昨日に続き旧島津公爵邸(現清泉女子大学本館)を紹介します。今日は2階です。
トップ画像は2階バルコニーの柱頭飾りです。イオニア式の装飾です。ここで視線と下げると?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/b6/47aa380183a08f1622d904ccaa3a66f1.jpg)
クールなチェッカー柄。素敵でしょ?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/6d/f1c48e80bfda07c23580ec238d9d7be1.jpg)
かつての公爵夫妻寝室(現教室)の窓から撮影してます。現教室。昨日からかつての○○。現●●という書き方をしているのは、この建物は現在も普通に使われていまして、見学ツアーのおじゃました時もかつての公爵夫人居室(現教室)は調度授業で使用されてて入れなかったのだ。残念〜。
2階も各部屋に暖炉がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/1f/c5dbd89ef0d08d9098e6ca12527a4829.jpg)
下の画像奥が階段を上がった所のホールで、手前の空間は廊下になります。バルコニーがあるのが画像の右手。左手には子供部屋があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/72/acc193e442f467dfd2836b6cfb7ea19f.jpg)
上の画像に映る部屋の入口ですが、廊下には3つの入口が並んでたのですが…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/a0/027d3489b548240b3ee29f8e87ba86ae.jpg)
真ん中の入口はなんとダミー!!なんでこんな形なんだろか???
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/5c/a92659e8e40f6970a4cf0a210107399b.jpg)
ちなみに元は2つの子ども部屋だった模様ですが、現在は大会議室となっています。
ここの暖炉はこんな感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/20/eee350a17b3780d551d015a94382fa37.jpg)
明るい青色の訳は、使うお子さんが海が好きだったからってガイドさんが言ってたような…?(すみません。既に4ヶ月も経ってたしまい、記憶が曖昧になってます)ちなみに、暖炉の枠は1階が大理石なのに対して、2階は木枠になってます。
ちなみに、上の画像の窓から見た風景はこちら。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/c8/437a2cb837145a55acf9d32b4aa350ec.jpg)
外壁が白いのは、当時最先端だった白タイル貼りだから。建物のアウトラインを強調するかのように貼られた隅石には灰色の新小松石が使われています。なんと、関東大震災も乗り越えた頑丈な建物です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/7a/a59c5cb76dd0636b946a7b723cc5fd62.jpg)
視線を上げると、煙突があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/b6/c295d6b6a031b4c577b9bfaeb049e8a7.jpg)
おまけ。ドアのノブとカギ穴。
さすがに錆…酸化してるようで。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/5e/53d0e82d2be0943fada815dbcfb320be.jpg)
こちらはかつての子供部屋(さっきのとは別)で、現小会議室です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/c4/1e4208d5980479a221b288c64fa659dc.jpg)
こじんまり。ちなみに1階の同じ位置は、家族の食堂で現学長室になっています。
ん?あの建物は…??
