あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

九品仏寺の桜2018.3.26午後

2018年03月26日 19時12分49秒 | 桜散歩
2018.3.25の13:45到着。多摩川の河川敷でユキヤナギロードと白花ダイコンと新幹線を楽しみつつお昼ご飯を食べる。新丸子駅から九品仏駅へ移動。九品仏寺の参道は駅からすぐ。トップ画像が参道入り口です。
九品仏さんには巨木のイチョウとカヤがあるのだ。巨木探訪は後回しにして、桜が思いの外多かったので紹介します。

本堂脇の都指定天然記念物のイチョウも1枚だけ。

本堂に向かって3つお堂が並んでます。

間の空間に桜があります。

巨木のカヤもあります。今は1枚だけ。

まだ満開ではなかったけども、綺麗でした。



本堂に上がって庭を見下ろしたら、枯山水がありました。

奥の山門前にも桜。

秋には真っ赤に紅葉したモミジが左の芽吹いたばかりの木ですかね?
訪問したのは午後2時前後。山門の裏表に桜があります。表にはしだれ桜が2本。それを写そうとしたら完全逆光。しかも山門もシルエットになるものだから、撮影に失敗しました。桜の花いろが出なかったの〜。あ。しだれ桜は見頃前でした。今年はソメイヨシノの方が先に咲いたのね。
午後14時26分、九品仏寺を後に。まだ時間は早かったけど、昨日は朝7時に出発したので、足が疲れちゃったよ。もう動けない〜。ので帰宅しました。早めに出たので混雑とは無縁だったのがよかったです。午後4時には我が家に着いてたからね。
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目黒不動尊の桜2018.3.26現在

2018年03月26日 15時45分52秒 | 桜散歩
昨日午前8時20分に中目黒駅着。目黒川を下流へ桜を眺めつつ散策。目黒新橋で目黒通りを西へ向かい寺院仏閣散歩大鳥神社→海福寺→五百羅漢寺→目黒不動尊(今ここ)。
目黒不動尊は3度目の参拝で既出記事で紹介済みなので、目黒不動尊と桜の画像を紹介します。

午前11時10分到着。



目黒不動尊の鳥居は、上部に三角の山王鳥居ですね。上の画像の赤い欄干の外の桜はソメイヨシノじゃありません。これは豆桜じゃないかな?







上の菜の花の植わってる畑は、前回訪問時にサツマイモ畑がありました。徳川8代暴れん坊な吉宗公の時代、さつまいもで飢饉対策をした青木昆陽ゆかりです。昆陽のお墓も目黒不動尊にあります。

鼓楼。

目黒不動尊の道向かいに山手七福神の一つがあります。江戸で最古の七福神めぐりが山手のものなんだとか?
11時36分不動尊を後に。東急目黒不動駅へ。お昼は多摩川河川敷のユキヤナギロードをみながら食べたいので新丸子駅へ移動しました。

ユキヤナギロードが見頃と、神奈川新聞のWEBで紹介されていたのですが、所在地が〜。ユキヤナギロードってどこやねんっ!調べたらば!川崎市がハーフマラソンを多摩川西岸に作ったとか。で、コース沿いにユキヤナギを植えてそれが綺麗だそうなんでけども、ハーフマラソンということはざっくり20キロもあるのね。んで、コース折り返し設定だとしても10キロだ!北(上流)はどうも二子玉川駅周辺というのは分かった!しかしだね、どこへ見にいけばいいんだ〜〜!!と。で、東急と多摩川が一番近い新丸子駅を目指してきたのだけども。
上の画像は新幹線と東海道線と横須賀線の鉄橋です。

その先を南へちょっと行ったところで河川敷に降りる石段に腰変えてお昼ご飯をいただきました。
ちなみに、手前の白い花は花ダイコンです。

10キロも追いかけられないので、しばらく南へ下っただけで引き返しました。体力が足りない。マラソン好きな人やサイクリング好きな人には二子玉川駅、いや二子新地駅まで多摩川へりを走るのもいいかも〜。

引き返してたら、ちょうど鉄橋のたもとで東からやってきたのは、これ、横須賀線の車両じゃなかろうか?
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目黒川の桜2018.3.26午前現在

