園内マップに書かれた順路に従って。稲田へやってきた。茶屋のような小さな小屋が見えて、その向こうに池が見えた。手前には綺麗に色づいたモミジがっ!!
もうね。吸い寄せられるように近づいてしまいました。
それがトップ画像。綺麗でしょう~。もうね、オレンジのモミジの葉っぱに、池面を照らすお日様の光が反射してゆらゆらと…。こういう時は、画像でなく映像をお届けしたいです。つーか自分でも映像を残したい~~~っ!!
おそらく、CASIOのEXILIMにはその機能が備わってるハズですが、使いこなしていないオバさんの悲しさ…。
うっとりと綺麗に染まったオレンジを見上げつつ、一息入れようとベンチに座ってポットの熱いお茶を~~~。アレ?
あ~か~な~い~~っ!!
湧かしたばかりの熱いお茶を詰めたのがマズかったのか??
ポットの蓋が開かないんですよっ。まさかと頑張ってみたけどダメ!こんな時こそダンナに頼るのだっ!!!とお願いしてみたんですがダメ!!!
視線をちょっと上げれば、彼岸の景色が広がってるというのに、煩悩の虜な私はウンウンうなってしまいました…。
下のオレンジのモミジの画像は、ベンチでポットを抱えて奮闘してるまさにその現場で撮影。視線をちょいと上へ上げるとこんなに綺麗なのに、何やってるんですかねえ
「中のお茶が冷えたら、開くかも~」と。望みをかけて次へ。ええ。テンションはだだ下がり。以降、画像が激減しちゃいました。
記事を書くのに合わせて画像を選んでると、この時を境に枚数が減ってました。なんてわかり易い私…。
そんなことは記事を読んでる方にはどうでもいいですよね。ってなことで、小石川後楽園の紅葉画像をドバッとお届けします。
この辺りに建築物は残ってません。元は水戸藩の書院があった区画です。
明治4年(1871)、ここに国立兵器工場として東京砲兵工廠の前身となる使節を建て、小銃・砲弾・馬具などを製造してました。その後陸軍造兵廠に改変。まあこれらの施設は関東大震災で壊れてしまうんですが、この時にあれこれ撤去しちゃったんですかねえ?や。この辺り、空襲で焼失という説明板も散見してましたし…。石碑が立ってます。「陸軍造兵廠」の。
後楽園を出てもこんなに美しい。
小石川後楽園は入園料300円。園外で撮影してる皆さん、小石川後楽園は300円支払っても見る価値あるよ~~。
その上、こちらは東京メトロきっぷを持ってると割引料金になりますよ。
今日は歩く!で私は来てるので、地下鉄は1回しか使わない予定。だから東京メトロきっぷは持ってな~いっ!!
ちなみに、小石川後楽園の歴史についてはこちらの記事を参照して下さい。(2010年4月18日)の記事
また小石川後楽園はしだれ桜を始めとして、桜の名所でもあります。
2010小石川後楽園しだれ桜(2010年4月4日)の記事小石川後楽園の桜の記事は複数あります。一番有名なのはしだれ桜と思いピックアップしました。
小石川後楽園で長居してしまい、園を出たのは既に11時20分でした。到着したのが9時半だったから、2時間もいたのね…。予定通り行けるかなあ~?
不安を感じつつ、JR飯田橋駅へ戻る。でも駅に用はない。お濠に沿って南下します。
かつての江戸城の外堀の堤の上を歩く。右手にお堀と、総武線・中央線の線路を見下ろして、行き交う電車を見下ろして歩くのは気持ちいいです。頭上に続くのは桜並木。ここ、春もいい散歩コースになりそうです。たぶんお濠の向こうの道の並木も桜だと思うの~。とか言ってたら、ダンナが「ここってタモリさんが歩いてたよね?」って聞いてくる。「それって、『ブラタモリ』?」って尋ねると「そうさ」と返事が…。
そうだったっけ??すると、なにやら大層な石垣が現れた。
牛込見附跡。
これ、ブラタモリで見た!ダンナの記憶の方が上だった!!
そうです。この道は、歴史好きにも萌えが発動する道でしたっ!!右手は江戸城の外濠の堤なんですよねっ。
ちなみに左手は大学や病院が入れ替わり立ち替わり現れる。かつてここはもう江戸城の中だったんだろうねえ。
しばらく歩いて外濠と分かれて南東へ向かう。途中で、コンビニで水を購入。ええ、万一ポットの蓋が開かない時は必要なんだもん
到着したのは、東郷元帥記念公園です。
すみません。今日は紅葉散歩なのですが、『坂の上の雲』巡りも兼ねてますっ!!この東郷元帥記念公園って、日露戦争の日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎の邸宅跡なんですよ。NHKのドラマでは東郷平八郎は渡哲也さんが演じてました。東郷は、この地に亡くなる昭和9年(1934)までの約53年間住んでました。画像のライオン像は、東郷邸にあったものです。つーか、これと画像のライオンの左手に残る低い石垣位しか今では痕跡が残ってません。いや、最大の痕跡は公園の敷地自体ですかね?
靖国通りから東郷元帥記念公園へ続く道には、「東郷通り」という名前が残っています。
もうね。吸い寄せられるように近づいてしまいました。
それがトップ画像。綺麗でしょう~。もうね、オレンジのモミジの葉っぱに、池面を照らすお日様の光が反射してゆらゆらと…。こういう時は、画像でなく映像をお届けしたいです。つーか自分でも映像を残したい~~~っ!!
おそらく、CASIOのEXILIMにはその機能が備わってるハズですが、使いこなしていないオバさんの悲しさ…。
うっとりと綺麗に染まったオレンジを見上げつつ、一息入れようとベンチに座ってポットの熱いお茶を~~~。アレ?
あ~か~な~い~~っ!!
湧かしたばかりの熱いお茶を詰めたのがマズかったのか??
ポットの蓋が開かないんですよっ。まさかと頑張ってみたけどダメ!こんな時こそダンナに頼るのだっ!!!とお願いしてみたんですがダメ!!!
視線をちょっと上げれば、彼岸の景色が広がってるというのに、煩悩の虜な私はウンウンうなってしまいました…。
下のオレンジのモミジの画像は、ベンチでポットを抱えて奮闘してるまさにその現場で撮影。視線をちょいと上へ上げるとこんなに綺麗なのに、何やってるんですかねえ
「中のお茶が冷えたら、開くかも~」と。望みをかけて次へ。ええ。テンションはだだ下がり。以降、画像が激減しちゃいました。
記事を書くのに合わせて画像を選んでると、この時を境に枚数が減ってました。なんてわかり易い私…。
そんなことは記事を読んでる方にはどうでもいいですよね。ってなことで、小石川後楽園の紅葉画像をドバッとお届けします。
この辺りに建築物は残ってません。元は水戸藩の書院があった区画です。
明治4年(1871)、ここに国立兵器工場として東京砲兵工廠の前身となる使節を建て、小銃・砲弾・馬具などを製造してました。その後陸軍造兵廠に改変。まあこれらの施設は関東大震災で壊れてしまうんですが、この時にあれこれ撤去しちゃったんですかねえ?や。この辺り、空襲で焼失という説明板も散見してましたし…。石碑が立ってます。「陸軍造兵廠」の。
後楽園を出てもこんなに美しい。
小石川後楽園は入園料300円。園外で撮影してる皆さん、小石川後楽園は300円支払っても見る価値あるよ~~。
その上、こちらは東京メトロきっぷを持ってると割引料金になりますよ。
今日は歩く!で私は来てるので、地下鉄は1回しか使わない予定。だから東京メトロきっぷは持ってな~いっ!!
ちなみに、小石川後楽園の歴史についてはこちらの記事を参照して下さい。(2010年4月18日)の記事
また小石川後楽園はしだれ桜を始めとして、桜の名所でもあります。
2010小石川後楽園しだれ桜(2010年4月4日)の記事小石川後楽園の桜の記事は複数あります。一番有名なのはしだれ桜と思いピックアップしました。
小石川後楽園で長居してしまい、園を出たのは既に11時20分でした。到着したのが9時半だったから、2時間もいたのね…。予定通り行けるかなあ~?
不安を感じつつ、JR飯田橋駅へ戻る。でも駅に用はない。お濠に沿って南下します。
かつての江戸城の外堀の堤の上を歩く。右手にお堀と、総武線・中央線の線路を見下ろして、行き交う電車を見下ろして歩くのは気持ちいいです。頭上に続くのは桜並木。ここ、春もいい散歩コースになりそうです。たぶんお濠の向こうの道の並木も桜だと思うの~。とか言ってたら、ダンナが「ここってタモリさんが歩いてたよね?」って聞いてくる。「それって、『ブラタモリ』?」って尋ねると「そうさ」と返事が…。
そうだったっけ??すると、なにやら大層な石垣が現れた。
牛込見附跡。
これ、ブラタモリで見た!ダンナの記憶の方が上だった!!
そうです。この道は、歴史好きにも萌えが発動する道でしたっ!!右手は江戸城の外濠の堤なんですよねっ。
ちなみに左手は大学や病院が入れ替わり立ち替わり現れる。かつてここはもう江戸城の中だったんだろうねえ。
しばらく歩いて外濠と分かれて南東へ向かう。途中で、コンビニで水を購入。ええ、万一ポットの蓋が開かない時は必要なんだもん
到着したのは、東郷元帥記念公園です。
すみません。今日は紅葉散歩なのですが、『坂の上の雲』巡りも兼ねてますっ!!この東郷元帥記念公園って、日露戦争の日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎の邸宅跡なんですよ。NHKのドラマでは東郷平八郎は渡哲也さんが演じてました。東郷は、この地に亡くなる昭和9年(1934)までの約53年間住んでました。画像のライオン像は、東郷邸にあったものです。つーか、これと画像のライオンの左手に残る低い石垣位しか今では痕跡が残ってません。いや、最大の痕跡は公園の敷地自体ですかね?
靖国通りから東郷元帥記念公園へ続く道には、「東郷通り」という名前が残っています。