鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

弘道館

2014-04-02 | 城郭【日本100名城】

2 0 1 4 年 3 月 2 9 日 ( 土 )

午 前 9 時 5 6 分

水 戸 市 三 の 丸

国 指 定 特 別 史 跡 ・ 弘 道 館



水戸駅から、ふたたび水戸城旧三の丸へ。
水戸城の登城のため後回しにした弘道館に入ります。



なんとこの日は入場料が無料。
なんでも、弘道館の修復が完了したということで特別公開をしていました。
なんという嬉しい誤算でしょう。

弘道館の敷地内に入る前に、まずは弘道館正門【国指定重要文化財】です。



天保12年(1841年)に弘道館が創立されて当時のものが現在まで残っています。
普段は閉ざされたままで、藩主の来館や儀式を行うときにのみ開門しました。
通常の来館者は脇にある通用門(現在の入場門)から入りました。



「三つ葉葵」の御紋もしっかりあります。
そしてところどころにある穴は、水戸における戊辰戦争・弘道館の戦いによる弾痕です。


敷地内に入ると、梅が多く植わっています。



梅は「好文」とも呼ばれ、学問を象徴する花なのだとか。


この日は快晴で、梅の開花が見られる最後の休日と思われ、観光客が多いように思えます。
あとはやはり入場料無料のチカラなのでしょうか。



弘道館は、しっかり予習をして来なければタダの武家屋敷&梅林に過ぎません。
弘道館創立に係る経緯、歴史上の意義がわかっていてこそ訪れる価値があるのではないかと思うのです。
この後訪れる偕楽園もそうですが、水戸の観光地は学習してきた観光客のみを受け入れる、客を選ぶ観光地ともいえるのではないでしょうか。
それゆえに水戸の魅力が理解されないのであって、それは水戸が悪いのではなく、観光客の学習が足りないだけではないのでしょうか。

かくいう私も、弘道館の歴史については多少かじってきましたが、現況についてはあまり調べてきませんでした。
水戸を訪れた日がもう少し早かったら、弘道館は工事中で入れなかったのです。

事前の確認は欠かせませんね(^_^;)



では弘道館を眺めていきましょうか。



弘道館正庁【国指定重要文化財】と、その右側は資料展示室になっています。
観光客の出入口は、2棟をつなぐ廊下の部分になります。





正庁玄関です。
身分の高い武家屋敷に用いられる舞良戸が左右にあります。



その舞良戸にも、弘道館の戦いの弾痕が残っています。



「弘道館」の扁額も注意してみないと読みにくいです。

正庁玄関前には2本の木が植わっています。



ひとつは徳川斉昭公御手植の黒松・・・の3代目のマツ。



もうひとつは左近桜で、こちらは2代目。
徳川斉昭の夫人登美宮が水戸徳川家に降嫁されるにあたり、仁孝天皇が鉢植えの桜を下賜され、それを弘道館に植えたのだといいます。
長い年月を経て初代の桜は枯れてしまいましたが、昭和38年の弘道館修復工事が完了したのを記念して、もとの桜の子孫にあたる苗を宮内庁から譲られ、これを植えたそうです。



弘道館正庁を眺めます。



南側に回りました。



正庁の南面には「游於藝」の扁額があります。
儒教の四書『論語』の一節「志於道 拠於徳 依於仁 游於芸(道を志し、徳を拠り、仁に依りて、芸に遊ぶべし)」から取ったものです。
この「藝(芸)」とは教養という意味で、学問、作法、武芸なども含まれました。

その言葉のとおり、弘道館は学問だけでなく武芸も重要とされ「文武両道」を目指す藩校でした。



「游於藝」の扁額のあたりには武芸の鍛錬の場であった対試場がありました。
武芸の試験が行われ、藩主もその様子を見ていたのだとか。


近くにあった「烈公梅」の名木。





梅もそろそろ終わりですねぇ。



弘道館の外観を見たのちは、玄関脇の入口から靴を脱いで中に入ります。



◆参考文献
『弘道館』 http://www.koen.pref.ibaraki.jp/park/kodokan01.html
『心の免疫力~書とことばから』「游於藝(芸に遊ぶ)」(沙於里 様) http://blog.goo.ne.jp/a1019/e/bd01df253588f460541845be5e8f8b92