2018年03月26日 08時21分21秒 | 桜散歩
昨日朝7時過ぎに出発し、東急中目黒駅8時20分前に到着。去年池尻大橋から中目黒まで歩いたので、今年は突きの中目黒から目黒まで歩きました。
観梅と巨木散歩の連載の途中ですが、桜は咲き具合が肝心なので記事を挟みます。
用意したのは去年の中目黒駅でゲットした目黒川桜まつりのチラシです。昨日は駅に置いてなかったので持参して正解でした。まずはトップ画像たぶんサイカチ橋?だと思う。で、上流を振り返って撮影。この場所ではまだ5部咲きくらいでした。

橋で桜が咲いてる方へ西へ東へ。基本西側が咲いてます。

ここだけ東側の桜が二段構えになってました。

ここはたぶん田楽橋??じゃないかな?いや、中里橋かも?画像奥の中目黒駅から東側(上の画像右)を歩いてたら、向かいに人が集ってたので確認しに画像左(西側)を奥(上流)にむかって引き返す。

頭のすぐ上で咲いてます。

素敵〜っ!!っか、まさかの見頃ってか満開じゃね??これっ!

手すりから水面を見下ろした。実は金曜まで観梅と巨木散歩のブログ記事を書いてて一昨日の土曜はヘロヘロになっちゃったんでおとなしく回復しての昨日。つまりしだれ桜散歩を飛び越してのソメイヨシノ来ちゃいました!早すぎる〜〜。

目黒川をさかのぼってきた2艘のカヌー。

ふれあい橋は左右の川岸の遊歩道から階段を上がって見下ろして撮影できます。画像は下流を撮影してます。

時刻は9時半、どんどん咲いてます。っか、正直に書けば、満開の場所は早くも散り始めちゃってました〜〜。今年の桜は見頃が短いかもしれんっ。
ので、観梅と巨木散歩の連載の途中ですが、引き続き桜散歩の記事を挟みます。
ってか、まさか3月26日に桜散歩になると思わなかったので、毎日服用してる薬がなくなってしまいました。
今朝は朝ごはん抜きで病院経由の薬局行き。午前いっぱいかかっちゃったよ〜。せっかくの腹ペコだったので、相模原公園のせせらぎ地区でお花見お昼ご飯に自転車を走らせてきました。素敵に桜が咲いていた。続けて紹介します。
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面積日本一、善養寺の影向の松

2018年03月26日 06時23分49秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2018.2.24参拝。葛飾八幡宮の樹齢1200年超えの千本公孫樹を見物してからJR総武線本八幡宮へ。二駅で小岩駅。駅構内に栃錦の像があった。駅前広場を見てなぜに都バスの本数がわずかなのか納得。バスは京成バスがほとんどだったのだ。や〜、そういうことか〜。東京都内だから都バスじゃないんや〜。
駅からは昭和の名残のある下町の商店街を抜ける。千葉街道と柴又街道が交わる交差点を過ぎたら東へ。江戸川の西岸の土手下に善養寺はある。駅から徒歩約20分ほど。初訪問なので、度々地図を確認。いや〜、下町の道って判りにくいのなんの。道は細いし、まっすぐじゃないし〜〜。確認回数が少なかったらば、駅から10分ちょいでいけるかも?
地図では南の参道から境内に入るともりだったけども、西にも不動門があった。寺社仏閣は出来るだけ正門から参道を抜けて境内へ。というのが素敵なんですが、目の前に近道があるんだからもういいわ。
で、不動門へ。

門の奥に立派な木が見える。もしやせんでもあれが目的の影向の松なんじゃ〜?

