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ところで、旧三井家拝島別邸は昭島市の多摩川の側にあるのですが、なぜにこんな所に三井財閥が別邸を建てたのか?まずそこに引っかかっていたのですが…。
いよいよ案内人さんについて北泉寮の建物の中を見学します。
まずは1階から。
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食堂だった部屋。
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案内人さんは、見学客を集めて説明開始です。それがトップ画像です。ね。見学客多いでしょう?客が多いと同じ部屋に全員は入れないのよ。
案内人「大正12年(1923)、相模湾を震源とした関東大震災が発生しました。三井家も大被害を受けました。三井家11代当主、三井八郎右衛門は大号令をかけます。曰く『地盤が堅い場所を探してこい!』条件に合致したのがここ、拝島でした。八郎右衛門は震災後、千代田区永田町2丁目にあった鍋島侯爵の和館を買い取り移転します」
ちなみに、移転費用は莫大で、一から建てた方が安上がりだったとか。つーか、ぶっちゃけ一から建てるのに比べ倍額かかったんだって!ひえええ~~~!!ですよね。
「拝島周辺は、かつて養蚕がさかんでした。しかし時代が変わり次の産業を模索していた時に三井家がやってきました。結果、昭島市には三井の工場や会社がいくつも出来ました」
やっぱ凄いな三井財閥!
「やがて暗い時代がやってきます。拝島別邸は子ども等の疎開先となりました。北泉寮は校舎となったのです。
三井家が拝島別邸を寄贈。港区赤坂にあった啓明学園が移転し、この地が学校となりました。その後赤坂の校舎が空襲により焼失。終戦後、拝島で授業を再開。
やがて学生も増え、手狭になり日本庭園を潰して新校舎を建設。その頃にはこの北泉寮はぼろぼろになり『おばけ屋敷』と揶揄される程に痛んでました。そこで三井家に「壊していいか?」とお伺いを建てた所、とんでもない!と修覆が始まりました。ちなみに、熱心に修覆に尽力したのは三井英子さんでした。都心の自宅から何度も足を運び指揮をとりました」
う~む。確かかかった費用を聞いたようにも思うんですが、メモを見直しても書いてないの。あれ~?
あ。これは書いとくか。
案内人「先月(10月)、トヨタの名誉会長が見学に訪れました。彼は三井の甥っ子になるんですね。『生きてるうちに見ておきたい』と」
トヨタの名誉会長?誰だろう??
あ。もう一つ抜けてるわ~。
案内人「啓明学園北泉寮の名前の由来は、北が三井北家<三井の総領家>(三井高雄)の北を、泉は住友家(英子夫人の母方の実家)の屋号の泉屋からきています。」
三井財閥と住友財閥が縁戚関係になったのはこの縁組みが始めてだったんだって。へえ~へえ~へえ~。
折上げ格天井の応接室です。
折上げ格天井があるのは、格が高い部屋の印。以前にもいくつか見たような…。
神奈川県庁本庁舎の一般公開(2013年6月25日)の記事 こちらの記事に神奈川県庁舎の大会議場の画像があります。思い出したのがここ。あとは…どこだっけな?川越喜多院の徳川家光公誕生の部屋とか?あそこは写真撮影禁止だったんだよな~。
三井財閥の豪邸2階部分(2011年5月17日)の記事 こちらの記事に武蔵小金井市のたてもの園の中にある三井家本邸2階にある二重折上格天井の画像があります。
ちなみに、この部屋はすんごく豪華。現存してるものをいくつか撮影してみた。
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マントルピース。和館なのに洋館風味なのね。
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布飾りはオリジナルのものだとか。
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こちらはモザイクの床。…モザイクで良かったっけか?木の種類の違いで模様がついています。
や~、説明聞きつつ撮影しつつ立ったままメモしてたんですが…。よ・読めないんですっ!自分の字なのに~~。判別不能~~。その上ね。撮影しつつ耳だけ説明を聞いてた場所を後から確認してたりもしたのですが。なぜって。見学者が多過ぎて応接間に全員は入りきらなかったのだ。
この建物は明治25年(1892)に建てられた和館なのですが、その頃にはまだすごい細工の技を持つ大工や職人が一杯のこっていたのね~。
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この辺りは指物?とみまごう技があちこちに使ってあります。
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こう、どこをとっても素晴らしいんだわ。
「文化財指定出来るかどうか?を見に来た人が、応接室を見て『ここまで現存してる場所はまれ』と評価してくれました」
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「念願の指定が取れた時、学園内で指定プロジェクトにかかわった人で大喜びしました」
