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あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

亀戸天神へ梅とスカイツリーコラボを見に

2018年03月27日 05時29分21秒 | 梅散歩
2018.2.24訪問。小岩駅入口バス停から都バスで亀戸駅通りバス停へ移動。
都営まるごときっぷを利用するならば、向かいのバス停から「草24系統」で亀戸天神前バス停まで。というのがおススメ。ただし、バスは25分に1本です。タイミングが大事だね。ダンナがバスは時間が不確かだから歩くという。ま、いいか。歩いても亀戸天神までは1キロほどだし。
ってな訳で、亀戸天神に到着したのは11時57分でした。
今日の巨木と梅散歩の計画を立てた時は、ここでお昼ご飯の予定でした。

境内は池と藤と梅が結構な面積を占領してて休憩用に設置してあるベンチの数が予想より少ない。これは〜?ベンチを確保できればなんとか??
まずは参拝です。

参拝のためになぜに東京の人は粛々と行列するのを厭わないのか?私は行列嫌い〜。これ、どれくらいかかりますかね?
ぼやきつつ行列の最後尾へ。

本殿から参道口の鳥居近くまで戻る。訪問は2月24日でしたが、梅は品種によってはほぼ見頃になってます。
亀戸天神の境内の池はそこそこ広い。ので、東側に行くと、野鳥がいた。

これさ、ゴイサギだと思うだけどどうだろうか?田舎のゴイサギと違って、都会のゴイサギはスタイリッシュだなあと思うのは私だけ?なんだか日本画の掛け軸に描かれる野鳥みたい。

で、仮称ゴイサギ君から視線を左へ移動させると?スカイツリーが見えた!
記事を書くために画像を眺めて思ったんだけども。スカイツリーの部分をカットして、水面に映るスカイツリーと梅をコラボして撮影すればよかった。もしくは水面に映るスカイツリーと仮称ゴイサギ君のコラボで画面構成すべきでした。もうね。お腹空いてたからかな?現場で閃かなかったよ、私のアホ〜。

で、訪問の目的の梅とスカイツリーのコラボで撮影してみた。

いい感じに収まる場所の梅がいい感じでない。タイミングが難しいなあ〜。時刻は12時21分。
さてと?亀戸天神の御嶽神社そばの出口から北東へ徒歩移動。1キロほど歩くと文化2の交差点の角に香取神社がある。次の目的地です。

結局亀戸天神は観梅客が多すぎてお昼ご飯を食べられなかったのだ。香取神社さんはほどよい観梅客の数。ちょうど梅まつりもやっていて、境内に緋色の敷物の長ベンチが複数設置中。ラッキー、あそこでお昼ご飯だっ!
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九品仏寺の桜2018.3.26午後

2018年03月26日 19時12分49秒 | 桜散歩
2018.3.25の13:45到着。多摩川の河川敷でユキヤナギロードと白花ダイコンと新幹線を楽しみつつお昼ご飯を食べる。新丸子駅から九品仏駅へ移動。九品仏寺の参道は駅からすぐ。トップ画像が参道入り口です。
九品仏さんには巨木のイチョウとカヤがあるのだ。巨木探訪は後回しにして、桜が思いの外多かったので紹介します。

本堂脇の都指定天然記念物のイチョウも1枚だけ。

本堂に向かって3つお堂が並んでます。

間の空間に桜があります。

巨木のカヤもあります。今は1枚だけ。

まだ満開ではなかったけども、綺麗でした。



本堂に上がって庭を見下ろしたら、枯山水がありました。

奥の山門前にも桜。

秋には真っ赤に紅葉したモミジが左の芽吹いたばかりの木ですかね?
訪問したのは午後2時前後。山門の裏表に桜があります。表にはしだれ桜が2本。それを写そうとしたら完全逆光。しかも山門もシルエットになるものだから、撮影に失敗しました。桜の花いろが出なかったの〜。あ。しだれ桜は見頃前でした。今年はソメイヨシノの方が先に咲いたのね。
午後14時26分、九品仏寺を後に。まだ時間は早かったけど、昨日は朝7時に出発したので、足が疲れちゃったよ。もう動けない〜。ので帰宅しました。早めに出たので混雑とは無縁だったのがよかったです。午後4時には我が家に着いてたからね。
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目黒不動尊の桜2018.3.26現在

2018年03月26日 15時45分52秒 | 桜散歩
昨日午前8時20分に中目黒駅着。目黒川を下流へ桜を眺めつつ散策。目黒新橋で目黒通りを西へ向かい寺院仏閣散歩大鳥神社→海福寺→五百羅漢寺→目黒不動尊(今ここ)。
目黒不動尊は3度目の参拝で既出記事で紹介済みなので、目黒不動尊と桜の画像を紹介します。

午前11時10分到着。



目黒不動尊の鳥居は、上部に三角の山王鳥居ですね。上の画像の赤い欄干の外の桜はソメイヨシノじゃありません。これは豆桜じゃないかな?







上の菜の花の植わってる畑は、前回訪問時にサツマイモ畑がありました。徳川8代暴れん坊な吉宗公の時代、さつまいもで飢饉対策をした青木昆陽ゆかりです。昆陽のお墓も目黒不動尊にあります。

鼓楼。

目黒不動尊の道向かいに山手七福神の一つがあります。江戸で最古の七福神めぐりが山手のものなんだとか?
11時36分不動尊を後に。東急目黒不動駅へ。お昼は多摩川河川敷のユキヤナギロードをみながら食べたいので新丸子駅へ移動しました。

ユキヤナギロードが見頃と、神奈川新聞のWEBで紹介されていたのですが、所在地が〜。ユキヤナギロードってどこやねんっ!調べたらば!川崎市がハーフマラソンを多摩川西岸に作ったとか。で、コース沿いにユキヤナギを植えてそれが綺麗だそうなんでけども、ハーフマラソンということはざっくり20キロもあるのね。んで、コース折り返し設定だとしても10キロだ!北(上流)はどうも二子玉川駅周辺というのは分かった!しかしだね、どこへ見にいけばいいんだ〜〜!!と。で、東急と多摩川が一番近い新丸子駅を目指してきたのだけども。
上の画像は新幹線と東海道線と横須賀線の鉄橋です。

その先を南へちょっと行ったところで河川敷に降りる石段に腰変えてお昼ご飯をいただきました。
ちなみに、手前の白い花は花ダイコンです。

10キロも追いかけられないので、しばらく南へ下っただけで引き返しました。体力が足りない。マラソン好きな人やサイクリング好きな人には二子玉川駅、いや二子新地駅まで多摩川へりを走るのもいいかも〜。

引き返してたら、ちょうど鉄橋のたもとで東からやってきたのは、これ、横須賀線の車両じゃなかろうか?
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目黒川の桜2018.3.26午前現在

2018年03月26日 08時21分21秒 | 桜散歩
昨日朝7時過ぎに出発し、東急中目黒駅8時20分前に到着。去年池尻大橋から中目黒まで歩いたので、今年は突きの中目黒から目黒まで歩きました。
観梅と巨木散歩の連載の途中ですが、桜は咲き具合が肝心なので記事を挟みます。
用意したのは去年の中目黒駅でゲットした目黒川桜まつりのチラシです。昨日は駅に置いてなかったので持参して正解でした。まずはトップ画像たぶんサイカチ橋?だと思う。で、上流を振り返って撮影。この場所ではまだ5部咲きくらいでした。

橋で桜が咲いてる方へ西へ東へ。基本西側が咲いてます。

ここだけ東側の桜が二段構えになってました。

ここはたぶん田楽橋??じゃないかな?いや、中里橋かも?画像奥の中目黒駅から東側(上の画像右)を歩いてたら、向かいに人が集ってたので確認しに画像左(西側)を奥(上流)にむかって引き返す。

頭のすぐ上で咲いてます。

素敵〜っ!!っか、まさかの見頃ってか満開じゃね??これっ!

手すりから水面を見下ろした。実は金曜まで観梅と巨木散歩のブログ記事を書いてて一昨日の土曜はヘロヘロになっちゃったんでおとなしく回復しての昨日。つまりしだれ桜散歩を飛び越してのソメイヨシノ来ちゃいました!早すぎる〜〜。

目黒川をさかのぼってきた2艘のカヌー。

ふれあい橋は左右の川岸の遊歩道から階段を上がって見下ろして撮影できます。画像は下流を撮影してます。

時刻は9時半、どんどん咲いてます。っか、正直に書けば、満開の場所は早くも散り始めちゃってました〜〜。今年の桜は見頃が短いかもしれんっ。
ので、観梅と巨木散歩の連載の途中ですが、引き続き桜散歩の記事を挟みます。
ってか、まさか3月26日に桜散歩になると思わなかったので、毎日服用してる薬がなくなってしまいました。
今朝は朝ごはん抜きで病院経由の薬局行き。午前いっぱいかかっちゃったよ〜。せっかくの腹ペコだったので、相模原公園のせせらぎ地区でお花見お昼ご飯に自転車を走らせてきました。素敵に桜が咲いていた。続けて紹介します。
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面積日本一、善養寺の影向の松

2018年03月26日 06時23分49秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2018.2.24参拝。葛飾八幡宮の樹齢1200年超えの千本公孫樹を見物してからJR総武線本八幡宮へ。二駅で小岩駅。駅構内に栃錦の像があった。駅前広場を見てなぜに都バスの本数がわずかなのか納得。バスは京成バスがほとんどだったのだ。や〜、そういうことか〜。東京都内だから都バスじゃないんや〜。
駅からは昭和の名残のある下町の商店街を抜ける。千葉街道と柴又街道が交わる交差点を過ぎたら東へ。江戸川の西岸の土手下に善養寺はある。駅から徒歩約20分ほど。初訪問なので、度々地図を確認。いや〜、下町の道って判りにくいのなんの。道は細いし、まっすぐじゃないし〜〜。確認回数が少なかったらば、駅から10分ちょいでいけるかも?
地図では南の参道から境内に入るともりだったけども、西にも不動門があった。寺社仏閣は出来るだけ正門から参道を抜けて境内へ。というのが素敵なんですが、目の前に近道があるんだからもういいわ。
で、不動門へ。

門の奥に立派な木が見える。もしやせんでもあれが目的の影向の松なんじゃ〜?

正解だった!もうびっくりじゃ足りん。魂消ました!いや〜、巨樹・巨木の本に「松としては日本一の面積えを誇る」と書かれてあるのを読んで、また話盛りすぎ〜。大げさだよな〜。とか思ってゴメンなさい。これさ、クロマツなの。普通のマツ。いわゆるマツ。それがどうやってこの形になったのか?どうやって樹齢600年なのか??あ。説明板発見!
善養寺影向のマツ 国指定天然記念物平成23年9月21日指定 江戸川区登録天然記念物 昭和56年1月13日
影向(ようごう)のマツは、推定樹齢600年余り、主幹の樹高は8メートル、根元付近の樹周約4、5メートルのクロマツです。地上2メートルの位置で四方に枝が伸び、東西方向約31メートル、南北方向約28メートルにおよび、警官の秀麗さとあわせて日本屈指の威容を誇ります。
大町桂月「東京遊行記」(明治39)に「一大老松の横にひろがる者あり。凡そ10間四方に及ぶ。支柱は百を以って数うべし。(中略)東京付近、松の奇観はこの寺に尽きたり」とあります。鏑木清方「新江東図説」(昭和12)には「珍しいのは亭々として雲を凌ぐ星降りの松にも増して、その傍に巨大な傘をさしかけたような影向の松の方であろう」と書かれています。
昭和56年。四国の岡野松と日本一を競い、当時の大相撲立行司木村庄之助氏によって東西の横綱に聞き分けられました。その後、樹勢に衰えがみられましたが、平成14年度から平成23年度夏までの樹勢回復事業により回復に向かっています」とありました。
確か、巨樹・巨木の本のどこかに四国の岡野松はすでに枯死したかなんかで現存してないって書いてあった気がする。ならもうこの善養寺の影向の松が日本一になってるんじゃなかろうか?
境内見取図
説明板発見:善養寺
善養寺は真言宗豊山派で星住山地蔵院と号します。室町時代の大永7年 (1527)山城(京都)醍醐山の頼澄法印が霊夢のお告げによって小岩の地を訪れ、堂宇を建立したのがはじまりと伝えられています。しかし、永正6年(1509)の柴屋軒宗長「東路のつと」に当寺の記事があることから、寺の草創は寺伝よりもさかのぼるものと考えられます。慶安元年(1648)徳川家から寺領10石の御朱印を受けた名刹で、現在の本尊地蔵菩薩は江戸時代の作です。境内に不動堂があり「小岩不動尊」とも呼ばれています。

上の画像は小岩不動尊です。画像上部に一部写り込んでるのは影向の松の枝。で、不動尊の奥のガラスにも影向の松がうっすらと写り込んでいます。
こうね。いい感じに大きさのわかる感じに撮影できないものか?

