鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

高島城~諏訪の浮城

2018-12-29 | 城郭【続日本100名城】


2 0 1 8 年 8 月 1 9 日 ( 日 )

午 前 9 時 3 2 分

長 野 県 諏 訪 市

J R 上 諏 訪 駅



早朝からの乗り鉄の末、私が下り立ったのはJR中央本線・上諏訪駅



上諏訪駅の周囲には、諏訪湖諏訪大社といった観光地が目白押し。
その中で私が訪れるのは、「諏訪の浮城」とも称される高島城です。

上諏訪駅から高島城までは、最短経路でだいたい1キロほど。
この日は最終的に千葉の柏に戻る日帰り旅なので、諏訪に滞在できる時間はわずか1時間半ほど。



そこで今回もレンタサイクルに頼ります。
国道20号線に面している上諏訪駅東口の近く、駅レンタカー 上諏訪事務所で自転車をゲット。
2時間で500円。やや割高な感じもしますが、文句は言ってられません。
この自転車にまたがって、高島城へ。




Google Map先生のご指導にしたがい、城下町の雰囲気ある小路に入りました。
おやおや、なんとも老舗感たっぷりの店構えですね・・・



この味噌蔵の脇にあった立て看板。
どうやらこのあたりが高島城の三之丸だったようです。



そしてこの丸高味噌蔵は、国の登録有形文化財とされています。
保有するのは神州一味噌株式会社
「シンシューイチ シンシューイチ おみおつけ♪」のCMでおなじみ?(最近はあまり耳にしませんが)の神州一味噌です。
最近まで、私は「シンシューイチ」=「信州一」だと思っていました。どうでもいいことですが。


小路を進んでいくと、



中門川三之丸橋がかかっています。
この先が二之丸ということになります。
その前に・・・



三之丸橋の脇にある三之丸湯跡
信州を代表する温泉地である諏訪、城内にも出湯があったのですね。


高島城は、三之丸・二之丸・本丸が一筋になっている連郭式の縄張りとなっていました。
連郭式の縄張りはその奥行きの深さから、大手(正面)からの攻撃には強いのですが、搦め手(裏手・脇)からの攻撃には本丸が顕わなため脆いのです。
ですが高島城は、曲輪の脇は河川と湿地で囲まれ、本丸が面する裏手は諏訪湖があったので、連郭式の弱点部分は補われていたのです。


さらに小路を進み・・・



見えてきました、復興天守です!



「きけん立入禁止」のテープがちょっと残念。



白いワンボックスがちょっと残念。



周囲に駐輪場が見当たらなかったので、天守そばの敷地を拝借させていただきました。



お濠を歩きながら、天守を仰ぎます。
本丸へは、冠木橋を渡って入ることができます。



冠木橋からの天守。
水濠に映る逆さ天守も見事です。



こちらは復興角櫓
ふつう「すみやぐら」は「隅櫓」と表記するのですが、高島城のそれは古図面にしたがって「角櫓」という表記になっています。
それよりも目を惹くのは、苔むした野面積みの石垣。
築城された江戸時代初頭当時のもので、水濠ともども諏訪市の文化財に指定されています。



それでは本丸へ。



復興された冠木門をくぐります。
形式はれっきとした櫓門ですが、名称は冠木門。
築城当初は、木を組んだだけの冠木門だったのですが、櫓門に改築された後も「冠木門」の名称は残ったそうです。

 

冠木門左右の野面積みの石垣が、また見事。




現在は高島公園として公園化した本丸。
往時には本丸の敷地の大部分を占めた御殿が建っていました。
そして泉水が流れるこのあたりには、御殿とは独立した能舞台が建っていたようです。



冠木門の左に位置する復興角櫓
現在はお茶屋として営業しているようです。
角櫓のそばに立つ高島城のキハダ【諏訪市指定天然記念物】。
この地方最大のキハダとされていて、樹齢は約130年だそうです。



特徴ある植込み。
城主を務めた日根野氏諏訪氏の家紋かとも思いましたが、どうやら違うようです。
何の紋様なんでしょう???



本丸の脇を守っていた持方月櫓の跡
現在は高島公園の裏口となっています。

 

こちらの石垣もまた、見事ですね。


再び本丸へ。



本丸の一角に鎮座する諏訪護国神社
その近くに・・・

 

三之丸御殿裏門【移築現存】があります。
高島城は、本丸だけでなく三之丸にも御殿が建っていたそうです。
現在はこの門が移築されていますが、かつては御川渡御門という門があったそうです。
ここはちょうど高島城の裏側、この門の先はかつては諏訪湖の湖面が広がっていました。




いよいよ天守へ。



天守内は資料館になっています・・・って、どこのお城もそうですね。
入場料は、大人300円です。


諏訪湖の湖畔に建ち「諏訪の浮城」の雅称をもつ高島城
その始まりは現在より北に位置する茶臼山にあった山城でした。
中世にこの地方を領有した諏訪氏によって築城されましたが、武田信玄が諏訪氏を滅ぼしたのちは、武田の重臣が城主を務めました。

天正18年(1590年)に豊臣秀吉が天下統一を成し遂げると、諏訪地方には日根野高吉が領主ととして入りました。
高吉は元禄元年(1592年)から7年かけて湖畔に高島城を築き、諏訪の城下町を建設しました。
関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601年)日根野氏は下野国(栃木県)に移り、代わって諏訪頼水が2万7千石の石高で入り、諏訪氏がこの地に返り咲いたのです。
以降、明治維新まで諏訪氏が高島城の主としてこの地を治めたのです。







天守からの眺め。
近くに見える湖はもちろん諏訪湖です。
かつては湖面が天守の足元にまで迫っていたのですが、現在は湖の周囲に建物がひしめいているかのよう。
忍城ほどではないにせよ、高島城も「浮城」というには想像力が必要なようですね。

そして、続100名城スタンプ・・・



いささか控えめながら、第1層にありました。



130番、高島城!
絵柄はおそらく冠木門から見た復興天守でしょうか。
そして「城攻め」も忘れずに・・・



高島城、攻略!
ついでに花岡城(長野県岡谷市)も攻略できたところで、高島城の登城はここまで。






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