其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山。
(其の疾きこと風の如く、其の静かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざる事山の如く)
これは信州松本にも深い所縁のある、甲斐の虎と称された武田信玄が旗印として使用していたという孫子の兵法書である軍争篇の一節だが、かつて柔道を志していた頃の優吾は更にこの後に続く言葉、つまり、
難知如陰、動如雷震
(知り難きこと陰の如く、動くこと雷震の如し)
を含めた姿で称され、近在の柔道者に恐れられた負け知らずの存在だった。橋本も実は公式、練習、更に野試合を含めて、ただの一度も優吾に勝てたことはない。
何しろ柔道の才能だけでは無く体格にも恵まれ、それでいて決して奢らず地道な練習を欠かさない、更に対戦相手を侮らず見くびらず、ただ揺るぎない巌のように対峙して機会を得れば疾風のように迫り、更に燎原の火を思わせる勢いで攻め立て、仕上げに雷撃のような決め技を放ってくる何とも図りがたい化け物。
それでも橋本は決して諦めずに優吾に向かっていき、優吾もそんな橋本とやがて僅かだが言葉を交わし合うようになり、いつしか二人の間には、友情と言うには余りに堅苦しい関係が何となく築かれていくことになった。橋本にとって優吾はいずれ並び立ち、やがては越えるべき目標であり、それ故に日々研鑽を重ねていたのだ。
だが優吾が中学三年になる少し前、彼の母親が亡くなって間もない冬の頃。優吾は突然道場に通うのを辞め、学校の柔道部も退部し、当然のように試合にも一切出場しなくなる。周囲の動揺と慰留は相当なものだったが優吾の決心は揺るがず、何故柔道の道を断念したかについても自身からは一切説明しようとしなかった。