今日は2017年4月2日の桜巡りから、洗足池を紹介します。
今年の桜は開花はしたものの、咲き進むのにとても時間がかかりました。例年ならそろそろ見頃?という4月2日に、目黒川の桜を東急池上大橋駅から中目黒駅までそぞろ歩きました。こちらの様子はすでに投稿済み。
目黒川の桜見物(2017年4月5日)の記事
この後、1日乗り放題の東急ワンデーオープンチケット660円を使い、洗足池駅へ移動。洗足池も桜の名所なんですが、訪問したら、全く咲いてなくて、4月の怒涛の桜散歩連載のブログ記事に投稿してもつまらん!と記事にするのを見送りました。それを思い出したので、書いてみます。
実は、洗足池を訪問したの、この1年で3度目です。初回は初訪問で去年、2016年6月4日。九品仏浄真寺さんへ(2016.9.2)の記事
この時は、九品仏寺目黒不動尊林試の森(昼食)洗足池公園(勝海舟のお墓)というお散歩コースでした。
目黒不動尊続き(2016年9月6日)の記事こちらの記事にアジサイの季節の目黒不動の画像があります。本堂の裏にある大きな大日如来像の周辺にアジサイがたくさん植栽されていて、フォトジェニックです。
この時、どう携帯電話をいじってしまったのか、林試の森で望遠拡大して撮影したハズのアジサイの画像から帰宅途中の電車の中までの画像が丸ごと消失しちゃいまして、記事にできなくて、洗足池は紹介できませんでした。
2度目は2016年12月7日、その日、清泉女子大学構内にある旧島津公爵家袖ケ崎本邸洋館の見学に当選しまして、いそいそと出かけました。
旧島津公爵邸見学(2017年4月1日)の記事
最寄駅が五反田だったので、またまた東急ワンデーオープンチケットの出番です。
この時は旧島津公爵邸見学洗足池の勝海舟のお墓国立科学博物館付属自然教育園で紅葉散歩というお散歩コースでした。
ところが!!島津公爵邸の内部が観れる!と浮かれて、携帯電話の操作を誤り、変なボタンを押してしまったのか??マイクロミニSDカードに画像記憶できてなくてですね。それに気づいたのが、洗足池に到着後だったのですよ。あれこれ試し撮影しても再生できなかったので、以後携帯電話の撮影を諦め、デジカメだけで撮影したので、洗足池の記事にできなくてですね。悔しくて、1年で3度目の桜の季節狙いで訪れたら、桜が咲いてないという有様です。キ〜〜~っ!!
んでも、来年以降に桜散歩を繰り延べにしても洗足池は見所が多いので今回4月の画像を使って紹介します。
千束八幡神社の鳥居です。
鳥居って、神社の参道に立てるものですよね?でも画像の赤い鳥居は池に向かって立ってます。池の縁のギリギリに立って撮影しました。これって、船で参拝前提かしら?という風体ですが、現在はすぐそばまで住宅街です。昔はどうかわかりませんが。もしかして、沼地だったら船で参拝ありやもしれんけども?
訪れた4月2日は、トップ画像にあるように、しだれ桜さえ咲いてないという有様でしたが、桜祭りが開催されてますので、屋台も並んでました。
千束八幡神社の裏手に馬の像が。
池月像。
説明板発見:池月発祥伝説の由来
池月とは「宇治川先陣物語」にある名馬の名である。
治承4年8月(1180)頼朝、相州石橋山の合戦に敗れて安房に逃れこの地の豪族、千葉常胤、上総介広常、等の参向を得再挙して鎌倉に向かふの途次ここ千束郷の大池に宿営し八幡丸の丘を本陣として近隣諸豪の参陣を待つ。折からの皓月池水に映るを賞でつる折ふし何処方よりか一頭の野馬、頼朝の陣所に向かって飛来りいななく声、天地をふるはすばかりであった。
郎党之を捕まえて頼朝に献ずるに馬体あくまでたくましく青き毛並みに白き斑点を浮かべあたかも池に映る月影のごとくであった為、これを池月と命名して自らの料馬とする。
頼朝先に磨墨を得、今またここに池月を得たるは之征平軍すでに成るの吉兆として勇気百倍し来れりという。士卒之を伝えて征旗を高く掲げ歓声やまざりしとか。
当八幡宮の別名を「旗上げ八幡」と称するはこの故事による。寿永3年春 (1184)頼朝木曽義仲を京師に攻む。義仲宇治、勢田の両橋を徹し河中に乱杭逆茂木を設けて寄手の渡を阻まんとす。この時鎌倉出陣に際し各々頼朝にこふて賜りたる名馬二頭の中、梶原景季は磨墨に、佐々木高綱は池月に跨りともに先陣を争った。史書にいう宇治川先陣争いである。
池月一台の晴れの場所でこの一番乗りの功名が今に至るまで名馬の誉れを伝えている。
この池月の誕生地が当八幡で会って、即ち池月発祥伝説の起こりである。
古くより里人の間に語り継がれ大井町線の駅名に(今の北千束駅)、また町会名にもなっていたが今はない。
とおき治承の昔より光芒すでに八百秋、時代の変遷と共にこの伝説の忘失を惜しみ後世に伝えんとする。
尚磨墨を葬せし磨墨塚は南馬込に現存する。」
洗足池の周りに桜があって、見頃だと池の水面を取り入れていい感じに撮影できたんだけども〜??
奥に弁天島と弁財天社が見えます。祭りの日曜なので、桜は咲いてなくとも人出はすごく、上の画像の散策路に座りお昼ご飯しました。ベンチが空いてないっ!縁石に腰掛けました。
桜は咲いてなくとも花見の宴会はするのが日本人。ここは桜広場です。この脇に勝海舟夫妻のお墓があります。こちらは明日、別記事立てで紹介しますね。3度目の訪問でようやく画像ゲット出来たので、思入れがあるんですよ。
洗足池に沿って散策路があり、ここは御松庵妙福寺さんです。
日蓮聖人の袈裟懸けの松の石碑です。松自体は代替わりしてます。何しろ日蓮といえば、鎌倉幕府に喧嘩を売って処刑されそうになったり、逮捕されたり今でいう危険思想の宗教家という扱いだった時代です。さすがに700年近くも前では松は残ってません。
こんな感じで。白鳥の足こぎボートがあるので、池から見る桜も素敵なポイントかも?訪問した2017年4月2日はまだ開花前だったので、桜の位置は確認できなかったけどね〜。
今年の桜は開花はしたものの、咲き進むのにとても時間がかかりました。例年ならそろそろ見頃?という4月2日に、目黒川の桜を東急池上大橋駅から中目黒駅までそぞろ歩きました。こちらの様子はすでに投稿済み。
目黒川の桜見物(2017年4月5日)の記事
この後、1日乗り放題の東急ワンデーオープンチケット660円を使い、洗足池駅へ移動。洗足池も桜の名所なんですが、訪問したら、全く咲いてなくて、4月の怒涛の桜散歩連載のブログ記事に投稿してもつまらん!と記事にするのを見送りました。それを思い出したので、書いてみます。
実は、洗足池を訪問したの、この1年で3度目です。初回は初訪問で去年、2016年6月4日。九品仏浄真寺さんへ(2016.9.2)の記事
この時は、九品仏寺目黒不動尊林試の森(昼食)洗足池公園(勝海舟のお墓)というお散歩コースでした。
目黒不動尊続き(2016年9月6日)の記事こちらの記事にアジサイの季節の目黒不動の画像があります。本堂の裏にある大きな大日如来像の周辺にアジサイがたくさん植栽されていて、フォトジェニックです。
この時、どう携帯電話をいじってしまったのか、林試の森で望遠拡大して撮影したハズのアジサイの画像から帰宅途中の電車の中までの画像が丸ごと消失しちゃいまして、記事にできなくて、洗足池は紹介できませんでした。
2度目は2016年12月7日、その日、清泉女子大学構内にある旧島津公爵家袖ケ崎本邸洋館の見学に当選しまして、いそいそと出かけました。
旧島津公爵邸見学(2017年4月1日)の記事
最寄駅が五反田だったので、またまた東急ワンデーオープンチケットの出番です。
この時は旧島津公爵邸見学洗足池の勝海舟のお墓国立科学博物館付属自然教育園で紅葉散歩というお散歩コースでした。
ところが!!島津公爵邸の内部が観れる!と浮かれて、携帯電話の操作を誤り、変なボタンを押してしまったのか??マイクロミニSDカードに画像記憶できてなくてですね。それに気づいたのが、洗足池に到着後だったのですよ。あれこれ試し撮影しても再生できなかったので、以後携帯電話の撮影を諦め、デジカメだけで撮影したので、洗足池の記事にできなくてですね。悔しくて、1年で3度目の桜の季節狙いで訪れたら、桜が咲いてないという有様です。キ〜〜~っ!!