正解だった!もうびっくりじゃ足りん。魂消ました!いや〜、巨樹・巨木の本に「松としては日本一の面積えを誇る」と書かれてあるのを読んで、また話盛りすぎ〜。大げさだよな〜。とか思ってゴメンなさい。これさ、クロマツなの。普通のマツ。いわゆるマツ。それがどうやってこの形になったのか?どうやって樹齢600年なのか??あ。説明板発見!
善養寺影向のマツ 国指定天然記念物平成23年9月21日指定 江戸川区登録天然記念物 昭和56年1月13日
影向(ようごう)のマツは、推定樹齢600年余り、主幹の樹高は8メートル、根元付近の樹周約4、5メートルのクロマツです。地上2メートルの位置で四方に枝が伸び、東西方向約31メートル、南北方向約28メートルにおよび、警官の秀麗さとあわせて日本屈指の威容を誇ります。
大町桂月「東京遊行記」(明治39)に「一大老松の横にひろがる者あり。凡そ10間四方に及ぶ。支柱は百を以って数うべし。(中略)東京付近、松の奇観はこの寺に尽きたり」とあります。鏑木清方「新江東図説」(昭和12)には「珍しいのは亭々として雲を凌ぐ星降りの松にも増して、その傍に巨大な傘をさしかけたような影向の松の方であろう」と書かれています。
昭和56年。四国の岡野松と日本一を競い、当時の大相撲立行司木村庄之助氏によって東西の横綱に聞き分けられました。その後、樹勢に衰えがみられましたが、平成14年度から平成23年度夏までの樹勢回復事業により回復に向かっています」とありました。
確か、巨樹・巨木の本のどこかに四国の岡野松はすでに枯死したかなんかで現存してないって書いてあった気がする。ならもうこの善養寺の影向の松が日本一になってるんじゃなかろうか?
境内見取図
説明板発見:善養寺
善養寺は真言宗豊山派で星住山地蔵院と号します。室町時代の大永7年 (1527)山城(京都)醍醐山の頼澄法印が霊夢のお告げによって小岩の地を訪れ、堂宇を建立したのがはじまりと伝えられています。しかし、永正6年(1509)の柴屋軒宗長「東路のつと」に当寺の記事があることから、寺の草創は寺伝よりもさかのぼるものと考えられます。慶安元年(1648)徳川家から寺領10石の御朱印を受けた名刹で、現在の本尊地蔵菩薩は江戸時代の作です。境内に不動堂があり「小岩不動尊」とも呼ばれています。

上の画像は小岩不動尊です。画像上部に一部写り込んでるのは影向の松の枝。で、不動尊の奥のガラスにも影向の松がうっすらと写り込んでいます。
こうね。いい感じに大きさのわかる感じに撮影できないものか?

何度もぼやいてますが、撮影しても大きさがわかる画像にはなかなかなりません。
多くの支柱で枝を支えてるので、影向の松の枝ぶりを写せないか?と座って見上げて撮影。

境内のキワに展望台みたいなのがあったので、登ってみた。展望台は横綱山と名前がある。善養寺の檀家だった大相撲三役格行司の木村宗四郎にまつわるもの。弟子の三役格行司の二代目式守伊三郎が法事で寺を訪れ、宗四郎の軍配を貴乃花対龍虎の一番で使ったとか。横綱山は境内で開催された子供相撲の時の土俵の土で築いたとか。影向の松を撮影するのにぴったりかも?と登ってみた。松を上からの構図で撮影できました。

中央に突き出てるのが影向の松の中央部。でもって、枝は横に広がってます。ちょうどお参りだかお掃除に来てるのか?おばさんがいたのでハイライト代わりになってもらった。大きさが分かる?日本一の松なんだよ。
ちなみに本堂(弘化2年再建の木造銅葺き)には珍しい感じのものがあった。
 
おびんづる様ってどこかで聞いたことがある。WIKIで調べたところ、びんずるはビンドーラ・バーダドヴァージャ)のことで、お釈迦様の弟子の一人。名前がビンドーラ。姓はバーラドヴァージャ。名前の意味は不動、利根といい、16羅漢の第一。日本ではこの像を堂の前に置き、撫でると除病の功徳があるとされ、なで仏の風習が広がった。この像をおびんづるさん(*上方では神仏も観音さんえべっさんなどとさん付けで呼ばれる)とありました。
さてと?次は亀戸天神なんだけども、小岩駅へ戻るのはなあ〜。都営まるごときっぷを使いたいので、とりあえず小岩入口バス停を目指す。現時刻は午前10時49分。頑張れば21分発のバスに乗れるかも?それを逃すと30分待ちだから結構賭けかも?でも挑戦してみる。
そんなこんなで到着したバス停ですが、到着時刻を確かめる間もなく、乗車予定の錦27系統がやってきた!あれ??思わずバスの前面についてる行き先と系統番号を見直して、更に運転手さんに「このバス亀戸駅前通りに行きますか?」と尋ねてしまいました。「行きます」と運転手さんの返答あり。いそいそと乗り込む。車内で時計を確認。どうやら前のバスが遅れてた模様。日曜日ですから、バスは道の混み具合とか乗客の数で予定通りには来ないこともある。でもラッキーです。
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