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さて、1階はこれにて。2階へ移動です。
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いよいよ案内人さんについて北泉寮の建物の中を見学します。
まずは1階から。
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案内人さんは、見学客を集めて説明開始です。それがトップ画像です。ね。見学客多いでしょう?客が多いと同じ部屋に全員は入れないのよ。
案内人「大正12年(1923)、相模湾を震源とした関東大震災が発生しました。三井家も大被害を受けました。三井家11代当主、三井八郎右衛門は大号令をかけます。曰く『地盤が堅い場所を探してこい!』条件に合致したのがここ、拝島でした。八郎右衛門は震災後、千代田区永田町2丁目にあった鍋島侯爵の和館を買い取り移転します」
ちなみに、移転費用は莫大で、一から建てた方が安上がりだったとか。つーか、ぶっちゃけ一から建てるのに比べ倍額かかったんだって!ひえええ~~~!!ですよね。
「拝島周辺は、かつて養蚕がさかんでした。しかし時代が変わり次の産業を模索していた時に三井家がやってきました。結果、昭島市には三井の工場や会社がいくつも出来ました」
やっぱ凄いな三井財閥!
「やがて暗い時代がやってきます。拝島別邸は子ども等の疎開先となりました。北泉寮は校舎となったのです。
三井家が拝島別邸を寄贈。港区赤坂にあった啓明学園が移転し、この地が学校となりました。その後赤坂の校舎が空襲により焼失。終戦後、拝島で授業を再開。
やがて学生も増え、手狭になり日本庭園を潰して新校舎を建設。その頃にはこの北泉寮はぼろぼろになり『おばけ屋敷』と揶揄される程に痛んでました。そこで三井家に「壊していいか?」とお伺いを建てた所、とんでもない!と修覆が始まりました。ちなみに、熱心に修覆に尽力したのは三井英子さんでした。都心の自宅から何度も足を運び指揮をとりました」
う~む。確かかかった費用を聞いたようにも思うんですが、メモを見直しても書いてないの。あれ~?
あ。これは書いとくか。
案内人「先月(10月)、トヨタの名誉会長が見学に訪れました。彼は三井の甥っ子になるんですね。『生きてるうちに見ておきたい』と」
トヨタの名誉会長?誰だろう??
あ。もう一つ抜けてるわ~。
案内人「啓明学園北泉寮の名前の由来は、北が三井北家<三井の総領家>(三井高雄)の北を、泉は住友家(英子夫人の母方の実家)の屋号の泉屋からきています。」
三井財閥と住友財閥が縁戚関係になったのはこの縁組みが始めてだったんだって。へえ~へえ~へえ~。
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折上げ格天井があるのは、格が高い部屋の印。以前にもいくつか見たような…。
神奈川県庁本庁舎の一般公開(2013年6月25日)の記事 こちらの記事に神奈川県庁舎の大会議場の画像があります。思い出したのがここ。あとは…どこだっけな?川越喜多院の徳川家光公誕生の部屋とか?あそこは写真撮影禁止だったんだよな~。
三井財閥の豪邸2階部分(2011年5月17日)の記事 こちらの記事に武蔵小金井市のたてもの園の中にある三井家本邸2階にある二重折上格天井の画像があります。
ちなみに、この部屋はすんごく豪華。現存してるものをいくつか撮影してみた。
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マントルピース。和館なのに洋館風味なのね。
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布飾りはオリジナルのものだとか。
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や~、説明聞きつつ撮影しつつ立ったままメモしてたんですが…。よ・読めないんですっ!自分の字なのに~~。判別不能~~。その上ね。撮影しつつ耳だけ説明を聞いてた場所を後から確認してたりもしたのですが。なぜって。見学者が多過ぎて応接間に全員は入りきらなかったのだ。
この建物は明治25年(1892)に建てられた和館なのですが、その頃にはまだすごい細工の技を持つ大工や職人が一杯のこっていたのね~。
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この辺りは指物?とみまごう技があちこちに使ってあります。
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こう、どこをとっても素晴らしいんだわ。
「文化財指定出来るかどうか?を見に来た人が、応接室を見て『ここまで現存してる場所はまれ』と評価してくれました」
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さて、1階はこれにて。2階へ移動です。
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