んでも、来年以降に桜散歩を繰り延べにしても洗足池は見所が多いので今回4月の画像を使って紹介します。
千束八幡神社の鳥居です。
鳥居って、神社の参道に立てるものですよね?でも画像の赤い鳥居は池に向かって立ってます。池の縁のギリギリに立って撮影しました。これって、船で参拝前提かしら?という風体ですが、現在はすぐそばまで住宅街です。昔はどうかわかりませんが。もしかして、沼地だったら船で参拝ありやもしれんけども?
訪れた4月2日は、トップ画像にあるように、しだれ桜さえ咲いてないという有様でしたが、桜祭りが開催されてますので、屋台も並んでました。
千束八幡神社の裏手に馬の像が。
池月像。
説明板発見:池月発祥伝説の由来
池月とは「宇治川先陣物語」にある名馬の名である。
治承4年8月(1180)頼朝、相州石橋山の合戦に敗れて安房に逃れこの地の豪族、千葉常胤、上総介広常、等の参向を得再挙して鎌倉に向かふの途次ここ千束郷の大池に宿営し八幡丸の丘を本陣として近隣諸豪の参陣を待つ。折からの皓月池水に映るを賞でつる折ふし何処方よりか一頭の野馬、頼朝の陣所に向かって飛来りいななく声、天地をふるはすばかりであった。
郎党之を捕まえて頼朝に献ずるに馬体あくまでたくましく青き毛並みに白き斑点を浮かべあたかも池に映る月影のごとくであった為、これを池月と命名して自らの料馬とする。
頼朝先に磨墨を得、今またここに池月を得たるは之征平軍すでに成るの吉兆として勇気百倍し来れりという。士卒之を伝えて征旗を高く掲げ歓声やまざりしとか。
当八幡宮の別名を「旗上げ八幡」と称するはこの故事による。寿永3年春 (1184)頼朝木曽義仲を京師に攻む。義仲宇治、勢田の両橋を徹し河中に乱杭逆茂木を設けて寄手の渡を阻まんとす。この時鎌倉出陣に際し各々頼朝にこふて賜りたる名馬二頭の中、梶原景季は磨墨に、佐々木高綱は池月に跨りともに先陣を争った。史書にいう宇治川先陣争いである。
池月一台の晴れの場所でこの一番乗りの功名が今に至るまで名馬の誉れを伝えている。
この池月の誕生地が当八幡で会って、即ち池月発祥伝説の起こりである。
古くより里人の間に語り継がれ大井町線の駅名に(今の北千束駅)、また町会名にもなっていたが今はない。
とおき治承の昔より光芒すでに八百秋、時代の変遷と共にこの伝説の忘失を惜しみ後世に伝えんとする。
尚磨墨を葬せし磨墨塚は南馬込に現存する。」
洗足池の周りに桜があって、見頃だと池の水面を取り入れていい感じに撮影できたんだけども〜??
奥に弁天島と弁財天社が見えます。祭りの日曜なので、桜は咲いてなくとも人出はすごく、上の画像の散策路に座りお昼ご飯しました。ベンチが空いてないっ!縁石に腰掛けました。
桜は咲いてなくとも花見の宴会はするのが日本人。ここは桜広場です。この脇に勝海舟夫妻のお墓があります。こちらは明日、別記事立てで紹介しますね。3度目の訪問でようやく画像ゲット出来たので、思入れがあるんですよ。
洗足池に沿って散策路があり、ここは御松庵妙福寺さんです。
日蓮聖人の袈裟懸けの松の石碑です。松自体は代替わりしてます。何しろ日蓮といえば、鎌倉幕府に喧嘩を売って処刑されそうになったり、逮捕されたり今でいう危険思想の宗教家という扱いだった時代です。さすがに700年近くも前では松は残ってません。
こんな感じで。白鳥の足こぎボートがあるので、池から見る桜も素敵なポイントかも?訪問した2017年4月2日はまだ開花前だったので、桜の位置は確認できなかったけどね〜。
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