何度もぼやいてますが、撮影しても大きさがわかる画像にはなかなかなりません。
多くの支柱で枝を支えてるので、影向の松の枝ぶりを写せないか?と座って見上げて撮影。

境内のキワに展望台みたいなのがあったので、登ってみた。展望台は横綱山と名前がある。善養寺の檀家だった大相撲三役格行司の木村宗四郎にまつわるもの。弟子の三役格行司の二代目式守伊三郎が法事で寺を訪れ、宗四郎の軍配を貴乃花対龍虎の一番で使ったとか。横綱山は境内で開催された子供相撲の時の土俵の土で築いたとか。影向の松を撮影するのにぴったりかも?と登ってみた。松を上からの構図で撮影できました。

中央に突き出てるのが影向の松の中央部。でもって、枝は横に広がってます。ちょうどお参りだかお掃除に来てるのか?おばさんがいたのでハイライト代わりになってもらった。大きさが分かる?日本一の松なんだよ。
ちなみに本堂(弘化2年再建の木造銅葺き)には珍しい感じのものがあった。
 
おびんづる様ってどこかで聞いたことがある。WIKIで調べたところ、びんずるはビンドーラ・バーダドヴァージャ)のことで、お釈迦様の弟子の一人。名前がビンドーラ。姓はバーラドヴァージャ。名前の意味は不動、利根といい、16羅漢の第一。日本ではこの像を堂の前に置き、撫でると除病の功徳があるとされ、なで仏の風習が広がった。この像をおびんづるさん(*上方では神仏も観音さんえべっさんなどとさん付けで呼ばれる)とありました。
さてと?次は亀戸天神なんだけども、小岩駅へ戻るのはなあ〜。都営まるごときっぷを使いたいので、とりあえず小岩入口バス停を目指す。現時刻は午前10時49分。頑張れば21分発のバスに乗れるかも?それを逃すと30分待ちだから結構賭けかも?でも挑戦してみる。
そんなこんなで到着したバス停ですが、到着時刻を確かめる間もなく、乗車予定の錦27系統がやってきた!あれ??思わずバスの前面についてる行き先と系統番号を見直して、更に運転手さんに「このバス亀戸駅前通りに行きますか?」と尋ねてしまいました。「行きます」と運転手さんの返答あり。いそいそと乗り込む。車内で時計を確認。どうやら前のバスが遅れてた模様。日曜日ですから、バスは道の混み具合とか乗客の数で予定通りには来ないこともある。でもラッキーです。
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葛飾八幡宮・樹齢1200年千本公孫樹

2018年03月25日 05時41分54秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
今日から2018年2月24日の都営まるごときっぷで行く巨樹・巨木と観梅散歩を紹介します。
1月に巨樹・巨木の本を図書館から3冊借り調べましたらば、とても見に行きたくなったものの、巨樹・巨木だけを見に行くのはもったいない。ならば!と季節柄観梅をセットで。更にはお得に。ってな事で、まずは都営地下鉄&都営バス乗り放題の都営まるごときっぷで行ける巨木を地図片手に調べましたらば、なんと!!葛飾八幡宮は都営新宿線の終点の「本八幡」駅から徒歩5分の位置にあったんですよ。ってな事で、葛飾八幡宮には午前9時41分に到着しました。
葛飾八幡宮の大きさに一驚きしつつもまずは参拝。
説明板発見:葛飾八幡宮
寛平年間(889-898)宇多天皇の勅願によって勧請された社で古来より、武神として崇敬されてきました。(旧社格は県社)。
治承4年(1180)源頼朝は安房国から下総国府へ入ると、自ら参詣して源氏の武運を祈願し、建久年間(1190-1199)には千葉常胤に命じて社殿を修復させたと言われています。
また、文明11年(1479)太田道灌は白井城の千葉孝胤を攻めるため、国府台に築城の際、関東の安泰を願って参拝し、社殿の修理を行いました。
さらに天正19年(1591)には、徳川家康が社領として朱印52石を寄進しています。
明治維新の神仏分離令の時までは、当宮境内には上野東叡山寛永寺の末寺が、別当寺として存在していました。現存する鐘楼は往時を物語る貴重な遺物です。また山門は仁王像が行徳の徳願寺の山門に移されて、その後に左右両大臣が置かれ隋神門と呼ばれるようになりました。この隋神門は市指定有形文化財です。
本殿の東側にそびえる「千本公孫樹」は、天然記念物として国の指定を受け、また、寛政5年(1793)に発掘された元亨元年(1321)在銘の梵鐘は県指定有形文化財であり、梵鐘の銘文からも当宮創建の古さがうかがえます。(後略)」
ってな事で、早速訪問の目的の巨木のもとへ。先日も記述しましたが、巨木は大きいから探すの楽でいいなあ〜。

これが千本公孫樹です。本で見た写真も冬の写真で、この木の密集する枝が凄かったんだよね。いい感じの構図を探す。

どうです?巨樹の迫力を感じれますか?

木の周辺に囲いがあって、木の大きさを対比出来る画像が撮りづらい。
あ!離れればいいのか?

うう。まるでミニチュアの建物を置いてあるみたいです。ダンナにあそこに立ってもらえばよかったわ〜。
説明板発見:国指定天然記念物 千本公孫樹 昭和6年2月20日指定
多数の樹幹が寄り集まって、まるで根元から1本の大樹がのびているように見えるところから、千本公孫樹の名で呼ばれてきました。推定樹齢は1200年を超えると言われています。
樹高23メートル、根回り10、2メートル、目通り(人間の目の高さ)10、8メートルで、根回りより目通りの方が太くなっているのも特徴の一つです。かつて落雷にあい上部が折れて、その後枝幹が支え合うように伸び、今のような樹形になったと言い伝えられています。
『江戸名所図会』には「この樹のうつろの中に小蛇栖めり、毎年8月15日祭礼の時、音楽を奏す。その時数万の小蛇枝上に顕れ出づ。衆人これを見て奇なりとす」とあり、このほかにも古くは「下総国旧事考」「下総名勝図絵」「葛飾記下巻」「葛飾誌略」「金ケさく紀行」などにも記載され、近代では高浜虚子や伊藤左千夫がこの地を訪れ、千本公孫樹を描写しています。
古来千本公孫樹には白蛇が棲むと言われ、その姿を見たものは幸福を授かり、長寿になるとの言い伝えがあります。また、乳の出ない婦人が公孫樹の「気根」と呼ばれる乳房の形に似た瘤を削り、煎じて飲むと、乳の出が良くなるという言い伝えから、育児守護の進行があります。(現在は国指定天然記念物につき、樹の保護の為削り事はできません)
ぽか〜んと見上げしばらく。思い出したように動き出す私たち。これはぜひとも葉っぱを茂らせている時に再訪したい。都営ワンデーパス購入した時の次いでに立ち寄れるしな。
さて、気をとりなおし境内チェックです。まずはいつもの絵馬はこちら。

絵馬にも千本公孫樹。

そして狛犬。古い八幡さまなので、狛犬は複数ありました。中で気に入ったのが上のやつ。ポーズが珍しいでしょ?おすわりしてないんだよね。

境内の歴史物。まずは画面左下の石は何? 答え:源頼朝公駒止めの石
説明板発見:源頼朝公は、治承4年(1180)以仁王より平氏追討の令旨を受けて挙兵したが、一敗地にまみれ、安房国に逃れた。
再起を図った頼朝公は千葉氏等の援軍を得て、下総国府(現在の国府台)に参会したおり、当宮を参拝し戦勝と武運長久を祈願した。そのおり、頼朝公の馬がこの石に前足を掛け、蹄の跡を残したことから「駒どめの石」といわれる」
上の画像の右奥の鐘楼の梵鐘は何? 答え:県指定有形文化財 梵鐘(元亨元年在銘) 昭和34年4月24日指定
この梵鐘は寛政5年(1793)正月19日、境内のケヤキの大樹が暴風で倒された際、その株根から出土したものと伝えられています。
総高117.2cm、口径66.7cm、鐘の下部にあたる池の間の上下に型次の跡があり、鐘身が三段に鋳上げられ、それに笠型の部分と竜頭が組み合わされて鋳造されたものです。(中略)
元亨元年(1321)12月17日、右衛門尉丸子真吉によって寄進されたもので、この銘文は当時八幡宮の別当職にあった、法印智円が書いたものと思われます。元亨元年は後醍醐天皇の治世で、特に正中の変 (1324)元弘の乱 (1331)と時代の激変する時にあたります。(後略)

説明板発見:神楽殿大絵馬
正面に架けられている絵馬は、幕末に奉納されたもので、当神社の御祭神である神功皇后(むかって右から二人目)の「新羅出兵」を描いたものです。
なお、中央には皇后の臣下である竹内宿禰が描かれ、また皇后の胎内には当神社の主祭神である応神天皇(八幡さま)が宿られていると神話(古事記・日本書紀)は伝えています」

随神門。市指定有形文化財(昭和35年10月7日指定)随神門は木造で、正面柱間3間、奥行き柱間2間の八脚門と呼ばれる構造形式をもち、丹塗りで桁行10.36メートル、梁行4.45メートルあります。(後略)
実は訪問時に八幡宮の脇の参道から境内に入りました。だから正面参道から出たかったんです。この八幡様の境内はとても広い。

八幡宮を出たら間の前に踏み切りがった。これは京成電鉄の線路です。どうせならば、手前に車両、奥に八幡様という構図で撮影できるかも?としばらく待機。ところがですね、時間がかかりすぎて携帯電話の画面がブラックアウト!しまった〜〜!!慌てて再度撮影画面まで戻ってると、電車がやってきちゃいました!最後の最後、行き過ぎる寸前で撮影できたけども。やり直ししたい!再訪する時に挑戦したいです。
さて、次の目的地は日本一の面積を誇る影向の松がある善養寺さんへ。
ここさ〜、都営まるごときっぷを利用して移動するならば、都営地下鉄新宿線船堀駅へ。都バス錦27-2で小岩駅入口バス停で下車が一番安いのだけども、JR総武線本八幡駅を利用すれば2駅で小岩駅なんですよ。JRならば数分なんです。あと、どうにも不安なのが都バスの運行数の少なさです。なぜにこないに都バスの本数が少ないのか??ってなわけで、JR総武線の1択です。だって、この日の散策予定はこのあと、善養寺の影向の松→亀戸天神で観梅とスカイスリーのコラボ画像ゲット→香取神社で観梅→向島百花園で観梅→隅田公園で観梅とスカイスリーのコラボ画像ゲットと盛りだくさんなんですよね。時は金なりなんじゃ!
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湯島天神へ観梅

2018年03月24日 05時27分34秒 | 梅散歩
2018.2.20参拝。
神田明神の裏にある公園を午後2時13分に出発して、ゆっくり歩いて湯島天神の鳥居前に午後2時24分に到着した。
そういえば、この表鳥居は東京都の文化財だったよな?

