春先の本佐倉城【国指定史跡】登城リベンジ。
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東山馬場跡に到着した私は、本佐倉城のパンフレットを手に取り、その推奨ルートを律儀にたどることとしました。
そして・・・
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東光寺ビョウ(Ⅵ郭)、
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東山馬場(Ⅴ郭)、
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名も無きⅣ郭、
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チラ見程度ですが倉跡(Ⅲ郭)まで足を運びました。
Ⅵ、Ⅴ、Ⅳ、Ⅲとくれば、次はⅡ、Ⅰとめぐるのがスジというものでしょう。
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Ⅳ郭虎口からの通路を左に曲がり、
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大堀切が現れます。
ひとつの高台を掘り進んでふたつに分け、それによってできあがった通路が堀切です。
この大堀切を挟んで左側が城山(Ⅰ郭)、右側が奥ノ山(Ⅱ郭)です。
Ⅳ郭から進むと、大堀切は高低差約2メートルのスロープになっています。
そしてスロープを上りきった地点に、木戸が構えられていたようです。
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大堀切の底と奥ノ山とは、約6メートルほどの高低差でしょうか。
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いったん下って、城山と奥ノ山の岐路。
ここでは左を選択、Ⅱ郭の奥ノ山ではなくⅠ郭の城山へ。
郭のカウントダウンよりも、パンフレットの推奨順路を律儀にたどっていきます。
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下ったところにある岐路から、急激な上り坂となる城山通路。
高低差は約7メートル、蛇行を繰り返す狭い通路です。
この先の城山は、その先には逃げ場がない詰め城、本佐倉城の最後の拠点になっています。
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城山の入口・城山虎口に到達。
白い看板の立つあたりには、城山虎口の一ノ門が構えられていたようです。
一ノ門跡の後ろは一段高くなっているので、坂道は続きます。
さらには、虎口の周囲を塀が取り囲んでいました。
最後の砦でもあるので、とりわけ厳重な守りになっていますね。
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虎口の二ノ門の役割を担っていた城山門の跡地。
城山の外側に向かって、塀は立てられていました。
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城山門跡からは、もう一本の通路が伸びていました。
木橋を経由して奥ノ山へとショートカットできる通路です。
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城山の突端、向かいが奥ノ山です。
平時にはここから木橋が架けられ、往来が可能になっていました。
戦時には木橋を叩き壊して往来不能にし、
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大堀切を進まんとする敵軍を、頭上から攻撃する構えになっていました。
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城山(Ⅰ郭)に入ります。
城山門を通過して目前にあったのは、
その隣りには、城主の屋敷である主殿。
主殿よりさらに奥には、公的な行事や遊興的な催しが行われたと考えられる会所があり、その傍らには庭園や庭池などの痕跡が確認されています。
また、用途は不明ですが、ほかに建物4棟の痕跡も明らかになっています。
先に登城していた観光客に、引率していたボランティアガイド(と思われるお爺様)が、熱心に語っておられました。
お爺様は、ここでとある事件について語り出します。
オナラ事件。
これは某学校の某生徒が巻き起こした数回の騒動とは違い、たった2発のオナラがお家騒動に発展してしまうというお話です。
天正16年(1588年)本佐倉城、書院。新年の祝賀の席にて・・・
ぷぅぅぅ~
齢18になる近習の桑田万五郎、膳を配っている最中に放屁をしてしまったのです。
人間だれしも突発的な粗相はしてしまうもので、主君の千葉邦胤もそう考えて咎めませんでした。
しかし・・・
ぷぅぅぅ~
万五郎またしても放屁。
邦胤もだまって見過ごすことはできず、万五郎を叱りつけました。
これに万五郎は、書院の中央でひざまずき、
「卒爾の失錯は庸常有之べきことなるに、かかる曠なる座中に於て斯くの如く顔面に辱を蒙る條、つれなき仕合なり」
(突発的な粗相は誰しもあることなのに、万座で恥をかかせるなんて、ひどいじゃないですか)
と口答えをしたため邦胤が激怒、座を立ち上がると万五郎を蹴飛ばし、刀に手をかけたのでした。
家臣たちが慌てて間に入り、万五郎を引き立てて、邦胤をなだめたため、この場は収まりました。
万五郎は別の家臣の屋敷にて謹慎することになりました。
数ヶ月後に邦胤の勘気は解け、万五郎は再び邦胤のそばに仕えることとなりました。
しかし万五郎は、万座で恥をかかせた主君への恨みを忘れずにいたのです。
同じ年の7月4日夜、万五郎は邦胤の寝所に忍び込むと、寝ている邦胤を短刀で2度刺して逃走しました。
「憎き小倅めが所為かな」
(やりやがったな、くそガキめ!)
邦胤が叫ぶと、宿直の者が駆けつけました。
邦胤は血だらけで倒れており、虫の息。
「・・・桑田面を脱さず討ち取れ」
そう言って息絶えてしまったのです。享年39歳といわれています。
万五郎は千葉家の追っ手によって捕捉され、斬首されたとも自害したともいいます。
邦胤亡き後の千葉家には嫡子・重胤がいたのですが、「若年のため家中をまとめきれない」として北条氏政が介入し、実子の直重を千葉家に送り込んで家督を継がせたのでした。
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オナラ事件の舞台になった会所(書院)跡。
その先は崖になっていて、
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東山馬場(Ⅴ郭)を見渡すことができます。
現在は駐車場が整備され、城の間近まで車で来られます。便利な世の中になったものよのぅ。
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城山を退去して、今度は奥ノ山へ。
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通路ぎわは崖になっており、なかなかの深さ。
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奥ノ山(Ⅱ郭)へ。
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なかなかに広い郭です。
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倉跡(Ⅲ郭)寄りにある土塁。
このあたりに妙見宮が祀られていました。
妙見宮は千葉氏の守護神とされ、当主が元服するときには妙見宮で儀式を行っていました。
もともと妙見宮は
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土塁で構成されていたと思われる虎口を抜けて、
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倉跡(Ⅲ郭)に戻ってきました。
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倉跡(Ⅲ郭)は本佐倉城最大の郭です。
ここでは発掘調査で炭化米が発見されており、倉庫群が建っていたと推定されています。
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倉跡を奥ノ山ぞいに進むと、崖下へと通じる道が現れます。
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進んでいくと、脇道から妙見神社の横に出ますが・・・
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通路を下って、表から入ります。
小ぶりな鳥居をくぐり、
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妙見神社で参拝。
奥ノ山に鎮座していた妙見宮は、奥ノ山の腰曲輪ともいうべき場所に移っています。
ここまではマムシ、イノシシ、カミツキガメといった危険生物には遭遇していません。
この先もこいつらには遭遇しませんように・・・と祈願し、本佐倉城の散策はまだまだ続きます。
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