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/ba/1cf017ee0ac0a288f3ae53b0c366d0fe.jpg)
「質問です。先程本館の隣に島津公爵邸時代からの建物が現存してるっておっしゃってたのアレですか?」
ガイドさんに確認。「そうです。現在は事務棟として使用しています」おお〜!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/99/f43bdbe98e1c5c87debaa844f561f3a1.jpg)
ちなみに顔を反対側に振ると、中央ホールのステンドグラスを外から見えました。やっぱりステンドグラスは中から見ると綺麗なのね。
ちなみに、子供部屋の外の廊下にもう一つ小さめの階段がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/ef/30f9932bba1376f5b70e4b711cb81c0e.jpg)
たぶん使用人用の階段なんでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/49/d64f242a9d076c7683814178c2394359.jpg)
あ。これ、さっき子供部屋から見えたステンドグラスね。中央ホールの中から撮影してみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/0a/48b07c1045596bdbae3f9ffd2fe21c80.jpg)
廊下にあったマリア像。
最後に島津公爵邸のその後の歴史を紹介します。
ジョサイア・コンドルに設計を依頼したのが明治39年(1906)。
大正4年(1915)に建物は竣工。
その後黒田清輝の指揮で館内の設備や調度が整えられ、大正6年(1917)に落成した。(ここまでが既に記事で紹介済み)。
大正6年(1917)年5月に大正天皇・皇后が行幸され、この時に寺内首相・松方正義・牧野伸顕・山本権兵衛・東郷平八郎・樺山資紀あどの政府高官、陸海軍の将校の参列し、盛大な園遊会が開催されました。
昭和初期に金融恐慌のあおりで島津家も財政的な打撃を受け、当初約3万坪あった敷地を昭和4年(1929)8千余坪を残し、周辺部を売却した。
その後第二次世界大戦の苛烈化に伴い、大邸宅の維持が困難となり、島津家は袖が崎邸を日本銀行に売却した。公文書の保管庫だった。
船中。戦災を免れた邸宅は、戦後昭和21年(1946)1月にGHQの管理下に入り、駐留軍の将校宿舎として昭和29年(1954)まで使用された。
接収解除後の昭和36年(1961)7月に、清泉女子大学は日本銀行から土地、建物を購入し、昭和37年(1962)4月に横須賀から大学を移転して、今日に至る。
平成24年(2012)、本館が旧島津公爵家袖が崎本邸洋館(清泉女子大学本館)として東京都指定有形文化財に指定され、平成25年(2013)にはBELCA賞を受賞した。以上、いただいたパンフレットより。
旧島津公爵家本邸は、今年で100周年です。
5月7日から9日にかけての3日間、盛大な記念行事が開催されます。各種のイベント参加は事前申込が必要。4月10日まで受付中ですので、見たい!と思った方は、今すぐ清泉女子大学のホームページを閲覧してそれぞれに希望のイベント申込をして下さい。当選者には整理券が届きます。
主なイベント:旧島津公爵邸見学ツアー(10名×10回所要40分)。ライトアップ。山下洋輔フリーLIVE(山下洋輔氏のお祖父さんが、コンドルの孫弟子で、旧島津公爵邸の建築にも関わったご縁です)など
トップ画像は2階バルコニーの柱頭飾りです。イオニア式の装飾です。ここで視線と下げると?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/b6/47aa380183a08f1622d904ccaa3a66f1.jpg)
クールなチェッカー柄。素敵でしょ?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/6d/f1c48e80bfda07c23580ec238d9d7be1.jpg)
かつての公爵夫妻寝室(現教室)の窓から撮影してます。現教室。昨日からかつての○○。現●●という書き方をしているのは、この建物は現在も普通に使われていまして、見学ツアーのおじゃました時もかつての公爵夫人居室(現教室)は調度授業で使用されてて入れなかったのだ。残念〜。
2階も各部屋に暖炉がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/1f/c5dbd89ef0d08d9098e6ca12527a4829.jpg)
下の画像奥が階段を上がった所のホールで、手前の空間は廊下になります。バルコニーがあるのが画像の右手。左手には子供部屋があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/72/acc193e442f467dfd2836b6cfb7ea19f.jpg)
上の画像に映る部屋の入口ですが、廊下には3つの入口が並んでたのですが…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/a0/027d3489b548240b3ee29f8e87ba86ae.jpg)
真ん中の入口はなんとダミー!!なんでこんな形なんだろか???
