あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

称名寺の秋

2012年12月31日 05時57分11秒 | 鎌倉
横浜市金沢区にある称名寺は鎌倉の世界遺産登録申請のお寺の一つ。今では横浜市に属してますが、鎌倉の歴史との関わりが深いお寺なので、カテゴリーは「鎌倉」に分類しました。
さて。ガイドさんに連れられて称名寺を回ってて、一番目を奪われたのは散り始めたイチョウの木でした。イチョウが阿字が池に移る様はとても美しく…。浄土の風景です!って言われたら同意する程に綺麗でした。



でも撮影は後回しにしてここは称名寺の歴史を伺わねばっ!!だってガイドさんは無料で長々と私たちにつき合って下さってるのですから。

最初に紹介するのは、釈迦堂です。1862年、幕末に再建されました。よ~く見ると、屋根の上に北条のミツウロコが2つあるのですが…。見えますか?鎌倉の歴史物件では北条のミツウロコ。源氏のササリンドウ。足利の丸に二つ引き両、日蓮宗の井桁に橘が要チェック。なので訪問したらまず屋根をチェックするのですよ。
まあここはチェックするまでもなく北条です。なぜなら称名寺は鎌倉幕府の要人、北条実時が13世紀の中頃に持仏堂を造ったのが始まりなので。実時の子、顕時、孫の貞顕が拡充して大寺院となりました。

金堂1681年再建。寺院の中心建物。本尊として弥勒菩薩立像(国指定重要文化財 1276年作)が祀られています。壁画・須弥壇等多くの国の重要文化財が残されてます。
な~の~に~っ!!
かろうじて参拝はしたけれど、金堂の画像を撮りそびってしまった~。何やっとんじゃぁああああっ!!

こちら北条実時の像。僧像ですね。
北条実時は…北条泰時を烏帽子親に、8代執権北条時宗を補佐。文永の役の翌年政務を引退。称名寺の地に蔵書を集めて金沢文庫を創設した。ちなみに、北条実時の戒名が称名寺
さてこの像とイチョウの木々がある辺りにぽっかりと開けた場所があります。
ガイドさん「ここに少し前まで金沢文庫がありました。今はそのトンネルの向こうにあります」
私「それって本来の場所へ戻したって事ですか?」
ガイドさん「そうです」

中世のトンネル跡。今は下部が埋もれてますね。岩の感じは鎌倉の里山と同じだわ~。切岸ややぐらが彫ってある岩肌と同じです。
ちなみに、現在の金沢文庫に称名寺からも行けるのだ。

トンネルはがっつり作られてます。すんごく金沢文庫の展覧会を覗いてみたいけど、今日の予定を考えると時間が足りない。まんだら堂やぐら群の限定公開は公開時間が限られてるのだ。ここはぐぐっと我慢です。
さて。称名寺の境内から見える小高い丘に墓石が見える。
私「あれは何ですか?」
ガイドさん「北条顕時と貞顕の墓所です」
ををっ!!お墓スキーは行かねばなるまい。
んがっ!!そこまでガイドさんに突き合わせられないのね。この後、サラッとガイドしていただき仁王門で終了です。が!私は再び称名寺へ取って返します。って!!ダンナが着いて来てくれない~。いいも~ん。一人でいけるも~ん。

北条顕時と貞顕の墓は2つ並んでます。上は北条顕時のお墓はこれ。

右隣に北条貞顕の墓。

思ったより控えめの墓石なのね。んでもちゃんと五輪塔なのですね。武士にはふさわしい。
さて。この辺で次へ行かないと、1つ目の訪問地で既に1時間過ぎちゃった!

最後に浄土庭園の阿字が池を振り返り次の訪問地へ向かいます。
帰宅後、ガイドさんにいただいたコピーを眺めてて、称名寺の裏山に北条実時の墓所を見つけました。ううっ!!行きたかった~。またいつか。再訪しよう。

さて。
今年1年私のブログを訪問下さった皆さまありがとうございました。
来年もよろしくお願い致します。

日本史 ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする