あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

求道会館

2011年12月02日 05時08分55秒 | 上野・根津・湯島・神田
東京メトロ南北線、東大前駅から徒歩数分。この辺りにあるハズなんだけど~??

おや、素敵な建物。日当りを考えて、でこぼこに作られてて、なのに建物は独立せずに繋がってる2階立て。中はどうなっているのか?これ、和館なのか??
この辺りにはかつては文豪の家や帝大生の下宿旅館なんかがあったんですかねえ~。今日が昨日なら、徳富秋声の旧宅の公開があったんです。原稿も見られたそうで。でも今日は昨日じゃないんだよねえ~。
さて、到着。時刻は13時46分。予定より46分遅れ。既に先客で一杯。勉強好きな日本人って多いよな。
あれ?正面から見たら、求道会館ってなにげにキリスト教会テイスト!
あ~れ~?求道会館って教会だったっけ??

違いましたっ!!
文化財公開事業の絵はがきによりますと「浄土真宗大谷派の僧侶であった近角常観(1870-1941)は、明治35年(1902)、若き日の欧州留学の体験をふまえ、青年学生と寝起きを共にして自らの信仰体験を語り継ぐ場としての求道会館を本郷の地に開きました。
その彼が会館の設計を建築家武田五一に依頼し、大正4年(1915)11月に、広く公衆に向けて信仰を説く場として建設した建物が、この求道会館です。
れんが造りの2階建て、建築面積307.47平方メートル、延べ床面積508.03平方メートルです。
会館内部の正面には、純和風の檜造りで銅板葺屋根の六角堂が配置され、その後方丈夫壁面に大アーチの石膏レリーフが描かれています。会堂の1階は木製の長椅子式、2階はギャラリーで畳敷きに会衆は参列する形式です。
また、会堂後部の部屋は「床の間」つきの畳敷きの小会堂であり、洋式の内部に和式の要素を取り入れ、不思議に調和した独特の空間を作り出しています。」
なるほど、祭壇に位置にあるのは、十字架じゃなくて、仏教のお堂か?厨子か?というテイストの建物が鎮座してます。
奥には電話室もあります。明治の建物にはつきものの部屋ですね。
2階へ上がる。

かつては2階のギャラリーは畳敷きだったそうですが、今は木製の床です。なにげにホールのよう。でもここ、仏教の道場みたいなもんなんだよな。…自信なくなってきた。
石膏レリーフを近くで拝見。なにげにロシアなんか東欧の建物な彩色だわ。
トップ画像の建物に写っている5連アーチの窓。中から見ると、一部ステンドグラスなんですね。これ、オリジナルの窓なのかなあ~?解説文には入ってないなあ~。
ついでに2階のギャラリーから仏壇…つーか六角堂を見下ろしてみた。この角度からだと、仏教テイストです。
ふと、ギャラリーの柵に卍を発見!間違ってもナチスのハーケンクロイツじゃないですからっ!そこんとこ間違わないようにっ!!欧米の方々、誤認しないよーにっ!!
建物を見回って外に出たら13時57分でした。あんなに大騒ぎしたのに、見学はあっという間だった。公開時間は16時までなので、時間はたっぷりあったんだね。ま、初めて訪れた場所なので、事前のデーターは乏しいんだけどね。
…次、行ってみよう~。って次、どこへ行こうか~?
はい、そうなんです。今朝突然決めたお出かけだったので、珍しくお散歩コースを練り上げてないんです。明治学院と求道会館だけは決めてたんだけどな。

昨日から12月となり、冬の節電がスタートしたんですけど、時を同じくして関東地方には寒波到来です。もう最高気温が10度以下という突然の冬本番!そんなこんなで寒さに身体がびっくりですが、さっきね、12月2日の午後、このブログの左のバーに貼付けてある東京電力の使用状況が久々に90%を突破しちゃってました…。こういうのは分母もチェックしないと~。と見れば、分母の供給電力量もちゃんと増えてるんですが、それにしても90%超えは久々に見ました。
うん。節電頑張ろう~。なにせ冬は夏と違って、日が短いので照明は増えるの確実だからな~。震災前はオール電化が流行ってたから、電気コンロとか、電気給湯なんかも夏より冬の方がどうしても使用量が増えるんだろうね。さ~て、夏と冬、どっちが節電し易いんだろうなあ…。取りあえず関東地方在住の庶民は実験開始です。  人気ブログランキングへ
コメント
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