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/5c/a92659e8e40f6970a4cf0a210107399b.jpg)
ちなみに元は2つの子ども部屋だった模様ですが、現在は大会議室となっています。
ここの暖炉はこんな感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/20/eee350a17b3780d551d015a94382fa37.jpg)
明るい青色の訳は、使うお子さんが海が好きだったからってガイドさんが言ってたような…?(すみません。既に4ヶ月も経ってたしまい、記憶が曖昧になってます)ちなみに、暖炉の枠は1階が大理石なのに対して、2階は木枠になってます。
ちなみに、上の画像の窓から見た風景はこちら。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/c8/437a2cb837145a55acf9d32b4aa350ec.jpg)
外壁が白いのは、当時最先端だった白タイル貼りだから。建物のアウトラインを強調するかのように貼られた隅石には灰色の新小松石が使われています。なんと、関東大震災も乗り越えた頑丈な建物です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/7a/a59c5cb76dd0636b946a7b723cc5fd62.jpg)
視線を上げると、煙突があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/b6/c295d6b6a031b4c577b9bfaeb049e8a7.jpg)
おまけ。ドアのノブとカギ穴。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/cc/8d68a91dfdf399094379f17a6a3d8e94.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/5e/53d0e82d2be0943fada815dbcfb320be.jpg)
こちらはかつての子供部屋(さっきのとは別)で、現小会議室です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/c4/1e4208d5980479a221b288c64fa659dc.jpg)
こじんまり。ちなみに1階の同じ位置は、家族の食堂で現学長室になっています。
ん?あの建物は…??
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/ba/1cf017ee0ac0a288f3ae53b0c366d0fe.jpg)
「質問です。先程本館の隣に島津公爵邸時代からの建物が現存してるっておっしゃってたのアレですか?」
ガイドさんに確認。「そうです。現在は事務棟として使用しています」おお〜!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/99/f43bdbe98e1c5c87debaa844f561f3a1.jpg)
ちなみに顔を反対側に振ると、中央ホールのステンドグラスを外から見えました。やっぱりステンドグラスは中から見ると綺麗なのね。
ちなみに、子供部屋の外の廊下にもう一つ小さめの階段がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/ef/30f9932bba1376f5b70e4b711cb81c0e.jpg)
たぶん使用人用の階段なんでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/49/d64f242a9d076c7683814178c2394359.jpg)
あ。これ、さっき子供部屋から見えたステンドグラスね。中央ホールの中から撮影してみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/0a/48b07c1045596bdbae3f9ffd2fe21c80.jpg)
廊下にあったマリア像。
最後に島津公爵邸のその後の歴史を紹介します。
ジョサイア・コンドルに設計を依頼したのが明治39年(1906)。
大正4年(1915)に建物は竣工。
その後黒田清輝の指揮で館内の設備や調度が整えられ、大正6年(1917)に落成した。(ここまでが既に記事で紹介済み)。
大正6年(1917)年5月に大正天皇・皇后が行幸され、この時に寺内首相・松方正義・牧野伸顕・山本権兵衛・東郷平八郎・樺山資紀あどの政府高官、陸海軍の将校の参列し、盛大な園遊会が開催されました。
昭和初期に金融恐慌のあおりで島津家も財政的な打撃を受け、当初約3万坪あった敷地を昭和4年(1929)8千余坪を残し、周辺部を売却した。
その後第二次世界大戦の苛烈化に伴い、大邸宅の維持が困難となり、島津家は袖が崎邸を日本銀行に売却した。公文書の保管庫だった。
船中。戦災を免れた邸宅は、戦後昭和21年(1946)1月にGHQの管理下に入り、駐留軍の将校宿舎として昭和29年(1954)まで使用された。
接収解除後の昭和36年(1961)7月に、清泉女子大学は日本銀行から土地、建物を購入し、昭和37年(1962)4月に横須賀から大学を移転して、今日に至る。
平成24年(2012)、本館が旧島津公爵家袖が崎本邸洋館(清泉女子大学本館)として東京都指定有形文化財に指定され、平成25年(2013)にはBELCA賞を受賞した。以上、いただいたパンフレットより。
旧島津公爵家本邸は、今年で100周年です。
5月7日から9日にかけての3日間、盛大な記念行事が開催されます。各種のイベント参加は事前申込が必要。4月10日まで受付中ですので、見たい!と思った方は、今すぐ清泉女子大学のホームページを閲覧してそれぞれに希望のイベント申込をして下さい。当選者には整理券が届きます。
主なイベント:旧島津公爵邸見学ツアー(10名×10回所要40分)。ライトアップ。山下洋輔フリーLIVE(山下洋輔氏のお祖父さんが、コンドルの孫弟子で、旧島津公爵邸の建築にも関わったご縁です)など