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ロベルト・デュランを彩った人々(7)「エステバン・デ・ヘスス」

2014年09月28日 | ボクシング
コーナーマンならともかく、ボクサーがボクサーを「彩った」なんて
言うのは失礼か。
とくに・デ・ヘススは立派に元WBC世界ライト級の世界王者に就いたし、
防衛も果たした選手なんですからねぇ。

しかし、ロベルト・デュランの全盛期最大のライバルとして立ちふさがった彼は
石の拳を語る時には欠かせない選手なんですよね。



プエルトリコ生まれで素質に恵まれたボクサー、ヘスス。
身長は公称164cm。その身体をスムーズに使い、相手にドンピシャのパンチを
打ち込む姿が頭に浮かびます。

世界3階級王者ウィルフレド・ベニテスのジムメイトであり、ベニテスの父親=
グレゴリオにトレーニングを受けた。
※グレゴリオってジェームズ・ブラウンに似たオヤジだったよね?



1972年にヤングチャンピオン=ロベルト・デュランにノンタイトルで10R判定勝ち。
その時点で34戦をこなし、1敗しかしていなかった。

その1敗も現役のWBA世界Fe級王者アントニオ・ゴメス(ベネズエラ)に喫したもの。
※10R判定負け

下から伸び上がるように振る左フックでデュランがキャンバスに落ちたシーンは
衝撃的で、天才ヘススの生涯ベスト・ショットとも言えるパンチでありました。

そのパンチは、1974年3月16日デュランの地元パナマで行われたWBAライト級タイトル
マッチでも初回にカウンターでヒット。
またしても王者デュランをマットに這わせた。



フラシュノックダウンではない正真正銘のダウンだけに会場は騒然としたが
初戦から2年、これが4度目の防衛戦となるデュランは、揉み合ったり打ち返したりして
危機を回避した。

初戦は試合直前にデュランが交通事故を起こして負傷。
マジソンの試合という事でキャンセルしなかったが、ベスト・コンディションでは
無かったとして、再戦は準備万端で挑んだというが。

確かに再戦のデュランは荒々しく攻めながらも要所で凄まじボディブローをヒットさせ
揉み合いでもヘススは消耗させられていく。

「天才型」デ・ヘススと「練習嫌い」のデュランの対戦だが、そんなのが信じられない
激闘が続く。
※さすがに、この試合ではデュランも「練習嫌い」を返上したんでしょうな

この試合の直前試合では元WBAジュニア・ウェルター級王者のアルフォンソ・フレーザー
(パナマ)を5Rで倒し、これまた準備万端で臨んだデ・ヘススだったが
次第に消耗し、余裕も無くしていく。
左レバーから右を頭部に喰らってダウンしたデ・ヘススは、ついに11RでTKO負けを
喫したのでした。



一度勝ってるという余裕が知らず知らずの内に油断に繋がったのか。
この試合はデ・ヘススの「体力負け」の印象も受けたモノです。

個人的に、デュランvsデヘスス第2戦は70年代最高の中南米ライバル対決だと思います。
舞台もパナマで、会場の雰囲気も最高。
米国のショーアップされた会場と違い「戦いだけ」が そこにある雰囲気。

まぁ、最後はデ・ヘススの嫌倒れだったんですけどね。