見上げると鳥居に掲げてある額には梅模様。笠木にも梅模様。

見下ろすと柱の下に動物の彫刻が。
この鳥居は銅製で、寛文7年(1667)8月頃に寄進されたもの。鋳造された鳥居としては時代も古く優秀なものだとか。大きさは柱の下から上端についた台輪までの長さが3、88メートル。笠木上端の長さが6、81メートルだとか。まずは参拝〜。むむ〜ん。お参りする人の行列が長い。何でかしら?
答えは境内に流れるアナウンスで判明「志望校に合格したお礼参りの方にはだるまの絵馬を授与しています」
ほうほうほう。もうそんな時期なのですね。見回すと、境内には重量の限界まで吊り下げられた絵馬があちこちに。

こんな感じ。そういや湯島天神さんの今年の干支の絵馬の柄って?

柴犬だった。かわええ〜。
さてと?湯島天神といえば梅の名所です。

訪問は2月20日でした。今年の梅は咲くのが遅かったので、2月20日は見頃始めといった風情です。

猿回しの猿がポーズしてた。

お手軽な観梅を楽しめるので、観梅客は多かったです。
ちなみに私の一押しポイントはこちら。

女坂を見下ろすポイントです。しかしまだ早かったですね。それとここは東側にあるので、午前中でないと日陰になっちゃってます。
湯島天神の梅(2012.3.14)の記事 こちらの記事は2012年3月13日、午前11時頃に訪問した折りのもので、女坂の梅の階段が見頃でした。見頃の画像も掲載してます。

諦め悪く、女坂を降りて咲き始めの白梅越しに撮影。境内の梅は観梅客が多いけど、咲き始めの女坂はほとんど人がいなかったよ。時刻は14時44分。人に疲れた。千代田線湯島駅から代々木上原経由で帰宅しました。
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神田明神で何かの神事を見た

2018年03月23日 05時39分57秒 | 神社・仏閣
2018.2.20参拝。湯島聖堂のカイノキを鑑賞後、道向こうの神田明神の境内に見頃の梅があるかも?と期待しての参拝です。

まず最初に参拝。
それから目的の見頃の梅を探す。

あったけども。こう、いい感じで写せるポイントがない。梅のそばの木が邪魔です〜。本殿と梅のコラボ撮影を諦めて、なんとかいい感じにまとめてみたのが上の画像。狛犬とピンクのしだれ梅です。

最初に参拝と言ったけども、この日は非常に目立つ集団がいました。
どうも、何かを待ってるようなので、何を待ってるのか気になります。で、私も待つ事に。その間境内を散策。

いつもの絵馬チェック。絵馬は神社仏閣訪問したら大概チェックします。毎回します。なぜならば、干支絵馬は毎年絵柄が変わるから。
神田明神の絵馬は個性ありますね。やっぱりアキバがすぐそばだからでしょうか?

神田明神限定チョコなんかもあるのね。でも後々思えば、今年ブレイクした神田明神のIT守りを買うべきだったかも?訪問後すぐにMacBook壊れちゃったもんね。
神田明神限定チョコの隣は、御朱印帳です。これ、他の神社仏閣へ持参して御朱印いただけるんだろうか?私、御朱印帳には手を出してません。自分がマニア気味なのはわかってるから、手を出したらあちこちで御朱印を集め出しそうで。いくらかかるか?と思うとな。御祭神と絵馬と社印チェックで満足せねばならんのじゃ。
あ〜ん?

これはラブライブじゃないね?うさぎ??

神田明神には次なるアニメファンも聖地チェックに訪れてるかも?

さて?法被姿のおじさん達が見つめる先。神主や巫女さん姿の人も待ってます。

で、パレードが始まった。しかも演奏付き。

境内を出る行列は、すぐに戻ってきた。

よくわからん。何の神事だろうか?魚関係の団体っぽいんだけども?
飽きた(コラ)
実は神田明神の裏に古民家があるらしい。最近気づいたのでチェックに行く。

何だろか?中に雛壇が飾ってある。でも人がいない。入っていいのかな?わからなかったので、外から眺めるだけに。
さて?と。ここから湯島天神へ行く最短の道は??
古民家は小さな公園の一角にある。湯島天神は神田明神の西の道を北へ。となると?公園の先〜?んん?

この公園にも謎の胸像がある。
説明板発見:千代田区指定有形文化財(歴史資料) 三谷長三郎胸像 平成14年4月指定
この胸像は、背面や台座部分などにみられる銘文によれば、昭和7年(1932)に逝去した三谷長三郎氏の3回忌にあたる昭和9年(1934)12月25日に故三谷長三郎翁胸像建設会により三谷翁の功績を讃えるために建てられ、彫刻家北村西望氏に胸像製作を依頼し、昭和9年6月に作品は完成しています。
三谷長三郎は神田在住の実業家です。明治2年(1869)2月1日に神田塗師町に生まれ、幼名は銀二郎といいます。三谷家は、紀伊国屋の屋号を持ち、万治3年(1660)の創業以来銅・真鍮を商っていた商家です。長三郎は、明治19年(1886)に10代目を襲名してから大いに経営手腕を発揮し、財をなしたといわれています。
三谷氏は、財団法人三谷報恩会を結成して、神田区の学校教育のために多大な貢献をしています。例えば、列車を仕立てて毎年、春には鎌倉由比ガ浜へ遠足を。夏には箱根で林間学校を開催するほか、神田区内の学校に映写機、ピアノなどを寄贈しています。今川小学校には市内で初めてとなるプールを建設しました。また、進学有料児童には奨学金を贈っています。
像の作成者である北村西望は、長崎の平和祈念像の作者として有名です。
この胸像は当初は隣接する神田神社の裏側、東北隅にあった大銀杏のそばにありましたが、神社境内の整備のため、昭和36年(1961)に現在の宮本公園へ移設されています。」
去年、井の頭公園にある彫刻館で北村西望の彫刻群を鑑賞しました。だから、説明板に北村西望作とあったので、撮影してみました。時刻は14時13分。法被の団体が何を待ってたのか確認したからさ〜。時間がかかっちゃったよ。
次は湯島天神の梅を見に行きます。
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巨木探訪・湯島聖堂のカイノキ

2018年03月22日 05時38分47秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2018.2.20訪問。東京ドームで世界らん展→本郷弓町のクス→湯島聖堂のカイノキ(今ここ)。
東京メトロ丸ノ内線御茶ノ水駅下車。神田川に架けられた聖橋の下をくぐって湯島聖堂へ。

