島根半島の北西の果て・
バス停にあった案内図を借用して・・・
ここから歩いてすぐのところに、日御碕神社が鎮座しています。
奈良時代に編さんされた『出雲国風土記』に「
下の宮「
ご祭神は、日沉宮が
素戔嗚尊は出雲の国づくりをした後、自らの鎮まる地を定めて占ったところ、現在の神の宮の裏手にある丘と出ました。
その5世孫にあたる
また、天葺根神が神社近くの浜・清江の浜にお出かけになったときに、浜から離れてたたずむ
「私は日の神です。ここに鎮まり天下の人々に恵みを与えましょう。あなたはすみやかに私をお祀りなさい」
天照大神の御神勅をたまわった天葺根神は、ただちに経島に大神をお祀りしたといいます。
経島に鎮座する神社は、日の沈む西に立つことから「日沉宮」と呼ばれ、「日の本の夜を守る」神社とされています。
うまそうなイカですなぁ~。
神社を詣でた後に、1杯いただきたいですねぇ。
バス停から歩いて1分、もう着いちゃいました。
境内の入口・神の宮鳥居【国指定重要文化財】です。
寛永16年(1639年)に3代将軍・徳川家光が寄進したもので、昭和10年(1935年)に現在の地に遷されたそうです。
稲佐の浜の近くでも見たような感じのレリーフですねぇ・・・・・・なになに、「
成務天皇13年(143年)1月5日早朝、一羽のウミネコが海藻を神社の欄干にかけて飛び去りました。
これを不思議に思った神主が海藻を水洗いして乾かすと、それはワカメになったといいます。
この故事に倣って行われる神事が、「和布刈神事」です。
近くにある宇龍港に浮かぶ権現島に鎮座する熊野神社で、毎年旧暦の1月5日に行われます。
権現島の岩場でワカメを刈り上げ、熊野神社にお供えして豊漁を祈願するものです。
日御碕のワカメ漁は、この神事が終わってから初めて行われるというしきたりとなっています。
手水舎でみそぎをし、
日沈宮楼門【国指定重要文化財】へ。
果てなく広がる青空、それと朱に染まる立派な門構えとのコントラストがなんとも素晴らしい!・・・んでしょうね。
残念ながら、空は灰色、曇り空。
それでも、海の近くならではの開放的な空間に建つ楼門は、朱がより際立っていたように感じました。
斜めから見た日沈宮楼門。
門から入って右側の高台に鎮座するのが神の宮です。
ちなみに「ひしずみのみや」の表記ですが、文化庁さんは常用漢字の「沈」を用いているようですね。
楼門をくぐると、境内末社が2社あります。
そのうち右側、神の宮寄りにあるのが、
「(1)」って何じゃいと思われるでしょうが、文化庁さんがこう云っているんですから仕方ありません。
楼門をくぐって左側は、門客人社(2)【国指定重要文化財】・・・だってぇ~文化庁が、文化庁が・・・。
ご祭神は、(1)が
2柱とも門を守る神様ですが、じつは名前を複数もっている同じ神様です。
楼門の正面に建っている日沈宮拝殿【国指定重要文化財】。
日御碕神社で最も大きい建物です。
日御碕神社の社殿は、神様がお住まいになる本殿、人々が神様をお祀りし参拝する拝殿と、この2つをつなぐ幣殿という3つの構造からなる権現造で構成されています。
権現造は江戸時代に流行した建築様式で、現存する社殿も江戸時代前期の寛永21年(1644年)に3代将軍徳川家光の命令により造られました。
それでは、日沉宮にてお祈りを捧げましょう。
こちらの神社は、通常通り二拝二拍一拝の作法によります。
夜の守護社ということですが、私は今宵に新たな旅立ちをしますので・・・
(ペコッ ペコッ)
パン! パン!
一路平安! 交通安全!
(旅立ちなのにもかかわらず)戦勝きが~~~ん!!!
(ペコッ)
パン! パン!
一路平安! 交通安全!
(旅立ちなのにもかかわらず)戦勝きが~~~ん!!!
(ペコッ)
さあ、これで安心してわが本拠の柏に帰れそうですな。ウム。
神の宮が鎮座する高台へ。
そこから日沉宮を見てみると、深緑の松にあざやかな朱色の社殿がとても映えて美しいですね。
「竜宮城」に喩えられるのも頷けます。
神の宮拝殿【国指定重要文化財】へ。
ここでは大社に続いて縁結び祈願を。
(ペコッ ペコッ)
パン! パン!
縁結び祈願! 縁結び祈願!
この旅最後の縁結びきが~~~ん!!!
(ペコッ)
パン! パン!
縁結び祈願! 縁結び祈願!
この旅最後の縁結びきが~~~ん!!!
(ペコッ)
朱色美しい神の宮本殿【国指定重要文化財】を垣間見て、神の宮を後にします。
あらためて日沈宮楼門。
内側からの楼門も、まことによろし。
楼門の
そういえば島根半島の東にある中海には、「大根島」とかいう島があったと思いますが、多分関係ないでしょうね。
最後に御朱印を拝領して、
バス停近くの鳥居とは別の神の宮鳥居【国指定重要文化財】より、日御碕へと歩き出しました。
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