2019年3月24日に京王電鉄1日券で行くしだれ桜と巨木探訪をしました。gooブログのバージョン変更が3月25日にあり、しだれ桜の画像を使いテストをしたので、巨木探訪の画像がまだ掲載出来てない!需要はないかも?ですが、この日の巨木探訪の連載開始です。
うちの最寄駅は小田急線なのでまずは小田急永山駅で京王線に乗り換え。ここで1日券900円を購入。私は日々お薬を飲んでるので、朝一でがっつり歩きたくないので、まずは多磨霊園駅下車で、東郷寺のしだれ桜見物。
9時36分からしばらくしだれ桜を楽しんで、京王高尾駅に移動。
京王線のホームから大光寺さんのしだれ桜と樹齢200年の桜。大光寺さんに10時42分→金南寺さんに11時20分→高楽寺さんに11時52分。
京王高尾駅から京王府中駅へ移動。12時39分、ケヤキ並木をそぞろ歩く。
このケヤキ並木が只者ではないのだ。
こんな看板を見つけました!
なんと国指定の天然記念物なのですよ。並木がですよ。
巨樹巡りをしてるとよく出会う源頼義・義家ゆかりのケヤキです。並木のどこかに源義家の像もあります。
さすがに当時のケヤキは残ってない模様ですが、ここに植え続けてるのがすごいよね。時代を感じさせる大きな木もあります。それをピックアップして画像を貼り付けてみる。
ケヤキ並木は終点に到着。
道路の向こうにあるのは、大國魂神社さんです。明日は上の画像に写ってる2本のケヤキをピックアップして紹介。手前のみちは府中街道です。道路のギリギリのケヤキは頑張ってました!
ちなみに、以前紅葉したこのケヤキ並木を歩いたことがある。記事を検索したら、大國魂神社さんで記事立てしてた。
葉っぱがあると大分印象が違いますね。
ケヤキ並木の説明板がまたあった!
大國魂神社と馬場大門ケヤキ並木:馬場大門ケヤキ並木は大國魂神社の参道であり、江戸時代には並木北端(都立農業高校付近、ケヤキ並木南端から550メートル余り北)に大國魂神社の木製の一の鳥居が建立されていました。現在では昭和26年に寄進された大鳥居(二の鳥居)が境内に建立されています。
ケヤキ並木の起源は源頼義・頼家父子が欧州・安部氏反乱(「前九年の役」と呼ばれ、永承6年(1051年)から康平5年(1062)までの乱)の平定の途中、大國魂神社に戦勝を祈願し、平定後も参拝してケヤキの苗千本を奉植したのが始まりと伝えられています。
現在のケヤキ並木は天正8年(1590)に徳川家康が江戸に入り、慶長年中(1596〜1615)に二筋の馬場を寄進し、両側に土手を築いてその上にケヤキの苗を植えたのが始まりです。その後、寛文7年(1667)に老中久世大和守が府中宿の大火(1646)で焼失した六所宮(大國魂神社)の再興とともにケヤキ並木の補植を行っています。
なお、徳川家康によるけやき並木馬場の寄進は、府中で伝統ある馬市が開かれていたことにもよります。とくに、府中の馬市は戦国時代から江戸時代初期にかけて、関東でも有数の軍馬の供給地であり、馬市は5月3日の「駒くらべ」の日から始まり、9月晦日まで5ヶ月にわたって開催されました。
ケヤキ並木は大正13年、国の2番目の天然記念物に指定されています。。毎年5月の例大祭(くらやみ祭り)では、3日にケヤキ並木で夕方から囃子の競演、競馬式(駒くらべ)が執り行われています。」
また出た!八幡太郎源義家!
WIKIによりますと、諸説あるものの源の義家は1039年生まれとなっています。とすると、前九年の役は1051〜1062年なので、当時義家は12歳から23歳となります!そりゃあ神様仏様にすがりたくもなるよな〜。奥州へ向かう途上、あちこちで神社仏閣に神頼みしたくもなるわ。んで、子供だからお金もないので、気持ちだけでもと木を奉納しまくった!と。時は流れ、現在は日本のあちこちに源義家お手植えの巨木とか挿し木した後代所縁の木が存在してるということか〜。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます