おはようございます。四万十は、晴れ。
白みがかった青空の下を、ゆっくりゆっくり流れる川は、
ウグイス、シジュウカラ、カジカガエルの恋歌に満ちています。春ですなぁ。
ふぁぁ・・・アクビも空にとけてゆく。
「春の川 ひねもすのらり くらりかな」。今日の最低気温は、13、6度(5月上旬並み)。
今朝の沈下橋。
午後もよく晴れて、気温がグングン上がり、2日続けて夏日に。
春を通りこして初夏のような陽気に、
Tシャツも脱いで、冬の間に白くなってしまった肌を陽にさらす。あ~E気持ち。
そして、お隣さん(イチゴ農家)にいただいたこだわりのイチゴをほうばれば、お口のなかにも春がキター。
モノゴトは、その人がもつモノサシによって、まったくちがった見方になるコトも。
おなじ空の下、おなじ四万十川を見て、ある人はキレイだといい、ある人はキタナイという。
それは今朝、沈下橋の上でのデキゴト。
橋の上で、僕は近所のおばあさんと立ちバナシをしていた。
「ひさしぶりねぇ。ずっと姿を見なかったけど?」とおばあさん
「はい。冬の間はよそにデカセギにいっているコトが多くて。今年もつい先週帰ってきました」と僕。
朝の散歩時(正確にいうとチャリ散策だけど)、ちょくちょくすれ違うおばあさんとは、
アイサツくらいは交わしてたけどけど、ちゃんと話すのは、はじめて。
「それにしても川が汚ないねぇ。あたしが子供のころとは大違いだ。
18までここで育ったわたしは、よくこの川で遊んだりしたものよ。
その後、他所へ嫁いでいき、10数年前に帰ってきたの。それからも、どんどん川が悪くなっていくようだねぇ。
帰ってきてから、川をキレイにする活動もしてたけど、しょせんはよそもの扱いだから・・・」
「うーん。昔より川が汚れて水量も少なくなったとは、よく聞くハナシですが・・・」
おばあさんと僕が橋のまんなかで、そんなハナシをしていると、
「イヤッ!ウソッ!マジ!キレー!!」×2 と背中ごしに嬌声が聞こえてきた。
ええっ?とおどろいた僕がふりむくと、
都会っぽい恰好のギャル2名と男子1名が、こちらに(橋の中央に)歩いてきた。観光客か。
川を見ながら、おしゃべりをしてた彼女たちは、しばらくするとまた橋のムコウに戻っていった。
おばあさんもさったあと、僕はヒトリぼんやりと川をながめながら考えていた。
うーむ・・・まさか、おなじ時、おなじ川を見て、正反対の感想を聞けたことは、
—ガイドの僕にたいする―何かの啓示なのだろうか?と。
(ブルース・ブラザースが神の啓示をうけて、バンドを思いついたときのように)
そして、そんなわきゃないか・・・と思った。
でも、ガイドのモノサシについて、あらためて考えるきっかけにはなった。
モノゴトを正しく見るためには、客観的で正確なデーター、
自分のモノサシ 他人のモノサシ、社会のモノサシなど、いろいろな要素が必要です。
ガイドのモノサシは、ゲストの皆さんが、川と川の自然を、より深く正しく知るためにあるのです。
ぜひ、ご利用を。
「本当の旅の発見は、新しい風景を見ることではなく、新しい目を持つことにある」マルセル・プルースト
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