2019.6.16北山公園の菖蒲まつりを楽しんだ後、正福寺千体地蔵堂のガイドさんに勧められた
徳蔵寺の板碑保存館へ行こうとまつり会場で配布してた東村山まち歩き発見マップを広げてたら、「どこへ行きたいのですか?」と観光ガイドさんに声をかけられた。菖蒲まつりの最終日は北山公園・正福寺さんに観光ガイドさんがいらっしゃったのだ。もうラッキーです。北山公園の辺りは、むかし道で、細い曲がりくねった道ばかりなんだ。北山公園の菖蒲見物に来たのは実は3回目なんだけど、前回2回とも迷った私。無事に目的地まで行けるのはとても嬉しいです。
ガイドさんはまち歩きマップをみて悩んでる。目的地まで迷わず簡単に案内できるほどの道がないという。ので、途中まで一緒に歩いて道案内してくださることになった。
すぐに人がすれ違えるほどの細道に入った。途中で振り返り「トトロでメイちゃんが歩いてたモデルの場所かも?」と。
確かに!メイちゃんが大きなとうもろこし抱えて歩いててもおかしくない道じゃん!
細い用水路に出た。
「川を越えて道沿いに進む。小学校の外周を周り左折。まっすぐいくとふるさと歴史館があります。直進して西武の踏切を超える。次の信号を左折。すぐに徳蔵寺さんがあります」
〜〜〜分かった気がする〜。
奥に見えるのがガイドさんと別れた橋。用水路の街路樹は桜です。ここで道を曲がるので振り返って撮影。
化成小学校にあったしの保存木。
画像奥へ直進。画像奥に見える緑は諏訪神社さん。
説明板発見:諏訪神社
御祭神:健御名方命
由緒:野口実来(つぶれや)に、前川の洪水の時、流れ着いた御神体を、大門廻(おおせど)と字名で呼ばれる桜井利兵衛(現桜井長寿氏の先祖)がお祀りして、古くは諏訪明神と言われてきた。貞享2年に、六反歩の境内地とともに、西宿(現諏訪町)の鎮守様として寄贈した。と、代々桜井家の言い伝えられてきた。
明治の神仏分離令が施行されるまで長く徳蔵寺の管理下にあり、むかしは素晴らしい杉林があって、現在の徳蔵寺本堂は諏訪神社の杉材にて建立されたと伝えられている。
午前11時40分、東村山市ふるさと歴史館到着。
ここで正徳寺千体地蔵堂のガイドさんの言葉を思い出した。「板碑に興味あるなら、ふるさと歴史館と徳蔵寺さんがオススメ」ここじゃん!偶然にも途中にあったので入ってみよう!
特別展は「税金の今昔」一般展は東村山の歴史。
貞和の板碑
正徳寺で覆い屋の中に本物は収まっている。覗き見たあれね。
比翼の板碑
レプリカ展示の隣に説明板があった。
「比翼碑は双式板碑、または連碑などと呼ばれ、対になっている板碑で2基で一対や、1石で2基、3基彫ったものもある。
この比翼碑は2基1組で延文4年(1359)に造られた。主尊は連座に乗った阿弥陀三尊で、光明遍照十方世界、念仏衆生、摂取不捨の があり男女2人の逆修供養の碑で、ともに高さ97センチ、幅28センチ。
この碑は久米川4丁目白山神社の墓地にあったものである。 市指定有形民俗文化財 昭和46年3月指定)
館内の冷房がとても嬉しかった〜。さてと、11時50分出発。西武の線路を越えて
信号を左折してすぐに徳蔵寺さん。12時7分到着。さて、板碑保存館の受付はどこだろうか?
目的地を見つけるのに集中してしまい、道路向かいにあったホームベーカリーマドンナさんで販売してる縄文土偶パンを買い忘れた〜〜!!まち歩き発見マップに載ってたのにぃ〜〜!!