鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

松代城・終章~真田邸にて

2019-02-06 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 8 年 8 月 1 9 日 ( 日 )

午 後 3 時 1 6 分

長 野 県 長 野 市

真 田 邸



松代城の100名城スタンプが置いてある、真田邸【国指定史跡】の表門前。



せっかくここまで来たので、真田邸の中に入ることとしました。


文久2年(1862年)薩摩藩国父・島津久光によって推進された文久の改革により参勤交代の制度が緩和され、藩主の妻子が国元に帰ることが許されました。
松代藩9代藩主・真田幸教(ゆきのり)は、松代に入った義母・貞松院のため、元治元年(1864年)新たな御殿を松代城の南側に建てることとしました。
貞松院はその年の10月に新御殿に移り住みますが、翌年に参勤交代が旧に復すると、また江戸に戻ることとなりました。

その後新御殿は、藩主の座を退いた幸教の隠居所として用いられました。
明治以降は、真田家の別邸として使われていましたが、昭和41年(1966年)に松代町(現在は長野市)に譲られました。

昭和56年(1981年)4月、松代城の「(つけたり)」として、国の史跡指定を受けました。



入場料は、大人200円。
ちなみに、真田邸と文武学校との共通券は300円で、100円割引。
さらに、真田邸、文武学校と真田宝物館との共通券は500円で、こちらは200円も割引となります。

しかしながら、私が松代にいられる時間はあまりなさそうなので、今回は真田邸のみに入ることとし、200円を支払いました。



いざ、参らん!



「真田六文銭」の垂れ幕が掲げられている玄関
扉は格式高い舞良戸です。
玄関は訪問客や主人の見送り、出迎えの場所として利用され、普段はあまり用いられなかったようです。



通常の出入りに用いられたのは、玄関の脇にある勝手口
ですが現在は玄関がメインゲートとなっているようで、観光客も玄関から靴を脱いで上がることになります。


御殿建築の中は、大きく2つのゾーンに分かれています。
ひとつは、「公」



玄関から入ってまず目に入るのが、御役所の間です。
御殿お付きの藩士が事務を行う、公的な空間でした。
内装も、ふすまに模様が描かれてはいますがいたって質素。



「真田伊豆守 信之」の書が展示されています。
大河ドラマ「真田丸」において実際に使われた小道具だそうです。
作中では、父の真田昌幸、弟の真田信繁(幸村)に比べ、真田信幸(信之)は決して無能ではないんですが平凡。
だが温厚な人柄で、「乱世よりも泰平の世で活躍する」という描かれ方をしていますね。
信幸役の大泉洋先生が、水曜どうでしょうでもないのにボヤいているシーンが多くておもしろかったです。



手前が御次の間
読んで字のごとく、次に入る人が控えている部屋です。

その先は書院



藩主が執務を行う部屋です。
壁紙に紋様が入ったり、違い棚上のふすまに松が描かれたりと、他の部屋よりは華やかな造りになっています。
それでも公的な間なので、装飾は控えめな感じです。



回廊に現れる杉戸
御殿は4ヶ所の杉戸により、公的な空間と私的な空間とが仕切られているのです。

これより、御殿の私的空間へ。




こういう小さな庭が、案外好きだったりします。




まずは御寝所
藩主の寝室であり、床の間などの意匠はありません。
壁紙やふすまの模様が、松に変わっています。



御持仏の間
正面の扉の中に位牌が置かれていたと考えられています。



御化粧の間
藩主夫人など女性のための私的な部屋で、御殿のもっとも奥にありました。
小ぶりな床の間が据えられ、部屋から望める小さな庭もあります。

御居間・・・藩主の私的な部屋・・・は撮影し忘れてしまいました。



そのかわり高度に私的な空間の撮影に成功。
トイレの壁紙も、松です。





御殿からながめた「水心秋月亭」と名付けられたという庭園。




杉戸を経て公的な空間に戻り、玄関へ。






最後に外から真田邸を眺めて、松代城の登城はこれにて終了。






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