あられの日記

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梅岩寺の4つの紋と増上寺の石燈籠

2019年07月23日 06時01分01秒 | 神社・仏閣
2019.6.16参拝。目的は大ケヤキとカヤでした。国宝正福寺の千体地蔵堂を見学に立ち寄った際、ガイドさんに梅岩寺さんの見どころを教えていただきました。曰く「紋が4つあるから探してごらん。八十八箇所の石像があるよ」でした。
その前に忘れそうなので先に梅岩寺さんの基本情報を紹介します。
山号:芳林山
寺号:梅岩寺
宗派:曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所:狭山三十三観音 霊場9番・10番
御由緒:応永5年(1397)に真言宗寺院として創建された。
その後戦国時代を経て、曹洞宗に改宗された。
ふまえて、トップ画像は梅岩寺の山門です。屋根の軒丸瓦に注目。丸に二引きの模様がありますね。寺紋でなく武将の家紋がついてると仮定して調べたら、これは足利将軍家の紋です。足利氏の二つ引両、新田氏の一つ引両が有名。
他に紋がついてそうな場所は?

振り返る。あ。まだ参拝してなかった!先に巨木でワイワイしちゃいました。反省。
あ。屋根の上に紋がある!
え〜と??ズーム!
わかるかなあ?
中央の屋根の中央に燦然と金色に輝いてるのが徳川の家紋三つ葉葵です。
で、その真上に先ほど出てきた丸に二引きの足利家の家紋。
その上、屋根の一番上に輝く3つの丸。これが全部違ってます。
左にあるのが五三の桐。もしかしたら五七の桐かもしれんが目を凝らしても判別できない。で、五三の桐が家紋の武士といえば、豊臣秀吉です。
屋根の上の中央は三つ葉葵だと思う。で、右端は?なんだこれ?
〜〜〜調べたは調べた。家紋のWEBで植物家紋を90ページまでチェックしたわ。けど決定打がない〜。梅鉢のような5つ丁子のような?瓜にしては形が細いなあ〜??などと。ギブです。どこの家紋なんだろうなあ?ガイドさんにもっと詳しく聞いておくんだったあ〜〜!!
さてと次だ。八十八ケ所の石仏は、山門から本堂をつなぐ参道の両脇に並んでます。
説明板発見:新・四国石仏 東村山市指定・有形民俗文化財
指定:昭和55年3月
江戸期、特に中ごろから霊場巡り、巡礼が庶民の間に盛行し、近くは坂東・秩父に、遠くは四国八十八ケ所詣でなど、いわゆるお遍路が行われました。
四国への霊場巡りは現代とちがって数ヶ月もかかり、経済的にも身体的にもそれはたいへんなことで、だれでもが実行できるものではりませんでした。そこで地元に八十八ケ所の石仏を造立し、四国まで行かなくとも、同じに功績が多くの人に得られるようにしました。
これを新・四国石仏といいますが、この石仏は文政7年(1824)に久米川村の榎本権兵衛が建立し奉納したものであり、現今、完全に八十八体として残されているものはこの近郷になく信仰史のうえからも価値があります」ですってよ。選んだのは私の故郷の70番前後の石仏です。
鐘楼と十三仏信仰の石仏。新しいですね。
このあたりまでほうほうほうと呑気に見てたらば!
これはっ!!もしやせんでも芝増上寺の徳川将軍家に奉献された石燈籠ではなかろうか!?
いや〜〜!!東村山市のあちこちにあるんだね。
いや、決めつける前にチェックだ。
形は寛永寺や増上寺の石燈籠です。傘の部分に三つ葉葵がついてるし。
胴部分を読んでみた。
右から奉献 石燈籠 両基
武州 増上寺
有章院殿 尊前
正徳六年 丙申四月三十日
従三位下行〜〜〜読めない
解説いきます。
やはり芝増上寺に奉献された石燈籠でした。
有章院殿は第7代将軍徳川家継のことです。
正徳6年4月30日は、1716年6月19日で、家継の死没日でした。
ちなみに家継は6代将軍家宣の四男として宝永6年(1709)生まれなので、8歳での死亡です。死因は風邪による急性肺炎だったとか。
その後ろに石燈籠を奉献した人の冠位・知行地・名前がくるのですが、冠位の従三位までしか読み取れません。だいたい大名の位階にあたります。
 
次。右から武州増上寺
文昭院殿 尊前
正徳二年壬辰年十月十四日
従三位下子播磨子平朝臣織田氏秀
彫りがよくて最後まで読めたけど!!
まずは最初から、増上寺です。これも!
文昭院殿は6代将軍徳川家宣です。
正徳2年10月14日は家宣の死没日で、1712年11月12日にあたります。
けどさ。播磨は播磨守だと思う。平の朝臣もまあいい。時代が違うからな。けど織田って?すぐに人物特定すべく織田家の家系図を調べました!けども!!わから〜ん。多すぎ〜。織田=信長の家系と思った。冠位も従三位だと大名確定だし。けども「氏秀」が見つからんのじゃ!なんでや〜〜!!
だいたいさ、石燈籠の最後の部分は彫りが薄くなってしまい読み取れないことが多い。たま〜に読み取れると嬉しそうに探るんだけども、確定できればそれはそれで楽しいんだけども。
もう分からん〜。時刻はすでに13時30分、出発します。

参道で振り返って地図を眺める。次の目的地まで最短コースでいくか?当初の予定通りに満ち満ち楽しそうな道でいくか?
久米川辻:旧久米川村の中心だった場所。期待して目指したけど、今はただの道だった。時刻は13時37分。ここから一気に南へ移動。結局最短コースを選択しました。
コメント
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