坂道です。かつての昌平坂かも?今は相生坂と呼ばれているらしい。ってか、湯島聖堂がかつての昌平坂学問所な訳で。元は江戸時代、林羅山が儒学の私塾を開いたのが起源です。ここに孔子廟を設けて維持運営したのが橙の林家。その後1690年(元禄3)、将軍徳川綱吉が神田湯島に孔子廟を移築。この際講堂・学寮を整備。
で、トップ画像が現在の湯島聖堂の入り口です。門の奥にぼんやり写ってるのが訪問の目的のカイノキです。

巨樹・巨木の本には湯島聖堂のカイノキ
樹高:14メートル
幹回り:2、2メートル
樹種:カイノキ
推定樹齢:80年
とあります。
カイノキの下に説明板が設置してあります。
楷(かい)樹の由来
学名:とねりばはぜのき(うるし科)
楷は曲阜にある孔子の墓所に植えられている名水で初め子貢が植えたと伝えられ、今日まで植えつがれてきている。枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったといわれている。
わが国に渡来したのは大正4年。林学博士の白澤保美氏が曲阜から種子を持ち帰り、東京目黒の農高務省林業試験場で苗に仕立てたのが最初である。これらの苗は当聖廟をはじめ儒学に関係深い所に領ち植えられた。その後も数氏が持ち帰って苗を作ったが性来雌雄異株であるうえ、花が咲くまでに30年くらいもかかるため、わが国で種子を得ることはできなかったが、幸いにして数年前から2・3箇所で結実を見るに至ったので、今後は次第に孫苗が増えていくと思われる。
中国ではほとんど全土に生育し、黄連木黄連茶そのほかの別名も多く、秋の紅葉が美しいという台湾では爛心木と呼ばれている。牧野富太郎博士はこれに孔子木と命名された。
孔子と楷の木とは離すことができないものとなっているが、特に当廟にあるものは曲阜の樹の正子に当る聖木であることをここに記して世に伝える。 昭和44年 矢野一郎」

カイノキの傍には、孔子像がありました。

訪問したのは2月20日、カイノキは落葉樹。去年の12月3日に皇居乾通り通り抜けに参加した後、岩崎邸庭園のイチョウの大木を見物し、最寄りの千代田線湯島駅から新御茶ノ水へ移動。丸ノ内線御茶ノ水駅へ乗り換える時に神田川の聖橋の上から、湯島聖堂のカイノキの紅葉を遠望してました。

上の画像中央奥に赤く色づいているのがカイノキです。
巨木探訪は落葉樹の場合、葉がある時に見に行くか?落葉した後冬の枝を見に行くか?悩みどころです。真っ赤に紅葉してるところも素敵ですよね〜。

せっかくなので、湯島聖堂の聖堂を見に行くことに。

元の建物は大正11年(1922)に国の史跡に指定されましたが、翌12年(1923)の関東大震災で焼失。1935年に伊東忠太設計で大林組が施工。寛政時代の建物を模し、鉄筋コンクリート造りで再建されました。現在の建物です。
建物は坂上にあり、石段でつないでいます。
坂下に見頃の白梅がありました。

ちなみに、巨樹・巨木の本には「カイノキを湯島聖堂に5本植えた」とあります。なら他の4本はどれかしら?と見回したら、石段の上にそれらしき木を見つけました。

どうだろか?ちょっと見、樹齢80年の古木に見えないんだよね〜?しかも冬だから葉っぱで判断もできない。まあ、これなんじゃないかな?と。
ちなみに、聖堂手前の門の外に水甕が設置してありまして。

甕には徳川の三つ葉葵が燦然とありました。
時刻は13時45分。次の目的地は湯島天神の梅です。疲れずに移動するには、東京メトロ千代田線新御茶ノ水から湯島駅を利用すべきなんですが、湯島聖堂の近くには神田明神があるんだよね。神田明神の建物と梅の画像が欲しい。行ってみないと、梅があるかどうかはわからんのだけども。ってな事で徒歩移動です。

湯島聖堂へ(2012.1.5)の記事 こちらの記事に聖堂の大成殿の扉が開いてる画像があります。合わせて湯島聖堂の絵馬の画像も掲載。
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巨木探訪・本郷弓町のクス

2018年03月21日 06時31分57秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
訪問は2018年2月20日、東京ドームで世界らん展を鑑賞した後、東京メトロ丸ノ内線で最寄りの後楽園から一駅、本郷三丁目駅へ。地下鉄で駅一つなら徒歩移動してもいいんだけど、後楽園から本郷三丁目の間は上り坂があるんです。
春日通りを西へ。細い路地を入る。両側にはビル。その環境に巨木はありました。嘘みたいです。

両側に巨木より高いビルがあると、日当たりが悪いと思うけども。巨木の生命力なんだろか?凄いなあ。

文京区のプレートがありました。
1月に巨樹・巨木の本を3冊調べたところこの木も紹介されていて、そこには。
本郷弓町のクス
樹高:20メートル
幹回り:8、4メートル
樹種:クスノキ(クスノキ科)
推定樹齢:600年

文京区本郷3丁目の交差点から後楽園方面へしばらく歩いた左側の区画に「楠亭の大クス」とか、「弓町の大クス」と呼ばれる大きなクスノキがある。残念ながら現在は西側にマンションが建ってしまったが、それでも元気に葉っぱを茂らせていた。
マンションのあるところは楠木正成の血をひくと伝えられる旗本甲斐庄吉右衛門の屋敷跡で、以前は広い庭のある洋館が建っていて、楠亭というフランス料理店があった。現在、楠亭は西側マンション1階に入っている。
この辺りは江戸城の鬼門にあたり、御弓組与力同心の屋敷があったため、御弓町と呼ばれ、1972年(明治5)には町名は本郷弓町となった。現在は弓町の名は消え、わずかにビルの名に残っている。
明治時代に書かれた「東京名所図会」には「弓町1丁目8番地の前を過ぎるものは、何人も其の門内に註連を結びし老楠木あるを見るべし。一丈余りの上より3幹に分かれ、根株の大きさは3圍あり」とある。また、1991年にここを訪れた司馬遼太郎は『街道を行く』の中で、「甲斐庄吉右衛門の屋敷跡に、いまも一樹で森を思わせるほどのクスノキがそびえている」と書いている。」以上、本の紹介文です。
巨木は見応えがあります。せっかくなので、紹介文にある「一丈余りの上より3幹に分かれ」の部分を撮影。

