あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

熱海港周辺散策

2015年02月22日 00時19分04秒 | ぶらぶら散歩
糸川を桜をおいかけてったら海に出た。熱海港はなんだか海岸沿いがおしゃれです。ヨットハーバーと、ヨーロッパのお城の手すりみたいな岸壁の造りはさすが観光地です。ベンチもそこそこあるので、空いてるベンチでまずは遅めのお昼ごはんです。

あんパンと熱いお茶。2月11日は3月半ばの陽気でした。海風も冷たくな~いっ!!
「ねえ、あそこにお城あるよ?」とダンナが指さす。
ああ。あれはね。観光施設なの。なっちゃってお城なの。テーマパークみたいに思って正解なの~~っ!
って事で、今回は訪問しないっ!
つーか、さっきからとっても気になるモニュメントが見えてるんだが…。

アレは何だろか?
あ。トップ画像中庸左寄り。高い棒の先の奴ね。
「あれって魚?それとも鳥??」
分からないなら確認しましょう!
すると、ど~みても鳥でも魚でもなくよくわからない現代アートです。あ。何か説明板らしきものがあるわ。
確認しておくか?

と。それは説明板ではありませんでした!
訳わからん。観光地にありがちな奴ですね。

こういうの、江の島でもあったなあ。鐘をつくタイプのが。

突き出たデッキの端っこに、も一つなんかあったので確認したらば…。
ボロッボロでしたっ!
これも観光地にありがちな地図ですが、観光地ならばこそ「見て綺麗」な事は必須です。
これはアウトッ!!!
振り返る。
桜が見えた。

あたみ桜だろう。もちろん確認に行くんだが、空が不穏です。

なんつーか、トンビの群れです。集ってます~~~っ!!
うわ~~~~っ。ないわぁ~~~っ!!
私、過去に二度トンビに襲撃されてるんですよ。ええ。観音崎と鎌倉の稲村ケ崎でね。
自分の襲撃でなく、トンビが襲撃してる所を目撃した事もあります。確か、鎌倉の源氏山と江の島の海岸で。
1匹だけでもやっかいなのに、集ってるって~~~~~~。
もうね。ドキドキものです。

トンビの動向に注意しつつ、あたみ桜は見に行くんだけどね。

あたみ桜の下に像がありました。説明文もあったので、画像だけ押えてそそくさと移動です。だって、トンビの姿が嫌だもの。
帰宅後説明文をパソコンに落として読んでみた。
釜鳴屋平七:安政の頃、熱海の浜に漁民一揆が起こりました。
まぐろ網の権利をめぐり漁民と網元との争いが日を追って激しくなり、こうした事態の中で網元の一人平右衛門の長男釜鳴屋平七は、他の網元のたちのひどいやり方に反対し、漁民側に同情、網元側から脱退、漁民に味方して解決をはかったが、争いは収まりませんでした。
このため、平七らは漁民250余人と共にムシロ旗を立て韮山代官所に押し掛け、平七は役人の制止を振り切って代官江川兵左衛門に訴状を差し出しました。
代表者平七等7人は捕らえられ、首謀者とみられた平七は島流しの刑を受け、文久3年10月(1863)江戸から八丈島送りとなりました。しかし、船中での虐待で衰弱した平七は大島に降ろされ、11月4日35才で亡くなりました。
漁民たちは平七の遺志をつぎ、長い間苦難の戦いを続け、ようやく勝訴を勝ち取ることが出来ました。」だそうで。
どこにでも似た様な話ってあるなあ。ダンナの実家のそばに地域の集会所があるんですが、そこの前の道を拡幅することになった時、集会場に隣接して昔お殿様に直訴した人を祀ってあるちいさな祠がありましてね。それを移動しなきゃいけないと大騒ぎしたんですよ。その時に直訴して人の詳細を教えてもらったのですが、似た様な感じでした。今年のNHK大河ドラマでペリーの船に特攻して失敗した吉田松陰と弟子も身分差で対応が別れてしまい、弟子は早々と獄死してしまいます。身分差は今とは違いとってもシビアな時代でした。

桜ごしの青い海画像。どこでもありそうでなかなか撮影出来ません。なぜならば、ソメイヨシノの咲く関東の4月初めの空は、春霞でもやってる事が多くてね。青空の下の満開の桜というのはタイミングが合うかどうかは運次第なのだ。

海沿いを東へ移動します。本日最後の目的地は、貫一お宮の像です。
 
金色夜叉の一場面です。金色夜叉を知らない人が大半ですよね?って事で説明板の文章を参照して下さい。
「明治の文豪尾崎紅葉の代表作「金色夜叉」は、明治20年1月1日から5年半に渡り読売新聞に連載され、たちまち単行本になり、劇化されるなど当時空前の反響を呼び起こしました。
ストーリーはヒロインのs鴫沢宮がカルタ会の席で、銀行家の息子、富山に見初められることに始まります。宮には第一高等中学校の生徒であった婚約者間貫一がいたにもかかわらす、それを承知で両親が富山の求婚を受け入れたことから繰り広げられる悲恋物語であり、作中のクライマックスの場に熱海の海岸が選ばれたことと、金色夜叉の歌
「熱海の海岸を散歩する 貫一お宮の二人連れ 共に歩むも今日限り 共に語るるも今日限り」
が広く人々に愛唱されたことから、熱海は一躍脚光を浴びるようになりました。(中略)
作者の紅葉は35才で胃ガンのため死去。「金色夜叉」は未完で終わりました。
貫一お宮のブロンズ像は、昭和61年1月17日に熱海ロータリー倶楽部が寄贈したものです。』
へえ~へえ~へえ~~。
金色夜叉って未完の小説だったのか!!そりゃ知らなんだわ。
紅葉の死後、彼の残した「腹案覚書」をもとに、弟子の小栗風葉が完成したそうで。一応の物語の完結はなされてます。
それもへえへえへえ~~っ!!
貫一お宮の像の前でもガイドさんが説明してました。途中から聞いてました。面白かったのは、像のお宮の指の指輪です。
「この指輪は富山に贈られたダイヤモンドの婚約指輪です。それを見て貫一は激怒します。『俺というものがありながら、金でなびきやがって!指輪なんかしたことなかったくせに」とかなんとか。
貫一はお宮がなぜ富山と結婚したのか?知らなかったんですかねえ。
ちなみに、金色夜叉では後に貫一はお宮を蹴り飛ばした後、復讐のために高利貸しになります。
なんだかな~。破滅する人生しか思いつかない。

お宮の松の側に、初代貫一お宮の松の一部が展示してありました。

さて。こっから熱海駅へはどう行こうかな?
私「ここで問題です。熱海駅へ大きく迂回して緩やかな坂道で行くか?最短コースの激急な石段で行くか?さあどっち!?」
ダンナ「どっちでもいい」
ならば!と。最短コース行ってみました~。
石段を一気に登るのは無理でした~。途中で2回休憩しちゃいました~~。
は・半端ないわ~。熱海の坂!!
ヘロヘロで熱海駅に到着です。

JR東海道線で小田原駅。小田原駅の小田急の構内。春節かざりがありました。
そういや、曽我梅林も早咲きの梅がぼちぼち見頃かな~?
コメント
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