかける小姓。
「父を殺された私がいずれ陛下に害をなすと周囲が懸念しているのは存じております。ですがあの男は母の仇です。
あの男を滅した陛下は自分にとって仇を倒してくれた恩人です。それは確かな事で、だから自分はお許しのある限り陛下に生涯お仕え致します」
それでは失礼しますと退出していく小姓の背中を見送った後で、魔王はぽつりと呟く。
「あ奴が私に親の仇だと刃を向けてきて、それで気が済むなら刺されるくらいは別に構わんのだがな」
「そう言う事は間違っても俺の前以外で口にするな」
敵の敵は仇でも味方・魔王と宰相と小姓 終
2020/03/08