あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

アニメ「ハイキュー!!」3期はじまる

2016年10月10日 | アニメ・特撮
アニメ「ハイキュー!!3期」が10月7日深夜から始まった。

1シーズンまるまる「烏野高校 VS 白鳥沢学園高校」。
今期は10話。1試合で10話。

今期初回、タップリ時間をかけて試合までの流れを描いて
くれてました。

ある意味、原作で見た名シーン連発。



女子も次々と登場。
烏野の女子バレー部メンバーも応援に。

「うわ!この展開はズルイ!」「甘酸っぺー!」と
私をトキめかせた道宮さんから大地への御守り手渡し。
※頬を赤くした結ちゃんが「相手の目をまともに見れない」
 様は本当にカワイイです。



観客の多さに刺激された田中センパイとノヤっさんは、
「ここで活躍すれば女子にチヤホヤされる!」とか
「潔子さんにも『がんばれ』って言ってもらえる!」
~とか、妄想たっぷりに盛り上がる。



※しかし、
 眼鏡のクールビューティー・潔子さんは横をスタスタと
 通り過ぎるのでした。



客席にも田中の姉・冴子姐さんの姿あり。
変装してきたツッキー兄を不審者として引っ張ってくる
勇猛さを見せてくれました。



※「来るな」と言われても見に来てしまう弟思いの兄よ・・・
 そして相変わらずナイスバディな姐さんよ・・・。



谷地ちゃんも客席へ移動。
変わらず可愛く健気に小動物っぽく烏野チームを見守って
くれています。
※CVの諸星すみれちゃん、声が大人っぽくなった?
 10代だけに声帯も成長してるんだろうなぁ。



コート上の日向を見て「なに、あの小さい子。かわいそう」
なんて事をオシャベリする白鳥沢の女子も居ましたね。

※直後に影山との変人速攻で客席を驚かせる日向が
 カッコいい。



場内アナウンスもJK棒読みを再現しててイイな。
※ただし、元の萌声は隠せませんが・・・

そして、いよいよ選手入場。
一人一人を丁寧に追っているのが素晴らしい。

ボクシングの世界戦に例えれば、入場から国歌斉唱、
コミッショナー宣言、両選手のコール、レフェリーの
注意までを端折らずに放送してくれるようなものだ。



丁寧と言えば作画も動きも細やか。
応援の手も動いてるし、その辺は驚くほど。

あまり丁寧すぎても「ハイキュー!!」の持ち味の荒々しさが
失われるのだが、試合が始まって牛島の左スパイクの描写に
その荒々しさ、良い意味での雑さが表現されてて感じ入った。

牛若が翔陽たちに立ちふさがる感ありあり。
・・・そこでエンディング。

これは、来週以降も楽しみだ!

アーロン・プライアー氏(ボクシング元世界Jウェルター級王者)、死去

2016年10月10日 | ボクシング
健康を害しているとは聞いてたが、遂に荒鷲プライアー氏までが
亡くなってしまった。

ボクシング元スーパーライト級で80年代を席巻し、殿堂入りも
果たしている名ボクサー、アーロン・プライヤー。
同氏は心臓病を患い、長い闘病生活を続けていたが、10月9日に
この世を去ったとの事。
享年60。
まだまだ若いし、殿堂行事にも顔を出して晴れがましく振る舞って
欲しかっただけに、本当に残念です。



晩年は敬虔なクリスチャンとして人を導く立場となり、またプロ
入りした息子の試合でセコンドを務める事もあったプライヤー氏。

妻のフランキーさんは「みなさんには『荒鷲(The Hawk)』として
知られるアーロンですが、私たち家族にとっては、愛すべき夫であり、
父、祖父、兄弟、おじ、友人でした」と声明を発表した。

日本のファンには1982年に地元で亀田昭雄の挑戦を受け、第1R挑戦者の
左ストレートでデングリ返しダウンを喫するも直ぐに立ち上がって戦闘
意思を見せ、あっという間に逆襲したシーンが御馴染みだろう。
結果は6回TKO勝ちだった(5度目の防衛に成功)。

※引退後のプライヤーと亀田を追ったドキュメント「神様のリング」は
 印象深い一冊で御座いました。
http://blog.goo.ne.jp/aru-rodgers/e/d7cecfb0b069899ab722c32f27714d47#comment-list



アマチュアでスタートしオリンピックのメダルこそ取れなかった若き
プライヤーだが、ゴールデン・グローブの優勝などの実績はあった。
1976年には、ライト級(60kg)で出場、後にプロで5階級制覇を達成する
トーマス・ハーンズを決勝で大差の判定勝ち。
しかし、同年のモントリオールオリンピックの選考試合ではハワード・
デービスに2度敗れて本選進出ならず。
204勝16敗の戦績でプロへ転向したが、五輪メダリストの後塵を拝する
事になった。

それでもライト級で連勝を重ねたプライヤーは1980年、1階級上の王者
アントニオ・セルバンテス(コロンビア)に4RKO勝ちし、無敗でWBAの
世界Jウェルター級王座を獲得。
防衛戦でも連続KOで圧勝を続けた。この頃の動物的な強さは全盛のR・
デュランと比較される程で、相手を追うあまりにバランスを崩す事も
あったが、それも数少ない欠点にすぎなかった。

キャリアのハイライトは3階級制覇のアレクシス・アルゲリョから王座を
守った2度のタイトルマッチだろう。
なかでも最初の対戦は史上初の4階級制覇が掛かったボクシング史に残る
試合だった。
ラッシュからボックスに切り替え、動きが鈍ったアルゲリョを翻弄する
姿はテクニシャンそのもので、ビーストとも言われた荒々しさだけでは
ないプライヤー・ボクシングの奥深さを感じさせられた。

※ただし、異様なタフネスとスタミナを見せた王者には薬物使用の疑惑が
 向けられたものだ。

1983年の再戦で10回KOし、またしてもアルゲリョから勝利を収めた王者は
この試合後に引退を表明。
バーンアウトの兆候ありつつも1年と経たず現役復帰。

しかし、この頃から網膜剥離に罹患しており、さらに薬物使用も発覚。
王座をはく奪された。

1987年再び現役に復帰したものの、7回TKO負け。
1990年に今度こそ引退する事になった。

プロ戦績は39勝1敗35KO。

稼いだ金も失い、薬物や暴行による収監などのスキャンダルもあった
プライヤーだが、家族の支えがあった事は救いだったろう。

アーロン・プライヤー氏の安らかな眠りを祈ります。