長々と連載してきた所沢の狭山不動寺の境内の建物紹介、今日で最終回です。
最終回は派手に行きましょう!
トップ画像の扁額に燦然と輝く台徳院の漢字。これは二代将軍、徳川秀忠の戒名です。
説明板発見:勅額門(重要文化財)
元、東京芝の徳川家台徳院一品。
大相国公(二代将軍秀忠公)の御廟に建立されていたものである。
寛永9年(1632)孝養報恩の志をのべたいと、三代将軍従一位左大臣徳川家光公が着手し建立したもので、現在国指定の重要文化財となっている。
構造形式 四脚門 胴板葺き 切妻造り
昭和50年4月26日 天台宗別格本山 狭山山不動寺 です。
他角度からも撮影しました。
一番お気に入りはこの角度からの画像。
な。登るのを躊躇する急階段でしょ?
さて、勅額門の右手にご神木があります。
イチョウの木です。
説明板発見:ご神木
この銀杏の大木は、江戸城を築いた太田道灌が城砦を構えていた城山城趾にあったものである。
徳川時代から今日まで、人々から神木として崇敬され、関東大震災の時には、大勢の人々がこの大樹の下に寄って難を免れ神験のあらたかさを喧伝されたもんです。
その御、区画整理の際、樹齢500年のこの大木を伐るに忍びず、当境内に移植して造化の神秘を偲ぶよすがとし、社会科の教材として保存することにしたものです。
昭和50年4月26日 天台宗別格本山 狭山山不動寺 だそうで。
以上、狭山不動尊のあれこれの紹介でした。
んで…。
私ってば、いつも毒吐く文章を書いてて「人間まるくならな、アカン」と反省しきりなのですけど、今回記事を書くにあたり、説明板を何枚も記事に転記してみて気付いたんですけど…。ここの説明板の文章を書いた人には「愛」が足りない。まあ…。由来と現状で分からなくもないけど、もうちょっとこう~~…。
あ。もう何も言いませんっ!
ところで…。
狭山不動寺には、国の重要文化財が複数あります。
でも…。本日の徳川秀忠の勅額門の状態をよく見て欲しい。
元の色ははげ落ち…。当然材料は木材だからして、表面の塗料が剥げて、素地の木材がむき出しになっています。
まあ1632年建立だから、もう400年経ってるから年代ものです。奈良や京都だと更に古いあれこれが残ってるから、400年ならまだ朽ちたりしないかもしれませんが…。
下地がそのまま表に出てたらヤバいんじゃないの?屋外なんだからさ~。
日光の建築物は、現在順繰りに修理・保全されています。
ここの重要文化財って、現状危機遺産じゃないの?このまま年代を経るに任せると、もう何年も保たないじゃないかな~?
キチンとお手入れしないと、長持ちしないと思う。
ここ、狭山不動寺のあれこれって、どこの誰がその責任あるのかな?
国?それとも埼玉県?や。所沢市??それとも…。西武グループ??
最近アメリカのファンドのTPO云々とかいってたから、西武グループに余力ないんじゃないかな~?早くなんとかしないとヤバい物件だと思います。
いいのかな~…。なんだかな~…。
さて、狭山不動寺から最寄駅、西武山口線西武球場前駅までは徒歩数分。
次は東村山市の北山公園で花菖蒲観賞です。さあ、はりきって出発ーーー。
ん?
「はりきれない~。もう限界~~…」
ってな事で、あっこさんがリタイアの模様。
ま。な。横浜は遠いよな。
無念にも途中棄権となったあっこさんと、所沢駅でお別れです。
彼女は西武池袋線利用なのだ。私の目的地の東村山駅には止まりません。
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最終回は派手に行きましょう!
トップ画像の扁額に燦然と輝く台徳院の漢字。これは二代将軍、徳川秀忠の戒名です。
説明板発見:勅額門(重要文化財)
元、東京芝の徳川家台徳院一品。
大相国公(二代将軍秀忠公)の御廟に建立されていたものである。
寛永9年(1632)孝養報恩の志をのべたいと、三代将軍従一位左大臣徳川家光公が着手し建立したもので、現在国指定の重要文化財となっている。
構造形式 四脚門 胴板葺き 切妻造り
昭和50年4月26日 天台宗別格本山 狭山山不動寺 です。
他角度からも撮影しました。
一番お気に入りはこの角度からの画像。
な。登るのを躊躇する急階段でしょ?
さて、勅額門の右手にご神木があります。
イチョウの木です。
説明板発見:ご神木
この銀杏の大木は、江戸城を築いた太田道灌が城砦を構えていた城山城趾にあったものである。
徳川時代から今日まで、人々から神木として崇敬され、関東大震災の時には、大勢の人々がこの大樹の下に寄って難を免れ神験のあらたかさを喧伝されたもんです。
その御、区画整理の際、樹齢500年のこの大木を伐るに忍びず、当境内に移植して造化の神秘を偲ぶよすがとし、社会科の教材として保存することにしたものです。
昭和50年4月26日 天台宗別格本山 狭山山不動寺 だそうで。
以上、狭山不動尊のあれこれの紹介でした。
んで…。
私ってば、いつも毒吐く文章を書いてて「人間まるくならな、アカン」と反省しきりなのですけど、今回記事を書くにあたり、説明板を何枚も記事に転記してみて気付いたんですけど…。ここの説明板の文章を書いた人には「愛」が足りない。まあ…。由来と現状で分からなくもないけど、もうちょっとこう~~…。
あ。もう何も言いませんっ!
ところで…。
狭山不動寺には、国の重要文化財が複数あります。
でも…。本日の徳川秀忠の勅額門の状態をよく見て欲しい。
元の色ははげ落ち…。当然材料は木材だからして、表面の塗料が剥げて、素地の木材がむき出しになっています。
まあ1632年建立だから、もう400年経ってるから年代ものです。奈良や京都だと更に古いあれこれが残ってるから、400年ならまだ朽ちたりしないかもしれませんが…。
下地がそのまま表に出てたらヤバいんじゃないの?屋外なんだからさ~。
日光の建築物は、現在順繰りに修理・保全されています。
ここの重要文化財って、現状危機遺産じゃないの?このまま年代を経るに任せると、もう何年も保たないじゃないかな~?
キチンとお手入れしないと、長持ちしないと思う。
ここ、狭山不動寺のあれこれって、どこの誰がその責任あるのかな?
国?それとも埼玉県?や。所沢市??それとも…。西武グループ??
最近アメリカのファンドのTPO云々とかいってたから、西武グループに余力ないんじゃないかな~?早くなんとかしないとヤバい物件だと思います。
いいのかな~…。なんだかな~…。
さて、狭山不動寺から最寄駅、西武山口線西武球場前駅までは徒歩数分。
次は東村山市の北山公園で花菖蒲観賞です。さあ、はりきって出発ーーー。
ん?
「はりきれない~。もう限界~~…」
ってな事で、あっこさんがリタイアの模様。
ま。な。横浜は遠いよな。
無念にも途中棄権となったあっこさんと、所沢駅でお別れです。
彼女は西武池袋線利用なのだ。私の目的地の東村山駅には止まりません。
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