備 忘 録"

 何年か前の新聞記事 070110 など

軍事超大国の戦争

2007-05-15 23:08:28 | 評論
‘06/08/28の朝刊記事から


             米社会学者 イマニュエル・ウォーラーステイン

軍事超大国の戦争
地位揺るがす長期化


米国は今日、世界最大の軍事大国であり、イスラエルは今日、中東地域で最大の軍事大国だ。
軍事的に優位にある国はしばしば、政治的にうまく運ばない物事を軍事的に解決しようという誘惑に駆られる。

米国は2003年、イラクに対して、イスラエルは今年、レバノンに対して、それぞれ軍事力を行使した。
いずれの場合も、政府は素早く勝利できると計算して、開戦の決定を下した。

世界や地域における軍事超大国は通常、こうした武力衝突に速やかに勝利する。だからこそ、われわれはそうした国を軍事超大国と呼ぶ。

しかし、勝利には敵対二国間の軍事力の差が圧倒的であることが必要だ。
そうでない場合、開戦決定は最悪の結果を生み出しかねない。
理由は五つある。

第一に、もし弱い方の国が事態の進行を遅らせたり、泥沼化させるに足る武力を持っていれば、武力衝突は軍事超大国が持つと想定された強大な軍事力に限界があったということを世界にさらす結果となる。
世界の他の国々は、軍事超大国の軍事力が圧倒的とは言えないということを知ってしまい、そのことによって自分たちの政治的な動きを決めるようになる。

失われる大義

第二に、戦争が長引けば、それは必ず厄介な戦争となる。
軍事超大国は道義的に問題のあるような軍事行動にも出るが、戦争が短ければ、そうした問題点は速やかに忘れ去られる。
しかし戦争が長引けば、道義的な問題点は次第に両当事国のみならず、世界にとっての共通認識となる。

軍事超大国は、何であれ、その主張する大義、それによって世界世論の信用を集めていた大義を失い始める。
それまで大なり小なり軍事大国に寄り添っていた国々が、ゆっくりと、しかし着実に距離を取るようになり、時には政治的あるいは道義的な怒りの声を上げ始める。

三つ目の理由は次の通りだ。
軍事大国の国内世論は通常、政府の開戦決定を圧倒的に支持する。
この支持は愛国的熱狂と政府への強い精神的支援という形を取る。
こうした国内世論の支持は、戦争が彼らの目から見て正しいのみならず、速やかな勝利が可能であり、従って自分たちの痛みが少ない、という確信を基礎としている。

戦争が長引くと、国内には二つのグループが出現する。
一つのグループは、政府が全力を尽くしておらず、無能だと考える。
彼らは軍事攻勢を強めるよう求め、それが何らかの理由で不可能だということになれば、戦争から完全に手を引くべきだと主張するようになる。

もう一つのグループは戦争に対して道徳的な疑いを抱き、政府が無能だからというのではなく、戦争ガ道徳的に間違っているという理由で、撤退を要求し始める。

撤退への内圧

こうした二つの政府批判派は正反対のことを言っており、互いに対立しているが、内側から政府に政策変更を求める強い圧力となる。

軍事超大国はこうして、軍を撤退させれば、それはもちろん敗北であり、たとえ撤退させなくても、結局は敗北するという八方ふさがりの状況に陥る。
そこでは通常、現状維持が選択され、その結果として屈辱が拡大する。

第四に、こうした状況が長引けば長引くほど、軍事大国の側の人命にとっても、経済にとっても、事態は高くつくことになる。
それが高くつけばつくほど、国民の政府支持は低下する。
軍事超大国がこうむる被害は経済基盤の破壊という形を取ることは少ないにせよ、甚大なものとなる。

そして最後に、五番目の理由はこうだ。
当初考えられていたよりも軍事的な優位が小さいことが暴露され、戦争の大義が失われ、国内の支持が低下し、コストが増大する-軍事超大国の側で起きる、こうした事態の総決算として、世界システムの中での軍事超大国の政治的地位が低下する。
その低下は時には急激なものとなる。

これら五つの論点から導き出される政治的な結論は、軍事超大国はこうした否定的な事態に陥る前に、自らの軍事的優位が本当に圧倒的なものなのかどうかをしっかり見極めるべきだ、ということだ。



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