あられの日記

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旧乃木邸と馬房

2011年03月30日 04時30分59秒 | 歴史散歩
乃木大将は馬が好きでした。トップ画像は乃木邸にある馬房です。
敷地内にある立て看板には
「有形文化財 港区指定文化財『旧乃木邸及び馬小屋』
旧乃木邸は、明治35(1902)に新築されたもので、乃木希典夫妻が大正元年(1912)9月13日、明治天皇御大喪の日、明治天皇に従って殉死するまでここに住んでいた。将軍がドイツ留学中に見たフランス軍隊の建物を模範にして建てたというもので、明治期の洋風建築が接客を目的とする豪華な建物が、和風住宅に洋風の応接室を付属させたものが多いのに比べ、この邸宅では、軍人の家らしく、飾り気がなく簡素で合理的に作られている。建坪は168平方メートル。木造平屋建て。日本瓦葺きで傾斜地を巧みに利用し、建物全体に半地下構造をもつ。
馬小屋は、平屋建て。日本瓦葺きで邸宅が邸宅が新築される以前、明治22年(1889)に建てられた。間口約12、5メートル奥行き4、5メートルの細長い建物には、4つに区画された馬房や、馬糧庫等がある。住居が木造であるのに対し、馬小屋がレンガ造りで立派だ。という評判のあったもので、馬をかわいがり大切にした大将の人柄が偲ばれる。 昭和62年10月28日 港区教育委員会」とあります。
/馬用の井戸までありました。

馬房の柱に「壽」号って書いてある…。何やら心あたりが…。もしや?
あ。看板発見。
「愛馬の由来。
正馬壽号はステッセル将軍の愛用したアラビア産の牡馬で明治38年1月5日水師営会見の際に乃木大将に贈らんとしたが、大将はその志を謝し、直ちにこれを受け取ることは軍規の許さない事なので、後日を約してこれを「壽」号と名付けて戦役中乗用し、凱旋後払い下げを受け自分の馬として愛用した。
大将は壽号を明治39年末に種馬として鳥取県赤崎町佐伯友文氏に贈られた。後、大正4年5月同氏より島根県隠岐の島村上寿夫氏に贈られ、海士村渡辺淳三氏方で飼育中大正8年5月27日に絶命した。馬齢23歳でその子馬は20余頭に及んでいる。
副馬「璞」号(あらたまごう)は去勢馬で子馬はなし」とありました。このネタ、水師営でガイドさんがしゃべってましたよ。
ってなことで、ステッセルが送った「壽」号の写真を探してみました。

たぶんこの馬が「壽」号だと思うんだよね。

先頭のが「壽」号だと思う。んでもって乗ってるのが旅順攻略戦でロシアの司令官だったステッセル。上記2枚の写真は去年旅順の旅で購入した「日露戦争」の本から。
/旧乃木邸。
玄関入口左手前立っているのは水師営の棗の樹の孫だそうです。現在水師営にある樹より立派。
水師営会見所(2010年8月5日)の記事水師営は日露戦争における旅順攻略戦の後、乃木将軍とステッセルが会見した所。上の記事に水師営にある棗の写真を掲載してあります。
あちらは何度か枯れては植え直しされてるのでさもあらん…。

旧乃木邸は内部非公開。でも9月12日と13日に限って内観出来ます。
/乃木夫妻自刃の間。
こういうのを見ると、どうにも内部を見たくなるヤジ馬根性でして…。ところで乃木邸は斜面に建っていて半地下構造です。なので正面から見ると平屋建てに見えまずすが、横から見るとこう。

画像中央下に出入り口があります。2階立ての建物に見えるよね。

今週の月曜に予約していたアレルギー科へ行ってきました。
目的は花粉症のお薬。具体的にはもうほとんど空になった目薬と点鼻薬。
先生「いい点鼻薬が出たんですよ。フルナーゼは1日に2回扮霧しないとダメでしたが、1日に1回ですむんです」(すごいでしょう~)
お医者さまにはありがちなセリフです。
私「…安いのってどっちですか?」
先生「ーーー」(呆れてます)
私「1日に1回とかこたわらないんで。朝晩2回でもいいんで。安いのがいいです」
先生「フルナーゼの方が安いと思います」
お医者様にはありがちですが、検査代とかお薬の値段に頓着しない。これはもう別の先生でも経験済みだったので、更に聞いてみた」
私「フルナーゼってジェネリックありませんよね?」
先生「ありますよ」
あるんかいっ!
私「ジェネリックがいいんですけど」
先生「僕の処方はフルナーゼだけど、薬局で聞いてみて」(とっても不機嫌&投げやりだ)
ってな感じ。
ついでに聞いてみた。
私「それはそうと、花粉症の飲み薬のアレグラってあるじゃないですか。あれって降圧剤と一緒に飲むと、1時間もしないうちに気を失う位眠いんですけど」
この2つのお薬を2月末から毎朝毎晩飲み続けてますが、殆ど睡眠導入剤のごとく服用後1時間ほどすると撃沈しちゃいます。朝は外にも数種類の高血圧患者の薬を飲んでて、眠いより苦しいのが先でして、寝込むことはないんですが。夜がイカンです。も。テレビを見てたら気づいたらいつの間にやら番組が変ってたり、知らぬ間に口の中を自分で噛んじゃって痛くて目を覚ましたり…。もう踏んだり蹴ったりなんだすね。
だから先生に訴えてみたのですが…。
先生「降圧剤のことってよくわからない」だってさ。
先生が。しかも私がアレルギー科をそもそも受診したのは、高血圧のお薬と風邪薬の飲み合わせがマズくて街中でブラックアウトして倒れそうになったからだったのにね。んで受診してる脳外科と同じ病院の受付窓口で受診科を相談して紹介された先がアレルギー科だったという経緯があります。
患者はどこで聞けばいいのか?
まあ、杉花粉様はもうすぐ終焉時期を迎えるから、あと少しの我慢だ。
私「もう3月も終るし、ぼちぼちアレルギーのお薬を飲まなくてもいいですよね」
先生「君、ハンノキ類のアレルギーも持ってたよね?」
私「はい。ハンノキ類の方が杉花粉よりレベルが高いんです」
先生「ならまだ飲み続けないとダメだ。ハンノキ類はまだこれから花粉が飛ぶからね。
私「ガ~~~ンっ!!」
ってなやり取りの末、目薬2本と点鼻薬を2本処方されてアレルギー科を後にしました。
なんだかな~。と凹んでしまった…。
思ったんですが、厚生省が目指す医療費の削減つーか圧縮って、患者が云々とか、患者にジェネリック医薬品を選択するのを促すよりも、そもそも医者がジェネリック医薬品を処方するようにしたら効果が上がるの早いと思うのね。患者さんは老齢な人が多いんだし、そんな人にジェネリック医薬品を選べったって無理。しかも老齢な人って控除金額大きくて、自分のお財布から出るお金は少ないからいちいち自分で申告が必要なジェネリック医薬品に変更しないよ。って実は組合とかが控除分の医療代を負担してるんだけど、自分のお財布から出るお金は少ないから老齢な人はおそらく忘れがち。
そのへんどうなんだろ?やっぱ医者、或は病院と製薬会社がウィンウィンだと無理なのかしら??訳わからん。

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