死の淵から蘇った私を待ち受けていた、公会堂の媼。
もしや・・・媼は
「黄泉帰り」の証として御朱印を賜ったものの、30分ほど公会堂にとどまることになりました。
「
地図を見ると・・・これはかなり頑張らなきゃいけませんなぁ。
わき目も振らずひたすらママチャリで進み、12時11分。
熊野神社に到着しました。
この日はさらに巡る場所があったため、残念ながら熊野神社の画像は撮れずじまいになってしまいました。
御朱印もいただくことはできなかったのですが、とりあえず六社めぐりはこれにて完了!ということにしましょう。
【熊野神社までのルート】
*移動距離 10.4km
いや~、熊野神社は遠かったですなぁ。
上り坂もなかなかにきつかったです、うんうん。
それでは、先を急ぎますかな。
国道9号を西へと進み、松江市内をめざします。
進行方向右側には、
山陰本線の車窓からも見えた、大橋川に浮かぶ塩楯島に鎮座する手間天神社。
『古事記』によると、造化三神の一柱・
少名毘古那神は、神産巣日神の指の間から落ちてしまい、地上に降臨することになります。
そのおりに海水が凝固して島になったと伝わり、後世「塩楯島」と呼ばれるようになったそうです。
また少名毘古那神は、手の間から落ちたということで「手間天神」とも呼ばれることになったそうです。
地上に降臨した少名毘古那神は、出雲の神・
そして人民や家畜の病を治すための方法を定め、また害鳥や害虫から穀物を守るためのまじないの方法も定めたといい、現在は国土経営の神、農耕の神、医療の神として信仰されています。
この塩楯島も「神蹟地」とされているので、祭礼の日を除いて入島は禁じられています。
また祭礼の日であっても、入島できるのは一部の者に限られているそうです。
私も、国道9号の路上から手を合わせ、先へと進みます。
松江の市街地に戻ってきました。
思っていたよりも質素な面持ちのJR松江駅。
ママチャリはさらに進み、宍道湖に面する松江の中心街へ。
駅通りから新大橋通りへと曲がったところで、とあるカフェに立ち寄ります。
この日のランチはこちら、「IMAGIN. COFFEE(イマジン. コーヒー)」でいただきます。
こちらは旅立ち前、当時同僚だった女性にお勧めされたカフェ。
彼女は一時期松江に住んでいて、こちらのオーナーさんとは知り合いのようで、「私の名前を出してもいい」と言っていました。
初見の旅人ならばまず素通りするであろう、それほど大きくなく目立たない感じのカフェ。
中に入ると、オーナーさんと思われる女性に客がひとりと、静かな感じの店内。
こりゃあ「Iさん(元同僚)にお勧めされて、はるばる千葉の柏からやってきましたよぉ~」なんて厚かましいことを言える雰囲気ではないですなぁ。
ここは普通の客として、普通にランチをいただいて、普通にコーヒー飲んで、普通に出るとしましょうか。
朝から神社を6社くらい?参拝し、20kmほどの自転車移動を敢行したので、
砂の国の珈琲店でいただいたような、しっかりとしたランチをいただきたいな~と思って、メニューを拝見しました。
すると・・・FOOD(食事)の欄が「トースト」と「チョコレート」しかない模様。
よく見ると、トースト・セット(税抜600円)があったので、これをオーダーすることにしました。
コーヒーは、喉が渇いていたのでアイスコーヒーにしました。
まず、アイスコーヒーがやってきました。
アイスコーヒー、後味酸っぱい???
私は喫茶店をよく利用はしますが、はっきりいってコーヒーの味なんてよくわかりません。
そんななんちゃって珈琲愛好家が飲んだもんだから、後味が酸っぺぇなぁ~ぐらいのうっすーい感想しか出てきません。
そばにあった「本日のコーヒー」の説明書きを読んでみると・・・なるほど、なるほど。
コーヒーチェリーという果実の種子がコーヒー豆であって、云々。
説明書きの内容は詳しくは忘れてしまいましたが、それを読んだ後で再び飲んでみると・・・
アイスコーヒー、後味がフルーティでさわやかです!
・・・ああ、惜しむらくは私の喉が渇いていたため、よく味わうことなく飲み込んでしまったことでしょうか。
そうこうしているうちに、トーストがやってきました。
トースト・バター、うまい!
おいしいですが、やっぱり物足りない?
これは、来店するタイミングを間違えたのでしょうか。
ここは、1時間以上ゆったりし、コーヒーを味わい、ついでに軽食をつまむところ。
ちゃりんこでダーっと来て、ぐいっと飲んでガッツリ食らって、さっと出ていくようなところじゃないのです。
残念なことに、この後私が訪れるべき場所は多く、こちらで長居をすることはできませんでした。
島根県のふたつの湖をつなぐ大橋川。
松江新大橋を渡り、北岸へ。
西に見える松江大橋のほうへ進みます。
ひときわ高いビルは山陰合同銀行本社ビルで、島根県で最も高い建築物です。
大橋川の北を流れる京橋川。
松江の市街地を東西に走る水路で、慶長16年(1611年)の堀尾吉晴による築城に際して造られたものです。
築城とセットで造られた水路なので、水濠の役割を担っていたわけですね。
午後1時33分。
やっと、この旅最大の目的地・松江城【国指定史跡】にたどり着きました。
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