こっちは根株部分。木肌がうねってます。
更に大きさがわかるポイントを樹の周りを囲って探し見上げて撮影。

ここを訪れたい方へ目印を紹介。本郷教会です。弓町の大クスはこのすぐ側です。樹はね、その大きさゆえに近くまで来ると探すのが楽ですね。

さて、せっかくなので春日通りでなく南の通りから地下鉄へ戻ろうと思う。
振り返る。マンションの6階?いや7階部分まで木が達してますね。

大クスが異様。いや威容。でも由来を知る人がいなくなる頃には、なぜ都会のポツンと巨木が立ってるの?と七不思議になってもおかしくないなあ。

マンションが途切れた先にも古い煉瓦塀の建物と大きな木が残っていた。こっちは由来を示すプレートがないですね。文京区の保護樹林にはなっている。
気づいたのですが、巨木を眺めてるの私だけで、一人訪問なので木の大きさがわかる感じに写せないの。ダンナか友人がいたら木の下に立ってもらいハイライト代わりにできたのに〜〜(オイっ)。
丸ノ内線本郷3丁目駅から一駅。御茶ノ水駅へ移動します。巨木の本で御茶ノ水駅最寄りの湯島聖堂に、巨木のカイノキが紹介されてたのだ。その木は以前見たけども、その時は主眼が湯島聖堂の建物だったので木を覚えていない。改めての訪問です。
 
昨日、中身が新しくなったMacBookでブログ用の画像を送信して、記事を6本書きました。
で、気づいたんだけども。おとといは以前とマイナーチェンジしちゃった写真ソフトをぼやいてたのだけども。記事を書く時に一番困るのって辞書機能が初期化されてたことでした。
もうね。日本の年号をキーボードでローマ字入力して変換するんだけども、文字が出てこない〜〜!!うを〜〜〜!!漢和辞典はどこだっ!今連載してるブログ記事は、説明板を書き出してる箇所もそこそこ分量があります。で、旧字体とか、例えば「旧」の字も「舊」とかだとこれ何て読むんだっけ?え?音読みは?訓読みは?旧字を使った単語で頻出しそうなのはどれだ??みたいに、つまづく!調べる!画数を数える!とっても時間がかかる!
というふうに、普通に使っていた辞書機能が実はとても大事だったようで。昨日は記事を書きながら何度奇声をあげてテーブルをバンバンしたか〜。
今窓の外は雪が舞ってます。これがなごり雪か?桜田門外の変とかもこんな天候だったのか?気分は黄昏。ンなことはどうでもいい。天候が悪いのでせっかくの休日ですが、今日も1日ブログ記事を書くつもり。予約記事がたまるといいなあ〜。
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世界らん展2018

2018年03月20日 06時16分32秒 | 展覧会&観光施設&能楽
時は2018年2月20日の朝、ダンナが突然「今日は7時に出るから」と。普段より出るのが1時間も早い。ならば、久々にらん展が見たい!といそいそと手早く準備してリッュクをかついで出発です。
最寄りの小田急相模原駅で、往復の小田急と東京メトロが1日乗り放題の切符を購入。後楽園で降りたらあんまり客が多くなくてびびる。理由はすぐにわかった。到着したのってまだ10時前だったんです。(開場は9時半)入場列もなくスルスル入れた。客の少ない時間からみて回れたので撮影枚数も多くなりました。
3時間も滞在していたので、たっぷり画像紹介したいところですが、修理して中味が丸ごと新しくなったMacBookでの初投稿です。テストは昨日の記事で済みですが、まずは試しに記事を書いてみたいので、画像を絞ります。

今回のテーマは『楽園・南国・熱帯』です。沖縄美ら海水族館から熱帯魚とらんのカラーコラボになってます。

オーキッドロード。



これ、前日BSプレミアムの番組で紹介され、ぜひとも実物をみたいと思った生花のらんの壁です。

白い胡蝶蘭の花びらに印刷した作品。これも見たかったんです。

でもって、今年の日本大賞。

画像ではサイズがわかりませんが、とても大きな作品です。凄い〜。どうやってこの花数をつけさすんだろうか?
会場には物販コーナーもあります。

お菓子の包み紙が今年の日本大賞仕様です。素早い〜。受賞が決まってから印刷するんですよね?徹夜して包装したんだろうか?期間中が勝負だからね。頑張るしかないけどさ。

もちろんらんの鉢も販売してます。ここぞと珍しいらんを購入してる方も。私ももうちょっと育てる技術があったらば購入してたと思うけども。技術がないのでパスしました。
会場はコーナーであれこれ展示されてます。

らんアート。

こちらも。

これも。
胡蝶蘭だけのディスプレイ。
見事な胡蝶蘭が競うように見頃を揃えてあって素敵です。私の中ではこの作品がディスプレイ部門の1番でした。

こちらは毎年あるコーナーで、大使館の大使婦人のテーブル・ディスプレイです。画像はカタールのもの。
会場は時間が経つ程にどんどん観覧客が増えていき、とても暑かったです。脱ぎ着出来る服装で来ないとダメだったんや〜。久々のらん展で忘れてました。
東京ドームの観覧席が休憩場。休憩を兼ねて早めのお昼ゴハンをいただきました。
昼食の後、会場をもう一回り。今回は一人で訪問してるので、らんと私の写真がない。ので、会場のあちこちにある記念撮影スポットで係りの人にシャッターをお願いしました。せっかくなので、記念撮影コーナーで額付きの写真を購入しちゃいました。

最後に開場全景を撮影してらん展を後に。時刻は早くも午後1時前。購入した切符は東京メトロ1日乗り放題です。丸ノ内線の後楽園駅から一駅。本郷3丁目駅へ。ここさ、歩こうか?と思ったら高低差があったんだ〜。坂の上まで地下鉄移動です。

5月のCOMITIA合わせの漫画の絵コンテを作ってて、先に巨樹・巨木と観梅散歩をまとめないと絵コンテにしづらいと気付きました。明日から順に連載します。(桜散歩今年は出来んかもしれん。それもこれも早々と咲き出した桜が〜〜。どないしてくれようか?。あ間違えた。どないしようか?)


