’08/05/18の朝刊記事から
在日米兵犯罪 裁判権放棄を密約
1953年 米公文書で判明
日本に駐留する米兵らの事件をめぐり、日米両国政府が1953年に「重要な案件以外、日本側は裁判権を放棄する」との密約に合意し、日本側がその後約5年間に起きた事件の97%の第一次裁判権を放棄していたことが、17日までに機密解除された複数の米側文書で分かった。
岸首相、公表は拒否
後になって米側は密約の内容を公にするよう求めたが、当時の岸信介首相は「外部に漏れたら恥ずべき事態になる」と国内での反発を恐れ、応じなかったとされる。
米兵らの犯罪については公務外などの場合、日米地位協定に基づき一次裁判権は日本側とされ、日本政府は現在も「裁判権の放棄はない」としているが、沖縄県などで相次ぐ事件は不起訴となるなどして日本の公判廷で裁かれないケースも多く、事実上の裁判権放棄が慣例化している。
一連の米側公文書は58年から66年にかけて作成され、米国立公文書館で見つかった。
このうち58年10月2日のダレス国務長官の在日米大使館あて秘密公電などによると、「日米安全保障条約改定に応じるに際し、日本側から裁判権放棄について意思表示を取り付けるべきだ」と秘密合意を公的にするよう提案した。
これを受け、2日後にマッカーサー大使が岸首相と会談。
大使は「53年の秘密議事録を明らかにせずに慣行として日本は裁判権を放棄してきたし将来も同様だと表明してほしい」と要請したが首相は応じなかった。
また57年6月に国務省が作成した文書によると、53年以降、日本が一次裁判権を持つ約1万3千件の事件のうち97%の裁判権を放棄。
実際に裁判が行われたのは約400件だけだった。
同月の別の文書には、日本の裁判が実施されたケースについて「米側の軍法会議で裁くより、刑罰が軽くなっている」との記述もあった。
秘密合意は安保改定後も引き継がれ60年代、日本と同等の条件を求める韓国や台湾との地位協定交渉に際し、米側は日本の裁判権放棄の実態に言及しようとしたが日本側が拒否したという。
妥協の産物に問題点 本間浩駿河台大名誉教授(國際法)の話
刑事裁判権の放棄に関する秘密合意の存在が公文書により証明されたのは初めてではないか。
裁判権は主権行使の核心で、被駐留国と米国のぶつかり合いの結果として結ばれた地位協定は「形式的」平等を保障しているにすぎない。
政治的妥協の産物といえる日米地位協定に依然多くの問題があることを一連の文書は示している。
米軍関係者の裁判権
日米地位協定は、日米安保条約に基づき米軍とその構成員の地位や基地の管理、運用を規定。
このうち17条は米軍関係者の裁判権について、公務中や米国の資産に対する犯罪については米国が、それ以外は日本が第一次裁判権を持つと定めている。
米国が日本に裁判権放棄を求めた場合には、日本は「好意的配慮」を払うことも明記している。
地位協定の「建前」露呈
<解説>刑事裁判権をめぐる密約の存在を示す一連の米公文書は、沖縄女子中学生暴行や神奈川県横須賀市のタクシー運転手刺殺など米兵関連事件が相次ぎ、地位協定見直しを求める要請が強まる中、「他国より有利」と見直しを拒否している日米両国政府の主張に疑問を投げかけるものだ。
国外に派遣されている軍人の裁判権に関し、ドイツは北大西洋条約機構(NATO)軍地位補足協定で「自国に重要な案件を除いて」裁判権を放棄すると規定。
米韓行政協定にも裁判権自動放棄条項があり、地位協定の規定上、日本はこうした国と比較し裁判権を確保しているように見える。
しかし、一連の公文書は日本が秘密合意に沿って第一次裁判権をほぼ「自動的」に放棄していた実態を示しており、建前と実態は乖離していた。
64年の文書によると、国務省は「日本では秘密合意をよく知らない人が、軽微な事件なのに裁判権を行使する傾向がある」と指摘し、裁判権放棄を求め続けている。
ドイツや韓国は米国に対し、対等な立場を求めて裁判権放棄条項の改定を要請してきたが、日本は「裁判権を放棄しない」との建前を維持し一度も地位協定の改定を求めたことはない。
政府が主張する「運用改善」で十分なのかどうかを見極めるためにも、運用実態の解明が求められる。