あられの日記

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大正・昭和浪漫の名邸<起雲閣>

2015年02月18日 00時29分09秒 | レトロ建築
1919年(大正8)に別荘として築かれ、非公開の岩崎別邸、今はなき住友別荘とならび、「熱海の三大別荘」と賞賛された名邸が基となる起雲閣
起雲閣さんの見学料は510円。冒頭の文章は、見学量を支払うといただけるパンフレットからの一文です。
一番有名なのは、ローマ風浴室と迎賓の雰囲気たっぷりの豪華な2つの宿泊室なのですが、その前に2階建ての和館『麒麟・大鳳」を紹介します。

この座敷と玄関を含む建物は、1918年(大正7)年に着工。翌1919年(大正8)に完成しました。
最初の持ち主であった内田信也が実母の静養の場所として建てた別荘で、伝統的な和風建築のたたずまいです。
広い畳廊下は、車椅子生活だった内田氏の母親のためだったとか。

青色の壁は、後年旅館として建物が使われた時に塗り直されたもの。
座敷のとこのまの脇に碁盤が展示してあります。裏をみれば「本因坊」とあり勝負に使われた碁盤のようです。かつて週間少年ジャンプに『ヒカルの碁』という囲碁漫画があったのですが、あれを思い出しました。

2階座敷「大鳳」へ移動。旅館当時太宰治が自殺する3ヶ月前に、共に自殺した女性と2泊この部屋に宿泊したそうです。
「大鳳」の内観。豪華だよね。あの時代の小説家にこんな豪華な部屋に泊れる金があったと思えないんだけども…。やっぱ実家から送金してもらってたのかしら??





畳み廊下をぐるりと巡る窓ガラス。当時の職人が一枚づつ作った浪漫あふれる吹きガラスが現存してます。



起雲閣は中央に庭園を配し、周囲を建物で囲ってあります。画像奥に向って下り坂になってます。
この後他の部屋を順に回りましたが、どの部屋からも庭園が眺められ、しかもどの部屋の窓の風景が全部違ってて素敵でした。

見取図はこんな感じ。見取図の赤色の部屋を見学出来ます。

麒麟・大鳳の間の外観です。

起雲閣の庭は、二代目の持ち主根津嘉一郎がとてもこだわり、立派な石が多く配してあります。庭の様子は後日の記事で。

起雲閣の見学メイン、豪華な部屋は明日紹介しますね。
ちなみに初代内田信也時代1918(大正7)年~1925(大正14)年。
麒麟・大鳳・孔雀の棟を造った。
内田信也は大正・昭和期の政治家。実業家。三井物産を経て内田汽船を設立。第一次世界大戦で財をなし、海運王と呼ばれた。昭和9年には鉄道大臣に就任。

二代目。根津嘉一郎時代1925(大正14)年~1944(昭和19)年
1925(大正14)年、内田信也より土地・建物を所得。根津別荘となる。
1929年(昭和4)、金剛・ローマ風浴室の棟を竣工。
1932年(昭和7)、玉姫・玉渓の棟を竣工。1944(昭和19)根津家が別荘を手放す。
根津嘉一郎は明治・昭和期の政治家。実業家。1905年(めいじ38)に東武鉄道社長。

3代目桜井兵五郎時代1947(昭和22)年~1999年(平成11)。
1947年(昭和22)桜井兵五郎が所得し、旅館起雲閣として開業。
1949(昭和24)年金剛の棟を改築。
1981年(昭和56)現在の音楽サロン(当時は宴会場)を新築。
1999年(平成11)、旅館を廃業。
桜井兵五郎は大正・昭和期の政治家。実業家。

2000年(平成12)熱海市が所得。一般公開へ。
コメント
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