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NewMacBookで画像送信テストと近況報告

2018年03月19日 09時38分34秒 | 雑記
長らく更新放置しててごめんなさい。
2月に再び工場修理になった私のMacBookは結局ロジックボード交換になってしまいました。中身のデーターは全て消えてしまいました。それだけならばまだしも、なんかあれこれソフトも変わってしまいました。もしかしてインストールし直したOSが壊れる前と違ってたのかも?理由はよく分からないけども。
ブログに投稿する画像をガラケーで撮影してMacに読み込み、写真ソフトで投稿してたのですが、この写真ソフトがなぜかマイナーチェンジしてました。困るのは画像サイズです。壊れる前のMscのソフトは画像サイズを大・中・小と3つから選択できてました。さらに画像の品質を低・普通・高品質から3だったと記憶してるのですが、その選択画面が消失してます。なのでまず復活ブログ投稿する前にテストさせて下さい。
検証データーその1:2月にMacが壊れる前に写真ソフトで読み込み、画像解像度中品質&中サイズで送信してあったもの。

アップロード日:2018:2.20
容量:111.675バイト
画像サイズ;長辺640(推奨)
検証データーその2:ロジックボード交換後、MacOS10 10.5をMacの工場でインストールされてあった写真ソフトで書き出し画像フォルダにそのまま送信したもの。

アップロード日:2018.3.19
容量:198.517バイト
画像サイズ:長辺640(推奨)
同じ画像なのに容量が倍あるのはなぜなのか〜?でもブログ画面のサイズは同じですね。これは画像サイズ:長辺640(推奨)を選択したからかも?
ならば、写真ソフトで書き出しした画像を送信前にフレビュー画面で縮小してからgooの画像フォルダに送信するとどうなるのか>
検証データーその3:写真ソフトで書き出し、プレビュー機能で画像サイズを幅72.25センチを40センチに変更する。(元は1.2MBあった画像容量を576KBに変更)その画像をgooの画像フォルダに送信する。

アップロード日:2018.3.19
容量217.322バイト
画像サイズ:長辺640(推奨)
あれ?縮小したはずが容量が大きくなってるのはなぜなのか?
何はへんですね。調べないと画像データーをgooのフォルダに送信できないなあ〜。

追加検証データーその4:データーその2、写真フォルダの画像を書き出したものをプレビューで縮小作業をせずに送信する。ただし画像フォルダのサイズを画像サイズ:480にして送信する。

アップロード日;2018.3.19午後
容量121.645バイトこれで壊れる前のMacと容量はほぼ同じかも?
画像サイズ:長辺480
これならいちいちプレビューで縮小作業をせずに済むなあ。明日の記事はテストでこのサイズで記事作成してみます。

インターネットもお気に入り登録が全部消えてしまいまして。再登録せねばなりません。覚えてるwebならなんとか再現できると思うけども。まずはパスワードとかIDなんか探す所からです。
写真データーも全部消えたので、Macが壊れた直後にぼやいてた横須賀米軍基地歴史ツアー参加の模様も記事を書くのを諦めました。いや、古いSDカードには画像が残ってるんだけどね。面倒い〜。

ってな現状です。
後は1ヶ月ブログを放置してる間に、私のフェイバリットな自転車が廃車になり買い替えました。
長々と使ってた自転車でした。ペダルが余りに重すぎてぼちぼち買い替えを考えていたのですが、近所のスーパーの駐車場から一般道に出るためのちょっとした段差を自転車に乗ったまま降りた時にパン!と軽い音がしまして。見たら普通のパンクじゃなくて後輪のタイヤが避けてました。パンクは何度も経験してますけども、タイヤが避けたのはあんまりない。いや、1度真夏に前後輪同時にパンクして自転車屋さんに持ってったらパンク修理じゃなくてタイヤ同時交換になった事あったんですがね。今年の冬の寒さと雪にやられたかな?パンクもしてないのに買い替えするのは〜??と迷ってたらば、引導渡された感じです。新しい自転車は27から26に一回り小さいタイヤのものです。現在住んでる場所は、東西に斜面があって、大きな車輪の自転車は小さいタイヤの方が楽かも?と思ったのですが、万事に小さめで調整しながら試してます。先週は右手にあるベルの位置を変えてもらいました。私の手が大きいのでマニュアルだとベルが手前にありすぎたんです。
やる事多すぎて、修理して戻って来たMacBookを2週間も放置してしまいました。
既に5月のコミティア合わせの漫画も取り掛からないともう間に合わないタイミングです。原稿描きに入るとネット接続もしなくなるので、以前のようにブログを更新を頻繁にできるまでもうしばらくかかる模様です。
なにしろ私のスペックが低すぎて万事時間がかかってます。気長にお待ち下さい。
ネタはいっぱいあるんだよ。
2月17日に小田原城の巨木と小田原フラワーガーデン周辺観梅と総世寺の巨木カヤ散策
2月20日に東京ドームで世界らん展見物と本郷弓町のクスと湯島聖堂のカイノキ・湯島天満宮の観梅。
2月24日に葛飾八幡宮の千本公孫樹と善養寺の影向の松と亀戸天神&香取神社&向島百花園で観梅。
3月3日に池上梅園と大倉山梅林と田園調布の巨木秋葉のクロマツ。
3月11日に湯河原の幕山公園へ観梅と城願寺のビャクシンと五所神社の大楠。

とですね。たっぷりと画像撮影してありますし。1月に巨樹・巨木の本を図書館
で借りてきて調べたものを現地にゆきついでに観梅三昧したのです。
あ。5月のコミティアの新刊は「巨樹・巨木探訪のついでに観梅を」を漫画で描くつもり。ネタは満載なんですが、時間が足りない〜。1日が50時間くらいあればいいのに。もしくは私が3人に増えないものだろか?
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